コスモスの 眼下にくねる 有田川

The Washigamine Cosmos Park is located on the summit of the Washigamine at an altitude of 586.2 meters.  In autumn, the cosmos blooms all over and a pleasant breeze blows through.  When the weather is nice, you can overlook Awaji Island and Shikoku, and you can see a 360-degree panorama.

和歌山県有田川町にある、標高586.2メートル、鷲ヶ峰の頂上に広がる『鷲ヶ峰コスモスパーク』には、その名の通り、秋になると辺り一面にコスモスが咲き、心地よいそよ風が吹き抜けます。

天気のいい日には遠く淡路島や四国まで見渡せ、360度の大パノラマが目の前に広がります。

眼下には有田川が川筋をくねらせ、折からの夕日を受けて光って見えます。

広い園内に散らばっていた人たちも三々五々家路につき始めました。

いよいよ今日で9月もお終い。

長かったような短かったような、晩夏と初秋の入れ混じった景色が道中にも見受けられました。

一夏の 思い出留め 残り薔薇

Autumn roses are gradually losing momentum. Though there is still summer remnants around, memories of this summer days came back to me one after another .

近くのバラ園の薔薇も徐々に勢いを無くしています。ああいよいよ今年の夏もお終いだと思うと、名残惜しさとともにいろいろな思い出が走馬灯のように蘇ります。関西周辺は特にこれといった災害もなく無事秋を迎えることになり、有り難いことです。

今も近くから秋の大祭のお囃子が聞こえてきます。この秋がどんな秋になるか楽しみでもあり、一抹の不安もあります。

台風もまだ油断ができきませんし、東南海地震もさることながら、大きな地震がいつ起こるとも知れません。10月から発効する10%の消費税アップが日本経済にどんな影響をもたらすか、それによって自分たちの生活がどうなるかも心配です。杞憂ばかりが先立ちますが、どうも地球全体が、世界情勢がスムースに動いているようには思えません。

昨日はラグビーで日本が格上のアイルランドを破る快挙を成し遂げたましたが、せめてもの慰めにはなりました。

 

山の道 藪蘭の花 そっと撫で

As you walk along the mountain path, the Yaburan flowers are blooming in the sun in the bush, It is a sober flower, but it stands out here. Although it is a relatively well-known flower, it rarely appears in tanka or haiku.

秋空が広がる山道を散歩していると、藪の中の陽だまりに藪蘭の花が満開です。地味な花ですが、ここではひときわ目立ちます。

藪蘭は比較的よく知られた植物で、ファンも多いのですが、俳句や短歌にはほとんど詠まれていません。花の歌が多い万葉集にも一首も読まれておらず、その後の歌集、句集にも極めてわずかです。不思議でなりません。

最近は公園や道路沿いの植え込みなんかにもよく見かけるのですが、あまりにも身近すぎて抒情を呼び起こさないのですかね。

一つ一つの花をよく見てもとても美しく可愛い花なのに。

曼珠沙華 此岸(しがん)彼岸に 緋毛氈(ひもうせん)

Manjushage is full bloom on both banks of the river. It’s like a view of the Buddhist world. Buddhism teaches that the world we live in is called this world ,’Shigan’, and that world after death, ‘Higan’, and that  there is a world after death. And the river that separates the two worlds is called the River of Sanzu.

今日でお彼岸もお終いです。日もだんだん短くなって、朝晩の影もくっきり長くなりました。最高気温も30度を下回り、最低気温も20度を下回る日が多くなりました。凌ぎやすい麗らかなお天気が続いています。

両岸にびっしり咲いた曼殊沙華(彼岸花)、真ん中に川。此岸と彼岸と三途の川。仏教絵のようです。

煩悩渦巻く此岸、煩悩から解放された解脱の世界、彼岸。此岸から彼岸に渡るには三途の川を泳ぎ切らねばなりません。

出家して修業を積んだ高僧だけがそれが可能だと教えるのが小乗仏教。

いやいや、この世(此岸)にいても「般若波羅蜜多」を唱え、六波羅蜜(六つの実践)を行えば彼岸に行けますよと教えるのが大乗仏教。

「般若」つまり知恵を出して、「波羅蜜多」彼岸に渡りましょう。その為には次の6つのことを実践しましょう。

1.布施波羅蜜(ふせ) 布施をすること
2.持戒波羅蜜(じかい) 戒律を持って生きること
3.忍辱波羅蜜(にんにく) 堪え忍ぶこと
4.精進波羅蜜(しょうじん) 努力すること
5.禅定波羅蜜(ぜんじょう) 座禅すること
6.智慧波羅蜜(ちえ) 前五つの波羅蜜の実践によって得られる智慧のこと

日本の仏教の中核になる教えです。

般若波羅蜜多、般若波羅蜜多、般若波羅蜜多、・・・・

お彼岸に 十月桜が 華を添え

Cherry blossoms are the flowers representing spring, but there are varieties that bloom from autumn to winter. Juugatsu-Zakura, Shiki-Zakura, Huyu-Zakura, Kan-Zakura, Hi-Zakura, and so on, the these cherry blossoms are collectively called ‘Huyu-zakura’.

十月桜が咲きました。お彼岸の最中というのになんで桜がと思われる方も多いかと思います。

秋から冬にかけて咲く桜は昔からあり、「桜の狂い咲き」と言われたものです。決して狂っているわけではなく、秋は春と気候的にはよく似ていますから、春に咲く花が秋に咲くこともあり得ます。バラなどもそうです。ただ気候の変わり方が、寒→暖、暖→寒の違いが発育に関係して、桜にしても「春爛漫」というわけにはいきません。咲いてもちらほら。

それでも最近は品種改良が進み、十月桜、四季桜、三季桜、寒桜、緋桜、冬桜と品種も多く、これらをまとめて「冬桜」とも呼んでいます。総称の「冬桜」と冬桜は違います。

日本人の桜狂いも留まることを知りません。やがて「秋爛漫」の桜という時代が来ないとも限りません。

四万十の せせらぎ走る 秋景色

The Shimanto River flowing through Shikoku Kochi Prefecture is the clearest stream in Japan.  A variety of river fishes, including Ayu, are inhabited, and seasonal flowers bloom around.

四国高知県の四万十川近くにお住いのお友達から写真を拝借しました。

四万十川は言わずと知れた日本有数の清流です。四季折々の草花が咲き乱れ、川にはアユを始め、清流にしか住まない川魚が遊弋する、外から見れば天国のような所です。

しかし、その地で生活する人たちはそこが住処。台風に見舞われ、洪水に泣き、喜びも悲しも同じです。

ブログにはその日常が飾らず綴られ、ごく当たり前の生活にも興味が惹かれます。お彼岸もあとわずか、庭の柿でしょうか、もうだいぶ色付いてはいますが、今しばらく待てばきっと甘い柿に熟します。

今朝のツイッター
「曇り空ですが、次第に晴れてくる予報。夏の名残も感じられることでしょう。火曜日からのスタートで気分的に楽です。頑張り過ぎずただ目の前のことをと思います。ぼちゆるそろり。こころに余裕を持ちましょう。お寺の鐘が鳴り始めました。清々しい朝です。」

たましいが 大地に噴き出す 彼岸花

Many people died also this year. Those who died in a disaster or accident, those who died alone in a room in an apartment, children who were killed in parental abuse, those who were killed by the grudge between their relatives, the flowers blooming with the souls of such people may be cluster amaryllis.

今年もたくさんの人が亡くなりました。災害や事故で亡くなった人たち、アパートの一室で孤独死した人たち、両親の虐待で殺された子供たち、親が子を子を親を恨んで殺された人たち、そういう人たちの魂を宿して咲くのが彼岸花かもしれません。

彼岸花は一面華やかですが、不吉な花と忌み嫌われた花でもあります。「死人花」、「地獄花」、「幽霊花」、「蛇花」、「捨て子花」などなど、聞きたくもない別名が地方地方に残っています。お墓の周りに彼岸花を咲かせりるところもあります。

彼岸花はよく見ると、確かにほかの花と違った花の作りですし、悪く言えば毒々しさもあります。良い意味にも悪い意味にも人を引き付ける魔力を感じます。

彼岸花の球根には猛毒が含まれています。そのため、球根が百合根によく似ていますからおそらく死んだ人たちも多くあったのでしょう。田んぼの畔に多く見かけるのも害獣のイタチを寄せ付けないためですし、お墓の周りに植えるのも死人を守るためです。北原白秋の「ごんしゃん」に出てくる彼岸花は赤子の化身です。

話題は尽きませんが、この彼岸花は確実にお彼岸の日に咲きます。天候気候に関係ありません。これも人の心を強く引き付ける原因になっているのでしょう。

彼岸花 緋毛氈にして お萩食べ

The cluster amaryllis is blooming all over the golden rice field spreading out in front of me. While looking at the scenery , it’s a paradise to sit at a teahouse where is spread the red carpet  and eat Ohagi, rice mochi covered sweet azuki beens.

今日はお彼岸の中日。お墓参りに出かけます。黄金色に光る田んぼ、そのところどころに彼岸花が確実に咲きました。毎年毎年、この日には確実に咲くので不思議です。

目に前の秋の風情を楽しみながらお萩をいただけたら最高です。

台風17号が接近しているせいで、どんよりと曇っていますが、何とかお昼過ぎ位までは持ちそうです。

先だっては千葉、今度は九州、中国地方。気が休まる暇もありません。

どうか大きな被害がもたらせられないように祈るばかりです。

 

色付いた 稲穂と案山子 彼岸花

The leading role of autumn has been all present. The golden ear of rice, the scarecrow that protects it from sparrows, the cluster amaryllis that makes the scenery stand out, and the arrival of full-fledged autumn. I am looking forward to what kind of pageant will be unroll.

垂れ下がってきた稲穂、それを雀から守る案山子、まあまあそんなに向きにならなくてもと宥める彼岸花、秋の主役が出そろいました。いよいよこ今年の秋も本番です。

去年の秋はどうだったか、一生懸命思い出そうとしますが、もうすっかり忘却の彼方。だから、同じ風景を飽きもせず眺められるのかもしれません。

「もしも一つの独創性を持っているなら、なによりもまずそれを引き出さなければならない。もし持っていないなら、なんとかしてその一つを手に入れなければならない」「燃えている火や野原の一本の木を描写するには、その火や木がほかのどんな火や木にも似ていないものになるまで、じっとその前に立っていなければならない。」―フロベールは愛弟子のモーパッサンにそう教え諭します。見慣れた日常性からは何も新しいものは生み出せない。何の変哲もないものにもまだ見いだせていないものがある。それを見出すことこそが創造というものだと。

今年の秋の風景から何か新しいものを見つけだしたいものです。

爪紅が 手押し車の 指を染め

The old woman is pushing the wheelchair along the road where the Housenka flowers are blooming.  Looking at the handle, her nails are manicured red.  What did she dye her nail with? I guess perhaps it was dyed with Housemka flower.

爪紅は鳳仙花の別名。鳳仙花は中国名。英名はTouch-me-not(私に触れないで)。中国名、鳳仙花は鳳が羽をいっぱいに広げた姿に似ていることから来た名前。和名、爪紅は赤い花の汁を絞って爪を赤く染めたことから来た名前。英名、Touch-me-notは実が熟すとちょっと触れるだけでぱっと弾けて種が飛びますことから来た名前。三者三様でとても面白いですね。

夏から秋にかけてどこにでも見かける花で、昔から人と触れ合う機会も多かったのでしょう。いろんな歌手が自作の「鳳仙花」をうたっています。僕は加藤登紀子さんの「鳳仙花」が大好きです。朝鮮歌謡から採った歌ですが、とても優しくていい歌です。今どうしてあんなにギスギスしたことになっているんでしょうね。人は力を持つといけません。意識も何もかもが尖鋭化して視野が狭くなり、針小棒大、闘争的になります。人は本当は力のないことを知ると寛容になり、大同小異を知ります。

今朝、鳳仙花の咲く道を年老いた女性が車椅子を押しながら、あたりの景色を見ながら歩いていました。なにも目立つところはありませんが、車椅子を押す手元の爪が赤く塗られていて、ハッとしました。ずいぶんなお年だと思いますが、それに気づいた時には当たりの様子までガラッと変わります。不思議な感覚ですね。まさか今の時代、鳳仙花でマニキュアーされたわけではないでしょうが、ひょっとしたらという夢想が広がりました。