四国88箇所を巡り終えて

 
第48番西林寺を参拝した折のこと。
高齢者がよく散歩に使う手押し車を押して境内を回っている男性に気付いた。白衣(びゃくえ)に菅笠(すげがさ)、首からは輪袈裟(わげさ)の正装をした50年配に男性である。金剛杖ならわかるが手押し車は珍しい。足でも悪いのかとその場はやり過ごしたが、お堂を回ってしばらくしたら、向こうからあの手押し車を押す男性が近づいてきた。手押し車の座席にはご母堂の遺影だろう、それを手押し車の背もたれに立てて、首からは同じような額に入ったご両親と思しき写真をつっている。途端に目から涙がほとばしり出た。とっさに事情が呑み込めたからだ。思わず男性に「お母さんですか」と言葉をかけようとしたが言葉にならない。一瞬男性もびっくりした様子だったが、すぐ眼鏡の奥に涙が見えた。ともかくご母堂の遺影に合掌させていただいた。
「えらいですねぇ。」、「いえいえたいしたことありません。」、「誰にだってできることではない。僕なんかには到底到底できないですよ。」、「せめてもの親孝行です。もう手遅れですがね。」、「いや、そんなことはない。いい息子さんを持ったもんだ。」・・・、まだ涙が止まらない。
ご母堂はずっとこの四国巡礼を願ってきたがそれも果たせず昨年お亡くなりになったという。お父さんはご存命だが、寝たきりだそうで、生前には仕事仕事でたいした親孝行もできず、やっとこの連休に休みが取れたので、せめてもの親孝行をしたいとこの巡礼を思い立ったとのこと。

ぼくの場合、前の西国33箇所巡りもそうだったが、たいした信仰心を持っての巡礼ではない。「巡礼」という言葉を使うのもおこがましいくらいだ。
前回の西国33箇所巡礼は、たまたま書店で手にした納経帳のイラストに触発された巡礼だったし、今回もその延長線上にあって、巡礼といえば日本ではこの四国88箇所だろうという、なんともそこらのミーちゃんハーちゃんにも引けを取らない軽々しい動機だ。
しかし、おそらくこの「巡礼」という言葉に惹かれるものがあるからだろうとは思う。
巡礼は信仰心を持っての旅だが、若山牧水の、
  幾山河 越え去り行かば 寂しさの 果てなん国ぞ 今日も旅行く
また、種田山頭火の、
  この旅、果てもない旅のつくつくぼうし
と歌った歌や俳句にも隠された信仰心が読み取れる。
常に死と向き合わなければならない人間の業をいかに断ち切るか。御釈迦さんもそうだし、弘法大師もそう、そもそも仏教起こりの根源はこの人間の業をいかに断ち切り、安らかな死を迎えるかにある。
牧水が「寂しさ」と表現したのもそうした寂しさであり、山頭火がお盆を過ぎてつくつくぼうしが鳴き始めても「果てもない旅」が続くと表現したのも同じ心境だ。
牧水や山頭火だけではない。古来多くの詩人が漂白の先々で歌った歌もそうだ。
  都をば 霞とともに 立しかど 秋風ぞ吹く 白河の関
と歌った能因の歌を受け、
  白河の 関屋を月の 漏る影は 人の心を 留むるなりけり
と歌った西行。その西行に限りなく傾倒した芭蕉は、「月日は百代は過客にして、行きかう年も又旅人なり。」で始まる『奥の細道』で綴った旅立ちも当時初老46歳であった。
思うところは結局はお遍路も同じなのだ。

四国巡礼の白衣はまさしく死に装束で、巡礼途中でいつ何時死を迎えるかもわからない、その準備のための装束だし、昔はそうして行き倒れになったお遍路も結構いたそうだ。
もともとは弘法大師空海の事績を辿り、修行僧が始めたのが起こりで、江戸時代くらいから一般人も加わって今に至っているそうだが、全行程1000㎞から1400㎞に及ぶ道のりを、歩いて辿る人、車で辿る人、ツアーで巡る人、人さまざまだが、歩いて巡る「歩き遍路」にたくさん出会ったのにはびっくりした。
皆が皆死と向き合っての巡礼ではもちろんないだろう。心身を鍛えるため、自分探しを求めて、グルメと温泉を求めて等々、今行く先々で出会う人たちの目的は様々だ。しかし、突き詰めれば結局「死」との対峙だ。

第75番札所善通寺では宿坊の恩義にあずかった。
朝には、5時半からお説教から始まって、今でも生き続けるお大師様の朝ごはんの勤行、それが終わると何とも奇妙な体験をした。戒壇巡りだ。長野の善光寺でも同じような戒壇巡りがあったが、時間の都合で参加できなかったから初めての体験になる。御影堂地下の真っ暗闇の中、約100mの距離を左側の壁に手を添えながら、「南無大師遍照金剛」を唱えながら進む。本当に真っ暗だ。この暗闇の中で仏様と縁を結び極楽往生のお約束を頂くわけで、一昔前は経帷子(きょうかたびら)を着て草鞋(わらじ)を履き、手には白木の念珠ををするというまさしく死出の旅路姿で巡ったというから、やっと見えた光明は黄泉の世界を連想させたのかもしれない。

4月27日、第1番札所霊山時から始まった四国88カ所車の旅は、5月3日第88番札所医王山大窪寺で結願(けちがん)かなったわけだが、冒頭に紹介した孝行息子が今回の巡礼で一番印象に残った。
今度はゆっくり死に装束に身を固めて真の意味の巡礼に赴きたいと思う。

  
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