9月が長い

 
あれっ、まだ9月だ、と思ったことが今年は何度かあった。今日もまだ22日、お彼岸の中日だ。
昨日も教えている高校2年生とこのことについて話したら、彼も同じ思いだという。
なぜだろう。高2君と考えてみた。
一つの考えは、気候による影響だ。
今年の夏は暑かったが9月に入ると急に涼しくなった。
昨年は9月に入っても結構暑い日が続いたような気がする。だからその記憶が残っていて、この涼しさは昨年なら10月に感じた涼しさだから、ふと今日は何日だろうと考えたとき、その記憶からあれまだ9月だと思うことが何回かあって、9月は長いと感じたのではなかろうかということだ。高2君もこの説にはいたく同意してくれた。
家に帰ってネットで調べてみると、『2017夏の暑さのまとめ!』に「昨年一昨年は9月も暑く、秋とはとても感じられないきびしい残暑でしたが、今年はすでに秋が始まったようです。」とある。
なんでも、今年の大阪の酷暑日(日中の最高気温んが35℃以上に日のこと)は9日で昨年の23日に比べると少ないが、真夏日(30℃以上)が昨年の6日だったにに対して今年は21日だったという。そして「今年は近年ではめずらしく『ふつうの秋』または『涼しい秋』になるかもしれません。」と9月以降の気温を予想している。ガッテン!
とは言ったものの、ほんとに時の長さの感じ方が気温に左右されるものなのか、またまた調べてみたが、どこにもそのようなことが述べられているページは見当たらない。
しかし、時間の感じ方に関して興味あるページはいっぱいあった。中でも面白いと思ったのは、『ジャネーの法則』で、主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるというもので、簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例(つまり反比例)するというものである。
例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる。言い換えると、50歳に感じる1年の長さが、1歳で感じる7日分しか相当しないということになり、1歳の時に感じたわずかな7日という時間の感覚で、50歳では1年が過ぎると感じてしまうのである。
「つい最近まで20歳のつもりだったのに、いつのまにか30になってたよ。」とか「あれっ、いつの間にかもう70だよ。」とかよく耳にする言葉だが、なるほどそういうことなのだ。
それではなぜそうした時間感覚の差が生じるのかというと、これも様々な心理学者が動物実験によっても実証していることなんだそうだが、簡単に言うと、人も動物も歳をとればとるほど、経験を積めば積むほど、日常の生起することに新鮮味がなくなり、同じことを繰り返すことが多くなる、つまりあらゆることがマンネリ化されることに原因があるいう。
歳をとればとるほど時間が過ぎるのを早く感じるようになり、基本的には体感時間が短くなるということが主な理由で、それに新鮮味が少なくなることや、マンネリ化によってもさらに時間が経過するのを早く感じるようになる。
何もしていないと時間はあっという間に過ぎ去ってしまうので、充実するように生活すると1日1日が、1年1年が長く感じられるというのだから、これは大いに参考になった。
で、9月の長さだが、はたしてそんなに充実した日々を過ごしてきたのかというと、そんな気もしないでもないし、それとても確信を持てるものでもない。やはり、気温の影響の方が大きい気がするのだが、ジャネーの法則と考え合わせるのも面白いかもしれないから、秋の夜長、さらに長くすべく考えてみることにするか。

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