ふき掃除 ―小さな文明論ー

ひょんなことから文化、文明の端くれのようなことに思いが及んだ。

今朝、黒豆を炊いていて、煮具合を確かめるため、しゃもじ(みなさん、「おたま」と呼ぶんだそうだけど、ぼくなんか小さい時からそう呼んでいたんで)に数粒すくってお皿に取ろうとしたら、もうだいぶとろけていた汁が床に落ちた。床がフローリングだからスリッパを履いていたんだが、その落ちた汁を踏んづけちゃって、そしてそのまま数歩歩いたものだから、足元が粘つき気持ち悪いこと限りなし。
さっそくスリッパの裏を雑巾で拭き、ついでに床を拭こうとしたんだが、長いこと床のふき掃除もしたことがないし、いっそのことと台所だけでもいいから床掃除でもするかと一大決心をした。
根っからの無精者で、掃除機くらいは数日おきかな、一応掛けてはいるが、床拭きなんかめったにやったことがない。
バケツに水を汲み、雑巾も二枚用意して、ほんとに久しぶりに手ずから床掃除を始めたわけだが、広くもない台所の床半分も拭き終わらないのに、足腰が痛くて痛くて。
ちょっと休んでからと、炊き立ての黒豆とコーヒーを用意し、これが好きなんだよね、甘い黒豆とコーヒーが実によく合うんだよね、これをパソコンも置いてある電気炬燵に運んでと、おっととっとと・・・

思えば、昔同居していた大叔母がとても掃除好きで、毎朝毎朝、部屋という部屋を柄の長い箒で掃き、その後いつも雑巾がけをしていたっけな。今の僕みたいに、ちょっと掃除の真似事をしただけで「ああしんど」と休んだ姿を見たことがない。確か午前中はずっと掃除をしていたように思う。
六十は過ぎていただろうか、元気でよくあんなに働けたものだ。
そうだよ。この床拭きだけでもかなりの重労働だよ。それを毎日日課にしてたんだから、そこらそん所のスポーツジムに通うよりよっぽどハードなトレーニングをこなしていたわけだ。きっとこれが元気の源だったんだよな。

目の前のパソコンに「拭き掃除」と入れ、検索したら、「クイックワイパー」という商品がやたら目についた。
そういえば僕も持っていたっけ。忘れていたなあ。どこかに仕舞い忘れたままだ。
便利だよね。長い柄のついたアルミ棒の先に化学洗剤のついた雑巾をセットし、床を拭きゃいいんだ。足腰を痛めることなく床掃除もできる。
そういえば電気洗濯機、掃除機、皿洗い機、みんなそうだよ、何もかもが実に便利で快適だ。
人を「苦痛」や「苦役」から解放することは決して悪いことではないし、そのためにいろんな戦いがあり、工夫があり、文化文明の発展があったわけだし、まだまだ解放しきれていないことだっていっぱいある。これから先、もっともっと便利で快適な世の中が実現していくんだろうな。
でも今日図らずも体験したこの「苦痛」は何だ。
日常生活の中でもっと体を使い、畑で鍬を振るような生活をしておれば自然と解消されていたこの苦痛は、大げさかもしれないが、これから発展していく文化、文明の裏返しを予感させるものを感じ取らせた。

何年前だったか、佐倉統という学者が出した『「便利」は人を不幸にする』という本のことを思い出したが、原発問題だってそうだ。
今日本ではこれからのエネルギー問題として原発の利用と廃棄で国論が二分している感じだが、一度手にした「原発」の便利さはその危険性をどんなに指摘しても手放せいない気がする。日本がではなくて世界が、人類が手放せないだろう。

さて、確か納戸にしまったはずのクイックワイパーを出して拭き掃除でも再開するか。

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