八月 ― 上高地へ ―

 
八月ももう半ば、お盆もまじかに迫った今が一番熱い。
2週間とれる今年の夏休みをどう過ごそうかと前々から考えていたんだが、まだ一度も行ったことがない沖縄、それともあの大自然が広がる北海道にもう一度と考えていた矢先、圧力鍋のちょっとした操作ミスで両腕とお腹を火傷。
そんなに広い範囲でもなく、常備薬のオロナイン軟膏を塗って、大したことはないと高をくくっていたんだが、お腹の火傷がいつまででもじくじくして治らない。四日目だったが、医者に行って診てもらったら、火傷は程度によって3段階あり、2度と3度の間くらい、場合によっては皮膚移植もと言われ、びっくり仰天。幸いにも小判くらいの大きさで良かったが、これが広い範囲だと命にもかかわると聞かされ二度びっくり。
完治するまで3週間から4週間かかり、毎日軟膏を塗り替えねばならないし、毎週1回診断に通わねばならないということで、長期旅行は断念。
それでも、休みになるとじっとしていられない。
書店に行ったら、派手な旅行案内書が並ぶ中、「上高地」というのが目についた。
ここなら3,4日あれば周辺も回れるだろうと先ず上高地行きに決めた。
本当はどこか山のひとつくらい登りたいんだが、この年になると本当に足腰が弱くなって、近くの300m足らずの山だって大変だ。トレッキングがせいぜい。
上高地なら、大正池から入って、河童橋、徳澤園、さらに足を延ばせば横尾山荘と、昔懐かしい場所をトレッキングできる。
3日から夏休み入りなので、その日にでも出発と決めていたんだが、大型台風5号が接近中ということでしばらく様子見をしていたが、この台風がまたなんと足の遅いこと。
おまけに近畿直撃、日本縦断の可能性が高いということで、いらいら待つうちに1週間経ってしまった。
台風が通過した直後、9日に家を出た。
台風一過、何もかも台風が攫って行ってしまうので、さぞや天気も回復するだろうと予想していたが、9日10日は快晴とはいかないものの何とか晴れてはいたが、11日目からまた天気が崩れるという予報。
ええーい、ままよ、何はともあれ今日は平湯温泉か奥飛騨温泉辺りに泊まって、10日に上高地に入ろうと決め、朝10時に出発。
いつもの調子で宿は現地調達、調達できなければ車中泊。というのも、事前に予約していたら、その日その時間に行かねばならず、この不自由さが性に合わない変な性分。
飛騨高山まではひたすら高速道を走って、と言っても、途中のサービスエリアはほとんど寄るから、いつも予定時間の2倍弱位はかかる。信号が無い分、神経をすり減らすこともないから、これが高速道を利用する一番の理由。
飛騨高山で高速道を降りて、まず宿探し。平湯温泉から上高地行きのシャトルバスが出ているので、できたら平湯で当たってみたが案の定どの宿も満員。最後にちょっと高そうだけど、当たってみたのが「深山桜庵」。ここはOKだというので取り敢えず今日の宿は確保。


上高地は近かった。
平湯温泉「あかんだなバスターミナル」から30分足らず。まさにあっという間だ。
昔はこんなではなかった。当時は平湯からではなく信州松本から入ったが、松本からは松本電鉄でバスターミナルのある「島々」まで30分、その島々から上高地までバスで1時間という予定ではあったが、まず予定通りいったためしがない。特にこのような夏休み期間ともなれば、上高地に向かう国道158号線がいつも大渋滞。やっと上高地入り口の「釜トンネル」にたどり着けても、これが1車線しかないものだから離合待ちで1時間はざら。結局予定時間の2倍はかかったものだ。
この「釜トンネル」も何度も何度も改修されて、2005年7月には2車線歩道ありで開通。これで、平湯からなら「平湯トンネル」(全長2.4㎞、1978年開通)、「安房トンネル」(全長5.4㎞、1997年開通)を抜けて、最後の「釜トンネル」」(全長1.3km、2005年新装開通、入り口と出口の高低差は140mで日本一の急勾配トンネル)を潜り抜けると30分足らずで上高地となったわけだ。
今回は「釜トンネル」を抜けての最初のバス停「大正池ホテル前」でバスを降りた。
目の前の「大正池」、その前に立ちはだかる「焼岳」」(2,455m、活火山)、ああ上高地だ。一気に感動が込み上げてきた。何十年ぶりだろう。
「大正池」の水際に近付くと、正面の「焼岳」は水面にくっきり映り、左前方遥かに「穂高連峰」が屹立している。山頂付近に時折白雲がかかるが、はっきり見える。

ここから「田代池」まで1.5㎞、「田代池」から「田代橋」を渡って梓川右岸を辿って「河童橋」まで2㎞を取り敢えず辿ることにした。
森林の中の遊歩道を歩いていると、半そででは少し涼しいくらいだ。時折細い清流があり、水草が揺れていっそう涼しさが増す。案内掲示板には標高1500mとある。出会う人たちもシーズンにしては少ない。朝がまだ早いのか、5号台風が通過した直後だからなのか。

おっと、「最近ここらあたりで熊が目撃されました。」という警告ビラが貼ってある。そうなんだ。だから時折鈴を鳴らしながら歩いている人がいたんだ。
梓川とは出会ったり離れたり。水量は豊富でも川底が透き通って見えるくらいだからやはり綺麗。と、小さな子橋があって、細流が梓川に流れ込もうとしているところにカルガモ親子がよちよち歩いている。スマホを取り出して写真に撮ろうとしているといつの間にかもう梓川に浮かんでいる。熊に気を付けろよ!

遊歩道は、時々ぬかるんでいるところもあったがよく整備されていて快適だ。「細田橋」を渡って梓川右岸を辿る。すぐそばに帝国ホテルがあって、赤レンガ色が緑によく溶け合っている。ここの直径10㎝のカップに入ったプリンを食べようと思っていたが、ちょっと人が込み合っているのでパス。ウェストン碑も懐かしい。もう間もなく「河童橋」だ。
「河童橋」が見えた!何度も何度もスマホ写真に入れる。やはり人が多い。でも押し合いへし合いではなかったのがありがたい。橋の中央で、穂高の峰々をバックに写真を撮ってもらった。「男前ですね。」写真を撮ってもらったお兄さんが言う。また、おべんちゃらを!この人きっと関西人だ。確かめなかったが確信した。
橋のたもとの木のベンチで初めて休息した。大正池からざっと3㎞ちょっと。まだまだ捨てたもんじゃない。うーん?
と、左側の入り組んだところで、ピンクのティシャツを着た老人がキャンバスと画具を前にして、じっと穂高連峰を見遣っている。年恰好は同じくらいだろうか。絵になると思い、撮影の許しを請うと二つ返事でOKしてくれた。
「ひとりでか?」、「孫はいるの?」、「これから何処へ?」と矢継ぎ早に話しかけてくる。なんだか寂しそうだ。もっと話しそうだったが、そうはしていられない。「お元気で。」、「ああ、頑張りなよ。」と言葉を交わしてわかれた。またまた、あの冒険心が湧いてきたきた。目の前に立ちはだかる穂高連峰のあの先っちょを歩いたんだぞ!よくあんな恐ろしいところを歩いたもんだ。後立山から入って、三俣蓮華を通って、双六、双六から西鎌尾根伝いに槍、槍から日本一の難所、大キレットを渡って前穂高、そして今目の前に見える奥穂高岳(3,190m、富士山、北岳に次いで日本で3番目に高い山)、自分の一生の基盤になった山行だったわけだな。今から思えば、無謀登山もいいところだ。生と死を分かつ場面も幾度かあった気がする。
さーて、この分だと「徳澤園」もなんてことはない。ここから6km、2時間。往復できなけりゃそこが今日の泊りだな、と意気込んで「河童橋」を出発。気になるのはお天気だ。予報でも午後からは雨。雨は嫌だ。これで死にかけたこともあるしな。
テント林を抜け、ますます元気が出てくる。「徳澤園」どころか「横尾山荘」も視野に入ってくる。できたら「横尾山荘」位までは行きたい。プラス4㎞だ。そのずっと先の梓川の水で粉末ジュースを飲んだ美味さがずっと脳みそに染みついている。
人が多くなってきて、どんどんぼくを追い抜いていく。仕方ないよなあ。せめて「明神池」までは辿り着きたいものだ。だんだん弱気になってくる自分が歯がゆい。案の定、空の雲行きも怪しくなってくるものだから、弱気に拍車がかかる。
昔もそうだった。強気と弱気が葛藤して、強気が弱気を少し上回ったから先に進めたんだよなあ。人生ってそういうものなんだ。今は逆だよ。
やはり体力がかなり落ちてきた。このところ睡眠がうまく取れないし、便秘は相変わらず。足元がふあふあする。このままでは人に迷惑をかけることになるかもしれない。
諦めた。

「河童橋」までやっとたどり着け、熱い缶コーヒーでやっと我に返ったような気がした。
今年の夏休みは、これで良し! 帰ろう。

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