温室効果ガス25%削減

☆★☆ 地球温暖化の影響 ☆★☆
鳩山首相が国連で、2020年までに温室効果ガスを1990年比で25削減する新たな日本の中期目標を国際公約としたことについて国内外に大きな波紋が広がった。
「温室効果ガス」という話題の言葉もそうだが、みんなは何とはなく分った言葉として流通させているわけだが、できたらその内実をもう少し理解したうえで流通させるに越したことはない。
地球の現在の平均気温は約15度で、この「温室効果ガス」がなければ、地球の平均気温はマイナス約18度になっているはずで、今の地球の環境とは少し事情の違った地球になっているということはあまり知られていない。
つまり、今の地球環境に「温室効果ガス」は一定の寄与をしているわけだ。太陽光が地上に降り注ぎ地球を暖めているのは確かだが、もし「温室効果ガス」がなければ、地上に降り注いだ太陽熱の大半は再び宇宙空間に放出するわけで、地球を取り囲むオゾン層、二酸化炭素などの気体が地上からの放射熱を保留し、今の平均気温15度を保っている。それを「温室効果ガス」というわけだ。
このことをまず認識したうえで、いま語られている温室効果ガス問題であるが、18世紀におこった産業革命以来、人類は大量でかつ効果的なエネルギーを必要とし作り出してきた。その累積と二十世紀に入ってからのさらに大規模なエネルギー革命、それに伴う地球環境の破壊が、今の平均気温15度を上回る気温上昇を招くだろうと危惧され始めてきたわけだ。
自分の体温に引き換えればよくわかるわけだが、平熱が36度の人が37度になったらどうだろう。体の調子がちょっと変だなあと思うだろうし、38度つまり2度上がればかなりしんどく(注;「しんどい」は方言で「疲れた」が標準語だそうだが、?)なるだろう。3度上昇すれば寝込んでしまうし、4度上がって40度になればもう危険体温だ。それと同じことが今地球におこることが予想されているわけだからことは重大だ。実際このまま事態を放置すれば、21世紀末には今から5~6度の気温上昇するだろうというかなり確かな予測をする学者もたくさんいる。体温だと42度だ。ペストで死んだと言われている平清盛が死に際、お腹で湯を沸かしたと面白おかしく言い伝えられているけれども、その体温が42度くらいだ。
今はまだ1度上昇したくらいだからしんどいとやっと自覚し始めたところだが、今から早急に対策を打っていかなければ、10年から20年、後手に回ればもう加速度的に気温が上昇し、どんな対策も効果なしの状態になることも予測されている。北極海から氷が消え、南極の氷の層がが大幅に薄くなり、氷河が消え始め、ツバルという南太平洋ある国が水没し、世界のいたるところで異常気象が猛威をふるい、その兆候はいたるところで起こり始めている。
鳩山演説は政治家の演説ではない。科学者の演説だ。
実業に携わる方面からの批判は保身のためだとしか思えない。冷やかで反応の鈍い国家指導者もまたしかり。世界のみんなが正しい知識と判断力と実行力を持たなければ、一握りの「指導者」に任せていては、手遅れになる恐れがある。
核拡散不拡大、核放棄は本当に世界がその気になれば短期間で解決できるが、温室効果ガス問題はそういうわけにはいかないから早く覚悟を決めなければならない。
科学・技術立国、平和立国の日本が21世紀の世界をリードする絶好のチャンスでもある。

晩夏と初秋

 
☆★☆ 坊が鶴賛歌 ☆★☆
 
山に入るともう秋の気配、海辺を歩くとまだ夏の名残り、秋のシルバーウィークはくしくも「折節の移り変わるこそ 物ごとにあわれなれ」を体感した。
標高八百メートルちょっとの山だったが、木々の葉はぼつぼつ黄ばみ、時折吹きあがってくる沢風に冷っとするものを感じる。山道は千メートルを超える山もこの山もしんどさは一緒だ。上を見ずに足元だけを見て一歩一歩歩まないとこのしんどさに耐えられない。真夏ならいくら木々が生い茂っていても道は明るいが、今歩く道はもう暗い。時折聞こえてくるツクツクボウシの鳴き声も鳴き方がへたくそだ。秋の山道は音も静かだが、気配がそれ以上に静かだ。やっと辺りが明るくなって見上げた空には、雲ひとつなく晴れ渡っているけれど、上空高くに寒気が覆っているのだろう、薄く薄く霞が漂っている。ふもとの小さな食堂で、おやじにせかせて作らせた弁当がうまい。塩鮭が塩分の補給になったのか食べると元気になってきた。頂上から七キロくらい下がったところに温泉がある。さあ、その温泉を目指して下るとするか。

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さざ波が立ち、時々白い波頭が見える。その海風が耳元をかすめると心が躍る。ぎらつく太陽はまだ夏をとどめ、さざ波に散乱させられた光線が真昼のイルミネーションを作り出している。ここも静かだ。遠くのほうに釣り人が見えるがそのリールの音が間近に聞こえる。漁船が一隻、はるか沖合をゆっくり右から左に動いているがそのエンジン音もかすかに聞こえてくる。あとは足元に寄せては返すひたひた音だけだ。耳をじっとすますと、そのひたひた音の中から死んだおやじとおふくろの話し声が聞こえてくる。一緒に暮らした叔母の声が聞こえる。なんだこれは。風が運んでくるのか、波が運んでくるのか、自然に帰った魂がきっとここでは聞こえるのだ。
それにしてもみんなどこへ行ったんだろう。山にもいない。海にもいない。これがぼくが見た晩夏と初秋の風景だ。

民主党政権と維新

 
 ・三条実美(31歳) ・岩倉具視(43歳)・木戸孝充(35歳) ・西郷隆盛(40歳) ・大久保利通(38歳) ・伊藤博文(27歳) ・井上馨(32歳) ・山形有朋(30歳) ・西園寺公望(19歳)
 ここにあげた9名はいわゆる「明治の元勲」といわれる人たちと、明治元年つまり西暦1868年当時の年齢である。
 江戸幕府を倒し、明治維新を切り開き、明治の政治に重要な位置を占めた勤王志士出身の政治家たちをのちに「明治の元勲」と呼ぶようになったわけだが、広義には、板垣退助(31歳)、福沢諭吉(33歳)、大隈重信(30歳)といった人たちも含めていうこともある。
 短期間でほぼ独力で立憲制度に基づく近代国家を作り上げ、西洋列強に肩を並べる国家に築きあげたことは、諸外国からも奇跡と受け止められ、特にアジア諸国においては、明治維新を模範とする改革や独立運動を行おうとする動きが活発になり、中国からは大量の留学生が送り込まれ、中国近代化の父と呼ばれる孫文をはじめ、周恩来、魯迅といった人たちも日本で学ぶことになるのであるが、そうした礎を築いたのが「明治の元勲」といわれる人たちだ。
 地方を旅していつも驚くのは、山を抜け、谷をわたる鉄道だが、この鉄道網も明治の初めには全国通津裏裏に張り巡らし、どんな人里離れた所にも学校を建てて学制を敷き、近代教育を国民全員に施したことが、その後の国の発展にどれだけ寄与したことか、今や思いを致す人は少ない。
 そして今、民主党が50余年来の自民党支配を打倒し、「維新」にも匹敵するかのようにいう人たちもいるが、果たしてどれだけ世の中が変わるやら。
 何をやるにもやはり「若さ」は大切だ。物事をたくさん知り、経験を多く積んだことよりも、怖さ知らずで突き進む馬力が必要な時もある。
 鳩山さんやら小沢さんも、またそのほかの政治家たちも、「明治の元勲」に勝る馬力があるとはとても思えない。