オウム真理教

 
地元の中学生5人を自宅で教えたことがある。
それも普通の中学生ではなく、一人はこの中学の番長、残り4人はその子分格という、いわゆる悪(わる)の5人である。
番長のお母さんからの依頼で、3年生で、何とか高校だけは行かせたい、先生(ぼくのこと)の言うことなら聞くから是非にということだ。
というのも、ここに引っ越してきて間もなくだったが、この番長とはすぐ挨拶をするようになり、もちろん初めは番長だとは知る由もなかったが、勉強はしているか、頑張れよ、と言葉をかけているうち親しくなった。
こちらは元予備校教師で、浪人生や高校生を教えたことはあるが、中学生は教えた経験もなく最初はお断りしたが、是非にということとご近所のことでもあるので引き受けることになった。
見始めてびっくりしたのは、まず小学生でも読める漢字が読めない。英語のthisとthatの読みと意味を何度教えても区別ができない。正負の足し算引き算どころか、小学校で習ったはずの分数、少数の足し算引き算すらできない。
ええっ、この子は今までどうしてきたんだろう。学校で何をしてきたんだろう。まるで放ったらかし。親も、学校の先生もこの子供たちにどう関わってきたんだろう。まるで、あのインドのオオカミ少年そっくりである。
見かけは普通で、言うことも特に変わった様子もないし、知能的にも話している限りは特に劣っているという節もない。こんな子がいるんだ。そう自分に納得させるしかなかった。
ともかく、一、二週間教えているうち、ある日、別の4人、つまり番長の子分格の4人がやってきて、先生、ぼくも勉強教えてくれという。こうして、地元中学の悪5人が勉強することになった。
この5人に共通していることは、5人とも母子家庭で、学校では怖いもの知らず。先生も手を焼く存在である。しかし、人一倍人懐こいということだ。決して悪ではない。
別の4人が加わってから、番長の勉強ぶりがガラッと変わった。
番長はこの5人の中でも一番学力が落ちる。残り4人が番長に気遣って、答えられる問題にも答えないし、番長は番長でその気遣いに気付いている様子。それでいて平然を装っている。そして誰もが、決して勉強をまじめに取り組もうとしないで、お互いにけん制しあっていて、落ち着きがない。その雰囲気は独特だ。つまり、真面目に勉強に取り組む姿を人には見せたくないのだ。真面目さを見せるのは彼らにとってはいちばんの恥なのである。突っ張っていなければ格好がつかないんだ。
これでは勉強にならないので、番長ともう一人、そして残りの3人にグループを分けて教えることにした。
前よりは幾分ましにはなったが、やはり「突っ張り」は無くならない。
教え始めて2か月後には、とうとう一人ひとり別々に教えることにした。それでやっと落ち着いて勉強がはかどるようになった次第である。

つまり、オウム真理教の集団も同じだ。
教祖麻原彰晃(松本智津夫)は、その生い立ちからその後の人生の軌跡を追ってみると、大きな劣等感と常に戦いながら、なんとか這い上がろうと必死に戦った若者の軌跡が読み取れる。バカではないんだ。むしろ人生に積極的にかかわって、もがき苦しみ、求め、認められ、一つ一つステージを上げ、確信を深め、偏見と傲慢にもまみれ、あの教祖に上りつめていった必然性が読み取れる。
ほかの幹部連中も同じだ。真面目で、勉強もよくでき、もしオウムに入っていなければ、それぞれの分野で成功を収めるに十分な資質を持ち合わせているし、人以上に真面目に人生を切り開こうとした姿が読み取れる。
何が原因で、この連中は、こんな殺人教団に入り、指導的な立場になり、人の命を奪い、自らも刑場の露に消えていく運命を選んだのか、選ばざるを得なかったのか、一人の人間の力ではどうにもならない力が作用したとしか思えない。

そうだ。人間には一人の力だけではどうにもならない力が作用している。
まず、自然の脅威だが、これはもう論外としても、人が二人よれば二人の相互作用が作用し、群がれば集団心理が働き、こう言いたくても言えないし、こうしたくてもそうできなくなってくることはよくあることだ。人が言うような意思の強弱の問題だけではないんだ。
右に行くか左に行くかもそう。調べに調べ、考えに考えた末、右に行ったが故に破滅してしまうこともあれば、何の気なしに選んだ道がとてつもない大金持ちの道につながったという人生もあるんだ。能力の差ではない。努力の差でもない。神がそう導いたとしか説明のしようがないことだっていっぱいあるのがこの世の世界だ。

山に行った。秘境雲ノ平を目指した。雲に隠れて道標になるはずの祖父ヶ岳が見えない。道標は強風に吹かれて倒れている。磁石もなぜだか利かない。折からの風雨で体温がだんだん下がっていく。万事休す。このまま死ぬかもしれない。その時、あっ、あそこに赤いテントがひとつ。命拾いしたわけだ。

アルジェリアで世界学生会議が催されるので行くことになる。スエズ運河は沈船で通れず、喜望峰周り、アルジェリアまで1カ月の船旅。何とか工面した10万円をバッグに入れ、日本を出発しようとした矢先、アルジェリア動乱が勃発。ドゴールのアルジェリア独立に反対する在郷軍人が反乱を起こしたのだ。行っておれば、戦乱に巻き込まれ死んでいたかもしれない。後で思えば、世界学生会議の名をかたった義勇軍集めだったのかもしれない。

高校の親友が日航機をハイジャックした。明るくてお人好しで、とてもとても思想的背景を持つようなやつではない。載せられたに違いない。そんな男が歴史的大事件を起こしたのだ。考えられない。きっとどこかで悪いくじを引いたに違いない。

こうしたことは、どれもこれもは跡付けとして、いろいろには語られるが、後になれば何とでも言える。
その時々の選択はもちろん因果関係が明々白々の選択だってあるだろうし、運を天に任すような選択だってあるのであって、むしろ後者の方が圧倒的に多い。それが人の運命を決めるわけだ。

オウム真理教の無差別殺人事件、あさま山荘の銃撃戦、連合赤軍の山岳ベース事件、等々、こうした、学生が絡んだ殺人事件の多くは、自分の考えではない集団の意思が形成され、それによって行動することによって引き起こされた殺人事件なのだ。感覚が鋭角で、鈍った感覚では理解しがたい心理作用が悪く作用した結果である。

ヒトラー、スターリン、毛沢東、こうした近代史に名を刻む独裁者も、もっと大規模な集団社会心理に操られた集団ヒステリーの中心人物であったのだ。

1995年は、1月17日に阪神淡路大震災が起き、3月にはこのオウム真理教による一連のサリン事件が起き、いたたまれない気持ちで、5月の連休、芭蕉の足跡をたどったことも含め、心から消えない年になった。

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