烏瓜 夕日で更に 唐朱色

Karasuuri is illuminated by the setting sun and it is more vivid vermillion.This haiku is a Japanese word game.

カラスウリは日本のちょっとした里山にはよく見かける植物です。今この時期には真っ赤と言うか朱色に染まった実は人の目を惹きつけます。

カラスウリは漢字で書くと「烏瓜」とも書くし、「唐朱瓜」とも書きますが、「烏瓜」の方がポピュラーです。

名前の由来から言えば「唐朱瓜」で、この色鮮やかな朱色が、学校の書道の先生が朱色の墨汁で訂正してくれたあの朱色、つまり中国から伝来した「唐朱墨」という朱色からとって「カラシュウリ」→「カラスウリ」→「烏瓜」になったんだという説が最も有力です。更に凝った説によると、この「唐朱墨」の原料である鉱石の形までが似ているからだということです。

カラスウリはこの実の鮮やかさに惹かれ、「実」がもっぱらの話題になりますが、「花」がまたこれ、妖艶と言ったらいいのか、幽玄と言ったらいいのか、実に神秘的な花で、写真のように、花びらがレースの羽衣を着込んだような形をしていて、それも夜が更けてから咲くものですから、ますます神秘性を帯びるわけですね。

雌雄異株といって、雄株と雌株が別々で、夜になると先ず雄花が花開き、一時間ほど経つと雌花が咲きます。

口先の長いスズメガが先ず雄花の妖艶さに引き寄せられ、そして雌花が咲くとより甘い蜜を求めて花粉を運びます。

この自然の妙たるや、ただただ感嘆するしかありません。

そんなことで、今日は俳句の本筋とはちょっとずれた言葉遊びになりました。

窓の外 秋に広がる ハイネの詩

After listening to Heine ‘s lyrics and Schubert’ s “Shadowmaker”, the autumn scenery outside the window blew away the atmosphere of heavy songs at once.

「秋を愛する人は心深き人 愛を語るハイネのような ぼくの恋人」

『四季の歌』ですね。1970年代半ばに大ヒットしました。歌手の立川清登がラジオ放送で視聴者からこの曲をリクエストされ、知らなかったので口ずさんでもらったところ、立川が大感激。すでに街頭で歌っていた菅原やすのりや芹洋子などもテレビ番組などにも駆り出され、空前の大ヒットとなったわけです。

芹洋子はこれを中国で歌うとこれがまた大ヒット。ここに出てくるハイネがマルクスと友人だったこともあって、まだ毛沢東の影響力があり、当時文化大革命のあおりで暗い社会になっていた中国社会にひとすじの光明を与えたわけですね。

今の若い人にはハイネの重苦しい詩は受けないでしょうね。シューベルトと同い年で親交もあって、シュベルトは彼の6編の詩に作曲し、後に『白鳥の歌』の中に収められました。

中でも最後の『影法師』はシューベルト歌曲の傑作と言われていますが、31歳で早逝した彼の遺作で、聞いていても居た堪れなくなるほどの重苦しさです。

それをまた聞いちゃいました。

うーんと滅入っていて、ふと窓の外を見た時、そこに広がる秋の清澄な景色のなんと清々しいこと。『影法師』はやはり傑作です。

サルビアが 秋の陽気で タコ踊り

Salvia has many kinds. The Salvia-involucrata flower in them has a shape like an octopus and it is very cute.

サルビアはとても品種が多く600種類とも900種類とも言わています。

花期が長く、夏から秋にかけて、公園という公園、学校や保育園などにもよく植えられていて、家庭でもプランタンなどに植えて楽しみます。

サルビアと言えば、秋が最盛期で、俳句でも季語は秋で、普通によく見かけるのはサルビア・スプレンデンスという品種です。

サルビアは別名セージとも呼ばれ、昔から薬用に使われていたハーブです。

写真のサルビアは、サルビア・インボルクラタといい、比較的新しい品種で、今公園でも満開です。

真ん中に丸い花を付け、その周りにサルビア独特の唇を突き出したような花を7,8本付けていて、タコを連想して、思わず笑いだしてしまいます。

こうした花はたくさん植えて、それを鑑賞するのが主でしょうが、こうして一つ一つよく見ると、とてもユーモラスな花だとか、あかんべーをしている花だとか、表情が豊かで、何かそれだけでお話しできそうな錯覚に囚われます。

 

レレレのレ モダンな家に 吊るし柿

Smelling nice with a sniff, dried persimmons were hanging from the eaves of the second floor of a modern feeling house.

吊るし柿。田舎に行けば、この時期、普通に見かける光景ですが、モダンな家の二階から吊り下げられた干し柿はサプライズです。

柿には甘柿と渋柿があり、普通に店で売っている四角い柿は甘柿で、長細い木成りは渋柿で熟すと甘くなります。甘柿はこの渋柿を品種改良したもので日本生まれ。外国の柿はたいがい渋柿です。

甘い、渋いの正体は含まれているタンニンで、水に溶けなければ甘くて、溶けると渋く感じます。干し柿は、大抵渋柿を干したもので、干している間にタンニンが水に解けなくなるなるので甘く、糖度は甘柿の1.5倍にもなるほどです。あんぽ柿とか市田柿とか、とても甘いですよね。ちょっとお値段が高くてなかなか手を出せませんが、奮発して食べたらいっそう甘く感じます。

柿は1個でビタミンC一日分取れるほど栄養価が高いのですが、干し柿にするとこのビタミンCがなくなるので、甘いを取るか、ビタミンCを取るか、考えどころですね。

レレレのレ。ご存知ですか。『天才バカボン』に出てくる「レレレおじさん」が出掛けの人に「おでかけですか、レレレのレー」と、町を掃除しながら声掛け運動を実施するキャラクターがとても面白いですよね。

面白いですよねって言っても、これも昭和世代のギャグで、お若い人にはピンとこないかもしれませんね。

赤塚不二夫さんももうお亡くなりになっているし、なんだか寂しくなってきます。

誘われて いつの間にやら 秋の薔薇

When I go to the park nearby it is a sign of autumn already. Roses in autumn are also in full bloom and a lot of people are visiting. It surprised me that Among them is the large number of elderly people.

近くの公園に行くともうすっかり秋の気配です。

自然に足が向いたバラ園には様々な種類の秋のバラが満開です。春のバラ園ほどの華々しさはありませんが、落ち着いた雰囲気があり、一つ一つのバラをしっかり見ることができます。

蔓性のバラはなくほとんどがブッシュ型のバラで背も低く、香りを嗅ぐにもちょうどよい高さです。

ただご老人の多いことには、自分もその一人なのに、びっくりです。ご夫婦で回っておられる方、お一人で杖を頼りにしている方、しかし、どなたもお洒落な装いで、一昔前のご老人とはこの点においては大違いです。

このバラ園一つをとっても今の日本の状況を読み取れて、バラの鑑賞もさることながら、自戒も含め、これからの生き方を考えさせられる一日になりました。

 

 

平成も 今年最後の 枯れ薄

Heisei is also until April next year. When I am watching Karesusuki illuminated by the sunset like this, I can not wipe out some kind of impressions for myself that I have been living in the times of Showa and Heisei.

今年は平成30年。ついこの前に平成に代わったのにという感覚ですが、平成元年に生まれた人がもう30歳になるんだと思えば、ああもう30年も経ったんだとその年月の長さを実感する次第です。

その平成も来年4月までで、5月からは新しい元号に代わるわけですから、昭和生まれはもはや時代物ともなりかねない、そんな時にこんな風景を目の当たりにすると、何というか、一抹の寂しさを覚えます。

枯れすすきは自分の人生と照らし合わせて共感を呼ぶようで、1974年、昭和49年、オイルショックで揺れる昭和の真っただ中で、さくらと一郎がデュエットで歌った『昭和枯れすすき』がヒットし、もっと古くは、1921年、大正10年に野口雨情作詞、中山晋平作曲の名コンビが世に出した『枯れすすき』が、1923年の関東大震災を受けて大ヒット、後に『船頭小唄』としてうたわれ続けます。

平成に入ってから「枯れすすき」を歌った歌があるのかどうか知りませんが、時代が変わっても、世の無常を感じる日本人特有の心情が感じ取られます。

春日野に 紅葉も散るや 鹿の声

The voice of a male deer crying for a female deer sadly sounds in Kasuga. And the leaves which turned red fall down as if adjusting to its voice.

奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき

小倉百人一首にも入集されている『古今和歌集』詠み人知らずの有名な歌です。「詠み人知らず」とはなっていますが、謎の歌人、猿丸太夫の歌です。

古来、秋の紅葉が散るころ、人里はなれたところで、宵から明け方にかけて甲高く鳴く牡鹿の声は誰もが気になっていたのでしょう、『万葉集』だけでも68首も歌われています。

どんな声かは、今の時代ですね、YouTubeを開けば簡単に誰でも聞くことことができます。切ないと言うか、切羽詰まった必死な声です。

びいと啼尻声悲し夜の鹿

さすがですね。その牡鹿の鳴く声を芭蕉は最も的確に歌い込んでいます。「びいと」甲高く啼き始め、「尻声」は低いトーンで声を呑み込む様子を見事に5、7、5に纏めています。

雌鹿の発情期間は、いや発情時間なんです、24時間。その間に交尾しなければ子は生まれません。雄鹿も必死ですが、雌鹿も必死なんです。

鳴くのは雄鹿ですから、雌鹿はその声を聞き分け、強くて逞しい雄鹿の元に馳せ参じるんでしょうね。

この雄鹿のなく声に哀感を感じ始めたのは平安期ころからで、『万葉集』には後に歌われるような哀感の歌はありません。このことからも、日本の文化の変遷が感じ取れます。

 

錦秋に 法衣を正す 大仏殿

Daibutsu-den of Todai-ji Temple surrounded by the trees which began to be dyed red is standing majestically against the background of the autumn sky.

奈良東大寺大仏殿の周りの木々も色づき始めました。相変わらずの人出ですが、外国人観光客の多さには驚きます。特に大仏殿から二月堂、三月堂にかけては人の行き来が絶えません。

それにしても、いつ来ても思うことですが、今から1200年前にこんなドデカイ建造物をよくも建てたものです。もっとも今見る大仏殿は、過去2度の火災にあって消失し、江戸時代初頭の1709年に建て替えられたものだそうですが、江戸時代初頭にしても驚くべきことなのに、それを遡ること1000年近く前ですから何をか況んやです。

ここに立つと確かにパワーが得られ、正真正銘のパワースポットです。それは、もちろんここにいらっしゃる大仏様、そしてこの建物に注がれたとてつもないほどの人々の信仰心と情熱と思いが込められていて、そこから発するパワーだと思います。

写真は、裏側に回って、大仏池から撮ったものですが、あたりはすっかり秋の気配に変わっていて、平日はとても静かです。大仏殿の威容だけが迫ります。

色とりどりの木々を観察しながら散策すると、心も落ち着き、正倉院から東あたりのこんもりとした森はもう寒いくらいで、舞い落ちる木の葉の音も聞こえるような錯覚に囚われます。

こうして幾星霜、多くの人がここを訪れ、そして去り、これからも同じことが繰り返されていくのでしょうが、こうしてしみじみとした思いを巡らすのもここだからこそです。

 

柿落葉 味噌田楽に 品を添え

I ordered Miso Dengaku, country dishes, at a cafe in the Kasuga-no of the Nara Park. It is put on the reddish falling leaves of persimmon and it looks more gorgeous and more delicious.

JR奈良駅を降りて、北詰を渡るとメイン通りの三条通りがあります。そこを真っ直ぐ東に辿ると春日大社に至りますが、途中、一の鳥居前の交差点を右の脇道に入ると、猿沢の池、浮見堂、鹿が群れる飛火野、少し南に辿って、高畑町の通りを辿ると志賀直哉旧居があり、そこを少し行ったところ、春日野原生林のたもとに小さなカフェがあります。コーヒーはもちろん、田楽あり、焼き芋ありのカフェです。

こんにゃくに味噌をあしらった味噌田楽がとても美味しそうなので、さっそくそれを注文しました。真四角ではなく、緩やかな曲線を赤い漆で縁取ったお盆と、赤く色づいた柿の落ち葉を敷いたその上に味噌田楽が二つ並んでいます。

飾り気のないとても素朴な味わいがあり、これだけで絵になります。さっそくいただいて、ふと気付いて撮った写真がこれです。

しまった!と思いました。ミスショットです。

せっかくなら歯型を入れる前に撮りたかった。でも食い意地が優先していたのでしょう。失礼な写真になりましたがお許し下さい。

もみじ葉を かなぐり捨てて 秋桜(あきざくら)

The surrounding trees are wearing leaves stained red, but this cherry tree tosses them off and is making many flowers bloom. Uhufu!

最近あちらこちらで開花した桜を見受けます。

「秋桜」と書いても「あきざくら」と言っても普通にはコスモスのことを意味します。こんなに秋にも桜が咲くようなら、もう「秋桜」はコスモスのことではなく、本来の秋に咲く桜のことに戻しても良さそうです。

それともう一つ不思議なのは、この写真を見てもわかるように、秋桜の葉はすっかり無く、花だけですね。

今の時期、もみじの名所もやっと色づき始めて、本格的な紅葉のシーズンはこれからです。桜ももちろん葉を紅葉させて、そして落葉します。専門的なことはよくわかりませんが、桜は紅葉、そして落葉が他の木々よりも早いのでしょうか。ともかく花だけです。

秋桜も秋の薔薇と同じで、春のような豪華絢爛さはありません。花数も少なく、大きさも控えめです。

「姥桜」という言葉がありますが、読んで「うばざくら」。桜は、春先、先ず花を咲かせ、それから葉をつけ始めまます。だから最初は葉無し、「歯無し」にかけてできた言葉が「うば桜」。だからこの意味の「うばざくら」は春の桜を意味します。

ところが「うばざくら」は、漢字では「姥桜」と書きますから、「姥」つまり、年老いた女性のことで、「姥桜」は女盛りを過ぎても、なお色香を漂わせる女性を連想した言葉ですから、まさしく秋の桜、秋桜を意味します。それのほうが合うような気がしますね。

命、運命の儚さを知り尽くし、それでも時には恋心に悶え苦しむことはあっても表に出さず、楚々として咲く花のようでありたい、何も女性だけではありませんが、そんな老いらくの恋は、やはり女性に託したほうが良さそうです。

桜って、本当にいろいろなことを考えさせますね。