124万人 ―車社会からの脱却―

冒頭に掲げた124万人は世界の交通事故死者数である。ここで言う交通事故とは車による事故のことで、飛行機や列車の事故は含まない。
ちなみにこの124万人とはどの程度の数なのか相対的に見ておくとよくわかる。
一昨日6月28日は世界第一次世界大戦が勃発した日で、今年でちょうど100年になるが、その死者数はおよそ2600万人。この数はそれまでの戦争や内乱の犠牲者の総数を上回るとてつもない数で、次に世界大戦が起こったら地球上の人類が絶滅すると思われたくらいに衝撃を与えた数なのである。それにもかかわらず50年もたたないうちに起った第二次世界大戦は第一次世界大戦の2倍を超えるおよそ5400万人の犠牲者が出た。
この二つの数は歴史上突出した数で、124万人に近い数で言えば、2013年の日本の出生数が102万人、死亡者数が126万人、中国内戦(1946~49)120万人、朝鮮戦争(1950~53)125万人、ベトナム戦争(1955~75)は少し多くて209万人。
こう見てくると世界の交通事故者数124万人は真剣に考えてみなければならない数であることがよくわかる。

20世紀は様々な革新がもたらされ、人類に多くの幸いを与えたが、逆に多くの不幸も生み出した。
車もそうである。
蒸気機関車から始まった鉄道、プロペラ機からジェット機など20世紀の交通手段はどれも目を見張る発展を遂げたが、中でも最も身近で便利な車は世界のいたるところで利用され、先進諸国は言うまでもなく、発展途上国でも車なしでは生活できないまでに普及した。
2013年の世界の車生産台数は8700万台というから、車の保有台数になるとおよそその10倍、8億台というから、おおざっぱにいっても世界の10人に一人は車を持っているわけだ。

車は鉄道や飛行機とは違いどこにでも移動でき、人と一体なったなったような移動手段でこれほど便利なものはない。
しかし、身近で便利なゆえに、ちょっとした不注意やとんでもない使い方をされたら、これほど恐ろしい凶器はない。
軽い車でおよそ1トン。時速たとえ10kmで人に当たったとしても、じゅうぶん人を死に至らしめる恐ろしい存在なのである。
それが学童の列に突っ込んだり、繁華街で人をなぎ倒す事件が最近相次いでいるが、たまったものでない。
中国の天安門前で起こった暴走車の映像が公開されたのを見たが、あれはもう悪魔の沙汰だ。
しかし本当に怖いのは、そんな異常な事故ではなく、どんなに正常な人であっても一瞬にして人の命を奪ってしまう車の恐ろしさである。
冒頭に掲げてた124万人の犠牲者はその80%以上が「通常の交通事故」の犠牲者なのである。

20世紀の車社会は、余りにも車中心に発展しすぎた。
以前にもこのブログで取り上げた(未来都市 ― ヒントは「道」―)が、
21世は、もう手放すことができなくなった車を生活の中でどう位置付けるか、皆で真剣に考えていかねばならない。

大胆な提言ではあるが、少なくとも1平方キロメートルの居住区には絶対に車を入れない、そんな地域ブロックをたくさん作り、それでいて車もうまく利用できる、おおざっぱではあるが知恵を出せばそんな都市作りも考えられるのではないだろうか。
日本では幸いなことに、ピーク時17000人であった交通事故者数が今や5000人を割っている。これはこれでいいことだが、問題なのは車中心の道作りがコミュニティー社会を分断し、それからいろいろな現代的諸問題が発生しているということ、それをいかに解決し、昔のように豊かな人と人の交流社会を作り出すかということである。

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