微かな怒り ― もの思わする秋 ―

 

最近とみに筆不精になってきた自分を感じる。もともとそれほどまめではなかったにしろ、これは心がなえてきている証拠だ。

物に感じ、心驚かし、涙し、怒り、若いころはもっと心にも起伏があって、語らずにいられない何かがあったはずなのに。日常の生活、己の食わんがための生活ばかりに気をとられ、心の狭窄症を患い始めているような気がしてならない。 台風一過、といってもはるか太平洋のかなたを通過して、ここら辺りはなんらそれらしい影響もなかったわけだが、気温もぐっと下がりあわただしく秋が近づいた。日盛りが過ぎると日の影が長くなり、軒先の鳳仙花にも早々とその影を落とし始めた。 もの思わする秋、時には命をも落とすような酷暑をしのぎ、やっと生きながらえた安堵がもの思わするひと時を与えてくれるのだろう。夜ともなれば、都会の小さな公園にもこおろぎの声が聞こえる。この虫とても命強いものだけがこうしてラブコールを送ることができるのだ。
その同じ公園にダンボール仕立てのねぐらが最近とみに増えてきた。事情はさまざまだろうが、この人たちも望んでここに住み着いたわけではないだろう。家族があるのかないのか、その日の糧をどうして得ているのか、それでも生きんがために雨露をしのぎ、かすかな明かりをねぐらにともし、明日への活力を養っているのだろう。人はなぜこうしてまでも生きなければならないのか、わが身に引き換え、心が締め付けれる思いがする。 またその一方では、テレビや何やらで、豪華絢爛に身をまとい、人を威圧し、あたかも人の為だとかなんだとか声高に叫び、胡散臭く思えそうな「人生勝ち組」の人がやたら跋扈する。料理番組だかなんだか知らないが、能のないディレクターが仕組んだのだろう、浅ましくも群がる「タレント」たちに世界のグルメを大奮発。これもこの世の絵巻といってしまえばそれまでだが、あまりの格差と矛盾になえた心に、またかすかな怒りがこみ上げる。 もうよそう。こおろぎの声を聞きながら、秋の夜長を心鎮めて眠りに付こう。