幼児虐待

 
 最近しばしば幼児虐待の事件が報じられ、どうして罪もない子供に、ましてやかわいい我が子にそんな残虐なことができるのか、多くの人々に理解しがたいこととして受け止められています。
 実はこれはなかなか根深い問題で、何も今に始まったわけではなく、昔からさまざまな事例が報告されていますし、西洋社会にももっと残酷な幼児虐待の事例が記録に残っています。
 文学の世界でも有名なのは、19世紀のロシア文学の世界的巨匠といわれているドストエフスキーの作品である「カラマーゾフの兄弟」の中で、兄のイワンが弟の修道僧アリョーシャに、幼児虐待のさまざまな事例を引き合いに出して、人間のなかに潜む不条理を論じている場面があります。

 「いいかい、もう一度はっきり断言しておくが、人間の多くのものは一種独特な素質を備えているものなんだ。―― それは幼児虐待の嗜好だよ、しかも相手は幼児に限るんだ...まさに子供たちのかよわさが迫害者の心をそそり立てるのさ。逃げ場もなく、頼るべき人もいない子供たちの天使のような信じやすい心、これが迫害者の忌まわしい血を燃え上がらせるんだ。」

 こうした人間の持つ嗜虐性は、幼児に限らず、いじめの問題にも、人種差別の問題にも、はたまた中東やアフリカで繰り返される憎しみの連鎖などにもあらゆる場面で発揮されます。最近日本だけに限らず、世界のあらゆる場所で繰り返されるこうした残虐行為は、人間の根深いところに内在する本性かもしれません。ただ今日的な問題としては、そうした残虐行為が、一瞬にして全世界の知るところとなり、誰の目の前にもまるで現場に居合わせたかのように露呈されることです。こうした環境に生まれ育つ現代人が、も一度イワンとアリョーシャの会話に耳を傾けつつ、人間に内在する嗜虐性をいかに封じ、この21世紀的環境をどのように受け止め、どのように対処していくべきか、我々一人ひとりが自身の問題として問い詰め、身近なところから行動を起こしていかなければ、明日もまた悪しき歴史を繰り返すことにはならないか

微かな怒り ― もの思わする秋 ―

 

最近とみに筆不精になってきた自分を感じる。もともとそれほどまめではなかったにしろ、これは心がなえてきている証拠だ。

物に感じ、心驚かし、涙し、怒り、若いころはもっと心にも起伏があって、語らずにいられない何かがあったはずなのに。日常の生活、己の食わんがための生活ばかりに気をとられ、心の狭窄症を患い始めているような気がしてならない。 台風一過、といってもはるか太平洋のかなたを通過して、ここら辺りはなんらそれらしい影響もなかったわけだが、気温もぐっと下がりあわただしく秋が近づいた。日盛りが過ぎると日の影が長くなり、軒先の鳳仙花にも早々とその影を落とし始めた。 もの思わする秋、時には命をも落とすような酷暑をしのぎ、やっと生きながらえた安堵がもの思わするひと時を与えてくれるのだろう。夜ともなれば、都会の小さな公園にもこおろぎの声が聞こえる。この虫とても命強いものだけがこうしてラブコールを送ることができるのだ。
その同じ公園にダンボール仕立てのねぐらが最近とみに増えてきた。事情はさまざまだろうが、この人たちも望んでここに住み着いたわけではないだろう。家族があるのかないのか、その日の糧をどうして得ているのか、それでも生きんがために雨露をしのぎ、かすかな明かりをねぐらにともし、明日への活力を養っているのだろう。人はなぜこうしてまでも生きなければならないのか、わが身に引き換え、心が締め付けれる思いがする。 またその一方では、テレビや何やらで、豪華絢爛に身をまとい、人を威圧し、あたかも人の為だとかなんだとか声高に叫び、胡散臭く思えそうな「人生勝ち組」の人がやたら跋扈する。料理番組だかなんだか知らないが、能のないディレクターが仕組んだのだろう、浅ましくも群がる「タレント」たちに世界のグルメを大奮発。これもこの世の絵巻といってしまえばそれまでだが、あまりの格差と矛盾になえた心に、またかすかな怒りがこみ上げる。 もうよそう。こおろぎの声を聞きながら、秋の夜長を心鎮めて眠りに付こう。

ハーモニカ

♪♪♪ ハーモニカ ♪♪♪

小学何年だっただろうか。当時大阪千林商店街の洋服店に勤めていた母の妹、つまり叔母が「店に来たらハーモニカを買ってあげるよ。」と言ったことから、日々悶々の日が続いたことが今も思い出される。
なぜハーモニカなのか、僕が欲しいと言っていたのか、そのあたりのいきさつはまったく覚えていない。
ともかくハーモニカが欲しくて、我が家から歩いて片道3,40分のところにある叔母の店に行くのだが、気の弱い僕は店に叔母がいるのか遠くから確かめるのがせいぜいで、叔母に来たことを告げるどころか、叔母の姿が見えようものならば、見つからないように逃げ出す始末。そして何度か店の前を行き来するだけで、また今度来ようと諦め、商店街にある楽器店に寄ってはガラスケースに並んでいるハーモニカを眺めてため息をつき、やがて家路に着く。
そんなことが何日、いや何ヶ月続いたことだろう。その間、叔母は何度か我が家に来たことがある。その度に「ハーモニカを持ってきてくれていないかな。」と期待するのだが、叔母はハーモニカのことなんかすっかり忘れている様子で、僕の苦しみなんかまったく感づいてもいない。
叔母はどんな気持ちであんなことを言ったんだろう。とうとうハーモニカは手に入らず今日に至っている。