ヒグラシ

★☆★ ヒグラシ ★☆★
 
またまたやってきた。梅雨明け時分になるとどうしても寝不足になる。あの清澄な音色に朝まだきから目が覚めて、にもかかわらず脳波はアルファ波状態、なんとも摩訶不思議なひと時を過ごすことになる。
夜がまだ明けるか明けないころ、遠くで一匹「ききききき・・・」と最初に鳴きはじめると、また別のところで一匹、そしてまた一匹と、しだいしだいにその狼煙は伝播し、やがて大きなうねりが押し寄せてくるようにヒグラシの鳴き声があたり一面にこだまし始める。
開け放してある窓からはひんやりとした冷気が忍び込み、ヒグラシの鳴き声と山の冷気が夏の到来をコラボレイトする。覚悟を決めなければならない。これから一ヶ月くらいは毎朝こういう状態が続くのだから。でもなんという至福の時か。
夏の風物詩も時代とともに様変わりしてきた。特に都会の街中では、朝顔の数もめっきり減ってきて、夜ともなれば、道のあちこちに床几を出して手に団扇、そばで子供が線香花火という光景もあまり見かけなくなった。みんなどうしてこの暑い夏を過ごしているのだろう。マンションが建ち、ビルが建ち、道という道は奇麗に舗装され、それはそれで美しくもあり、機能的で快適な一面もあるのだろうが、何か足りないものがある。特に子供の姿を見掛けない。走り回って、キャッキャッ、キャッキャッと騒ぎまわっている子供を見かけない。ましてやパンツいっちょでいる子なんてもう絵にも出てこない。たらいを出して水道のホースで水を浴び、水のかけっこをしている子ってどこかにいるんだろうか。
いっぽう、北アルプス、南アルプス、富士山、もうどこに行っても人がいっぱい。山小屋なんか、仰向けになって寝られない。左肩か右肩を横にして胸の幅でしか寝られないところなんてざら。昔、槍と穂高の間にある南岳小屋に泊まったとき、あまりの客の少なさに、居合わせた女性グループから「怖いから近くで寝てよろしいか」と言い寄られ、こそばゆい思いもしたものなんだが。河川敷の花火大会、夏祭り、海外脱出行、もうどこに行っても人、人、人。
さてさて、このヒグラシだけは昔も今もいっしょ。夕方、日が落ちる頃にも三々五々と鳴きはじめるが、あちらにポツン、こちらにポツンと遠くの家の明かりがともり始め、夕餉のしたくか、お風呂を焚く煙か、淡い煙が立ち始めると、潮が引くかのようにヒグラシも消えていく。
夢かな、うつつかな。