誰か故郷を想わざる

♪♪♪ 誰か故郷を想わざる♪♪♪

小学校に行くか行かない頃だったと思う。戦後間もない頃で、娯楽といったらラジオくらいしかない頃であった。ある日、家で何をしていたんだろうか、突然外からレコードに合わせて誰かが歌うマイクの声が聞こえてきた。外に飛び出てみると、近所の「共産党のおっちゃん」が見かけによらず上手に歌を歌っている。見かけによらずといったのは、この「おっちゃん」、普段は「どもり」(差別用語かもしれませんが、あえて使わせてください)で、それほどの年でもなかっただろうにお頭(おつむ)がちょっと薄い。びっくりした。道の真中には石炭箱を並べた「にわかステージ」がしつらえてあって、まわりには近所中のおばちゃんやおっちゃん、それに子供たちも交えて、やんやの喝采を送っている。実にうまい、と子供心にそう思った。その歌が、もちろん後にわかったんだが、この「誰か故郷を思わざる」である。
「共産党のおっちゃん」を皮切りに、近所の人たちが次から次と「ステージ」に上って、あまり音の良くないマイクで、「ホワーン、ホワーン」とうなりを出すレコードに合わせて、みんな得意満面に歌っている。掛け声が飛び、指笛が飛び、誰が用意したのか紙テープまで飛ぶ。一大コンサートだ。
ああ、こんな時代があったんだなあ。みんな貧しかったけれど、実に明るかった。歌声も澄んでいたし、何か「希望」のようなものがあった。人と人を結びつける連帯感というものがあった。
人にとって「幸せ」っていったい何だろう。
昔はよかった、昔はよかった、いつの時代も年取った人たちの口癖だ。
自分たちが生き生きと、一所懸命生きた時代がいちばんなんだ。
今の時代の愚痴は言うまい。

顔面体操

 
5年ほど前に「突発性難聴」に襲われた。ベッドに横たわってテレビを見ていて気付いたんだが、左耳を伏せるとそれまで聞こえていたテレビの音声がほとんど聞こえない。翌日さっそく病院に行くと「突発性難聴」という診断。それから「ステロイド療法」とかさまざまな治療を試みたが、結局は治らないまま。
それと前後してだが、水を飲みそこなったとき、普通ならむせるんだが、そのむせることもできず、およそ1分間くらいだろうか実に長く感じるんだが、息を吐くことも吸うこともできなくなって、このまま死んじゃうんじゃないかと思うほどの恐怖を感じることが起こり、七味唐辛子やラー油といった刺激物がのどを通るときにも同じ症状が起こるので、これも病院で検査を受けたんだが、注意して水を飲むようにという忠告を得ただけ。
さらに、2年ほど前から、いわゆる「耳管開放症」といって、のどと内耳を通じて鼓膜内外の大気圧を調整している耳管が、普段は閉じているはずなんだが、これが開きっぱなし、という不快な病に取り付かれ、これはネットで調べたら、これも現在では適切な治療法はなく、ただ漢方薬の「加味帰脾湯」が効果ありとのことで、中国滞在中に漢方薬店で調剤してもらって服用を続けたが、結局ダメ。
上のどれもが多分「老い」からくる神経系の機能不全が原因でもう半ばあきらめていたんだが、あるとき、科学雑誌か何かでアインシュタイン博士が舌を「べろっ」と出している写真が掲載されていて、いったいこれは何の写真だろうと不思議に思ったことがある。
これがヒントになって、そうだ上の病はすべてのどから上の頭部にあって、その機能不全から起こっているんだ、よしっ、この機能を回復してやろうと思いついたのが「顔面体操」。
朝起きたとき、いつもしている腹筋運動、腕立て伏せとラジオ体操に加え、鏡の前であのアインシュタイン先生の「べろ出し体操」を30回、ひょっとこ、おかめ、しわくちゃばばあ(いや、じじい)、はんにゃ、ピエロ、チャップリン、などなど、顔中の筋肉を動かしまわす「顔面体操」、眼球を思いっきり上、思いっきり下、思いっきり右、思いっきり左、そしてぐるぐる回転の「目玉体操」、最後に乾いたタオルで顔面、首筋、耳の後ろを摩擦する「マッサージ」を毎日毎日繰り返した。
まだ実行し始めてから8ヶ月くらいだが、確かに効果があるような気がする。右耳の聴力は10デシベル程度だが改善され多少はよくなったし、呼吸困難症もそれからは一度も起こっていないし、耳管開放症もかなり改善しているように思われる。
このブログを読んでいただいた人にも上のような症状で苦しんでいる人がいたり、身近にそんな人たちがいたら、ぜひお伝えいただいて、試してみていただきたい。
 
[追記]2009年4月18日
この記事にはたくさんの方々のアクセスをいただき感謝いたしております。
その後の経過ですが、「突発性難聴」は現状維持、「呼吸困難症」はそれからも1度も起こっていません。回復著しいのは「耳管開放症」です。上記のような鍛錬法の結果なのか、自然治癒なのか判断できませんが、ほぼ完全に正常に回復したように思います。
 
「口内炎」について一言。
食事中に口の中をかむことが多く、事後必ずと言っていいほど「口内炎」にかかり、1週間ほどは痛くて食事もしづらいほどだったのですが、ご飯を「玄米」1に対して「白米」2の割合で作り出してから、この「口内炎」が全く起こらなくなりました。ご参考になれば。
 
[追記]2009年8月31日
「嚥下障害」の話題がテレビで取り上げられていました。本稿の「べろ出し体操」をぜひ試みてください。非常に有効だと体験的に感じています。

 
[追記]2024年10月14日
この記事を投稿してはや15年になります。たくさんの方々にアクセスしていただいて感謝の言葉もありません。寄る年波には勝てず、体のいたるところに「体勢疲労」がきています。しかし、この「顔面体操」は続けていて、効果はあるように思います。

日本人の品格

16世紀半ば、日本は戦国時代で群雄が割拠し、打ち続く動乱で世の中がどの時代よりも疲弊していた時代に来日したイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが、その著『ザビエルの見た日本』にこんなことを書いている。

「この国の人々は今まで発見された国民の中で最高であり、日本人より優れた人々は、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心が強い人で、他の何ものよりも名誉心を重んじます。大部分の人は貧しいのですが、武士も、そうでない人々も、貧しいことを不名誉とは思っていません。」
その後徳川の時代になり、長く鎖国が続くわけだが、その末期にはまた多くの外国人が日本にやってくる。
彼らが見た日本は一様に驚嘆すべきものだった。道徳心が高く、清潔で、一般庶民が読み書き算盤をこなし、いたるところに高い芸術性を備えた文化と伝統を保持している。慄然とせざるをえないものがあったのであろう。世界は重商主義から産業革命を経て、帝国主義時代に入っていて、植民地をどんどん拡大していた時代だ。日本も当然その対象になっていたとしてもおかしくない。しかしどの国も手出しはできなかった。
徳川末期には日本からも様々な使節がアメリカ、ヨーロッパに派遣されているが、ちょんまげに帯刀したその姿からは想像もできない気品と格式を備えていて、これもまた異国の人たちを驚かせた。
アメリカのボストン美術館は日本の絵画、彫刻を買いあさり、ヴァン・ゴッホはなんとか日本に行きたいと思い続けた。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は鈴虫を大切に育てその音色を愛でる日本人の繊細な心に打たれ、日本人以上に「国粋主義者」になってしまった。アインシュタインは初来日の折、日本人の持っている優美な芸術・伝統、個人に必要な謙虚さと質素さ、純粋で静かな心、そのすべてを兼ね備える「美しい日本」を心あつく語っている。
明治政府の元勲もまたしかり。彼らの多くは明治維新のときは、岩倉具視が40才を少し超えて最高齢、伊藤博文、大久保利通、木戸孝允、西郷隆盛など等みんな40才以下だったから驚きだ。中でも「国賊」西郷隆盛は明治政府の最高幹部に上り詰めた時にもその清廉潔白さで知られ、政敵からも福沢諭吉、内村鑑三、新渡戸稲造といった主義主張を異にした人々からも深く尊敬されていた。
NHKの大河ドラマ「篤姫」で西郷がどのように描かれていくか、たのしみにしている。
 
こうした日本を思い起こすとき、今の時代は果たしてどこに「日本人の品格」を見出したらいいのだろう。
四川大地震で日本の救助隊が亡くなった中国人母子にささげた最後の敬礼は「日本人の品格」をかろうじてつなぎとめている。