哲学も そぞろ歩きの 雪柳

The path of philosophy is at the foot of Higashiyama, Kyoto. I followed this path to Ginkakuji Temple on a youth day, and because I was fascinated by Yukiyanagi, I forgot about thinking about philosophy.

京都東山の麓の若王子神社から法然院の下を通って疎水べりを銀閣寺に辿る道を「哲学の道」と言います。哲学者西田幾多郎が思索に耽りながらよく散策したということから付けられました。

道沿いにはまず雪柳が咲き、しばらくすると桜が咲き、この道を辿れば春を辿るようなものです。

昔は春先はほとんど人通りもなかったのですが、今はいつも人で賑わっています。外国人の多さも目立ちます。

西田幾多郎の名を知る人も少なくなりました。思索に耽る時間もないほど今の人たちは忙しそうです。この道を辿る人たちの多くもスマホを見入っていて、なぜこの道を辿っているのか不思議に思えます。

考えてみれば、表に立つ国のリーダーたちにもどれほどの哲学があるのか、疑問に思うことしばしばです。日本を誤りなくリードしてくれることを願うのみです。