戦後70年 ―その2―

 

♪♪♪ 日本の軍歌 ♪♪♪ (父がよく歌っていました)

先般、4月29日、米国連邦議会上下合同会議における安倍首相の演説は、戦後70年を区切る素晴らしいものだった。
いつまでこの「戦後何年」という言い方でしか歴史が語れないのかわからないが、安倍首相の演説には戦後70年の歴史を振り返りながら、多くを未来の「希望」につなげる内容である。中国、韓国が執拗に歴史認識を迫り、自国民にもむやみに反日を煽り、両国民の反目を促進しているのとは大違いだ。
70年という歳月が長いのか短いのか、わが人生もおおむねこの歳月に重ね合わせることができるので、この戦後70年の歴史は自分の歴史でもある。
5月30日、31日の2日にわたって放映された、NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像 豊かさを求めての「第1回 “高度成長” 何が奇跡だったのか」、「第2回 “バブル”と“失われた20年”何が起きていたのか」を見ていると、一つ一つの出来事が我が事のように感じられて、ああ、こういう時代をぼくたちは生きてきたんだと実感した。
“失われた20年”の最後に襲ったのが「リーマン・ショック」であり、「東日本大震災」とそれに伴う「福島原発事故」である。
1991年のバブル崩壊から20年を“失われた20年”といわれるそうだが、「リーマン・ショック」が2008年、「東日本大震災」が2011年だから、失われた歳月は20年どころかおよそ25年、四半世紀にわたることになる。
そういう意味からいっても、今年2015年、戦後70年はまさに時代の転換点、未来志向の原点になる年だといっても過言ではない。
安倍首相の米議会演説にもそういう思いがにじみ出ているように受け止めた。
また別の観点からも、戦後70年を語った書物にも出くわした。
加瀬英明氏の『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか」という本である。
本の帯広告には「70年目の真実 日本国民が人種差別に終止符を打った」とあり、裏には「“自存自衛”、そして“人種平等の理想” 日本人はそのために戦った」とあるように、第二次世界大戦、中でも太平洋戦争がアメリカの仕組んだ罠であり、とりわけ日本嫌いのルーズベルト大統領の思惑通りに進んだ戦争であること、その根っこには白人の拭うことのできない有色人種差別があり、戦後のアジア諸国の独立を促したのも日本であり、中国、韓国を除くアジア諸国が戦後一貫して日本に友好的なのもそこに起因していること、しかし、日本の歴史教育が、アメリカの人種差別と「対日恐怖感」にもとずくもので、それに感化された日本のマスメディア、教育界が子供たちに「自虐史観」を植え付けた結果、アジア諸国の植民地からの脱却、そして独立に日本がどれだけ貢献したか、またそれらの国々の指導者たちが日本にどれだけ好感を持ち続けたかは一切教えず、今次大戦が日本の侵略戦争一辺倒であるかのように教えられてきたと訴える。
また、広島原爆の死者が14万人、長崎原爆の死者が7万人、東京大空襲の死者が10万人、そのほとんどが非戦闘員であることの残虐性を訴え、その根本にあるものは白人優越思想と人間に対する根本的な見方の違い、文明・文化の違いがあると熱っぽく、しかし説得力のある語り口で語られている。
氏は、お父さんが戦後最初の国連大使(この“国際連合”という言葉のまやかしも語っておられる)を務めた外交官、加瀬俊一氏の子息だが、だからアメリカが間違っていた、日本が正しいと訴えているのではない。
戦後の日本人の心の持ち方を正したいのだ。
姻戚関係にあるジョン・レノンが大好きな日本語が「オカゲサマ」であったこと、食前食後にかわす「いただきます」「ごちそうさま」を例に挙げ、韓国では「チャル・モッケスムニダ(よく食べましょう)」「チャル・モゴスミダ(よく食べました)」、中国では「開始吃飯(これから食べます)」「好吃飯了(よく食べました)」、ヨーロッパ人やアメリカ人はフランス語で「ボン・アペティット(よい食欲を)」「アイ・エンジョイイド(楽しく食べました)」というように、これはほんの一例だが、生活万般、人間関係、芸術あらゆる分野で、日本と諸外国の物事の考え方とらえ方が違う、そういう違いから発する世界観も異なるのは当たり前で、そんなことを踏まえたうえで今後の日本の生きる道を語っているのである。
新書版なので多少羅列的ではあるが内容は充実した本である。是非一読していただきたい。

これからまた暑い8月がやってくる。ますます「戦後70年」は熱を帯びてくるであろう。

 

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