御堂筋哀歌

♪♪♪ 雨の御堂筋 ♪♪♪

今日は一日暇ができたので、久しぶりに「御堂筋」を歩いてみようと思った。
北から南へ、南から北へ、今までにも何度も何度も歩いたことがある。
考え事があって歩いたこともあったし、ロマンチックな気分で歩いたこともある。
銀杏の枯葉が舞う寒い日、拭いても拭いても拭き切れないほど汗の出る日、そしてもちろん「雨の御堂筋」も。

欧陽菲菲が『雨の御堂筋』を歌い、大ヒットしたのが1971年。
神武景気から始まった戦後高度成長期は、1970年の「いざなぎ景気」の終焉を最後に「安定成長期」に入ったといわれるが、翌年つまり1971年の「第二次ニクソンショック」により、1ドル=360円の固定相場制が変動相場制に移行したことにより、戦後日本の土台を築いてきた輸出産業が大打撃を受けることとなるのであるが、57か月間続いた戦後最長の「いざなぎ景気」の余韻を映したのがこの『雨の御堂筋』である。

御堂筋は、大阪の玄関である「JR大阪駅」から南へ真っ直ぐ約4km、大阪一の繁華街「難波」に通じる幅45mの大阪を代表するメインストリートである。
1929年(昭和4年)、当時の大阪市長関一の号令で着工し8年の歳月をかけて1937年(昭和12年)に竣工。当時の道路常識からして桁外れに幅広い道で、道の両側には大阪を代表する大企業が次々とビルを建て、ここはいわば大阪のステイタス・ゾーンであったわけである。
とりわけ、『雨の御堂筋』に出てくる「本町」は商都大阪を代表する繊維街で、御堂筋の「伊藤忠」をはじめ、その界隈には大小の商社がひしめき、「桁外れの御堂筋」もやがて大渋滞を起こすほどの一大活況を呈するほどになる。

今日歩いた「御堂筋」は違った。
沿道に植えられた約970本の銀杏は高く大きく育ち、若葉がまぶしいほどであったが、心なしか昔ほどの賑わいがない。勢いがない。
大丸と並んで店を出していた松坂屋はとっくになく、伊藤忠は大阪駅北の再開発ビルに移ってしまった。
歯が抜けたようなビルの隙間には駐車場ができ、聞くところによると両側のビルの空き室も目立つという。道行く人も昔ほど多くはないしせかせかしていない。
良く言えば落ち着きがあり、道の両側にはなるほど昔にはなかった高級外車のショウルームが並んでいたり、シャネルとかルイビトンといったブランド店が数多く並んではいるが、違う。
「失われた10年」とか「失われた20年」という言葉があるように、日本の高度成長期から安定成長期に入ったんだとは言うが、実は高度成長期の勢いを取り戻すべく日本列島改造に走り、降りかかるオイルショック、円高不況にも見舞われて、いっときバブル景気で勢いを取り戻したかに見えた錯覚はやがてその崩壊へと、そして負のスパイラルに陥って今に至った日本の姿がこの「御堂筋」にも見えた気がした。
しかし、町並みは確かにきれいになった。東京や世界の主要都市と比較したら大阪は確かにローカルな雰囲気だが、これはこれでまたいい気もした。

梅田新道 心斎橋と
雨の舗道は 淋しく光る
あなた・・・ あなたのかげを
あなたを偲んで 南へ歩く

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