南海に ブーゲンビリアは 今日も咲き


The soldiers who died in the fierce battlefield of the South Pacific must have surely seen this bougainvillea. Please rest peacefully while watching this flower.
明日8月15日は終戦記念日である。戦後生まれが80%を超える今は、もう戦後という言葉自体に現実味がない。
戦争はテレビや動画のヴァーチャルの世界にあるものであって、ゲームの世界である。
戦後73年、自分の生涯でもあり、振り返れば長くて変化にとんだ73年だった。
実に平和で、物はあふれ、時には大災害にはあったが、国全体が大困難に直面したことはない。
有り難いことだが、あの戦争があったからこうなることができたのか、戦争が無くてもこうなることが歴史の必然なのか、詮索しても意味のないことかもしれない。
しかし、こうして戦後何年という節目節目に歴史を振り返り、これからのことを考えることは意味のないことではない。
今目の前に咲くブーゲンビリアを見ても、南太平洋の島々で亡くなった人たちも、きっとこの花を見たに違いないと思うとき、この人たちが今の日本を見てどう思うだろか。
今は確かに平和だが、実に危うい平和だ。いつ戦争になってもおかしくない火種は世界のあちこちにある。
国内を見ても、2020年の東京オリンピックの話題が多いが、50年前、1964年の東京オリンピックと比べてももうひとつ勢いが感じられない。
これをきっかけに何とか国勢を立て直そうとしている意図を感じるが、前のオリンピックは溢れる勢いから自然発生的に開催されたように思う。
どこに出かけても老人が溢れ、昔はもっと活力があった繁華街にも勢いがない。聞こえてくるのは中国語ばかりだ。
昔は良かったという老人の懐古趣味ではないかと自問もするが、それだけでもなさそうだ。
2020年は戦後75年、四分の三世紀の節目になる年だが、なんとかもっともっと元気な社会に成ってほしいものだ。