西国三十三箇所を巡り終えて

♪♪♪ 西国三十三箇所御詠歌 ♪♪♪

「西国三十三箇所巡礼」とタイトルに謳いたいところだが、おこがましくも「巡礼」というほどの信仰心をもっての旅ではなかった。
4年前の2005年(平成17年)9月18日、第一番札所である和歌山県紀伊勝浦町にある「那智山青岸渡寺」から始まった西国三十三箇所巡りを先日、2009年(平成21年)11月23日、最後の第三十三番札所である岐阜県揖斐川町にある「谷汲山華厳寺」でやっとのことで終えた。
思えば、本屋さんでたまたま西陣織の表紙の付いた「西国三三所観音霊場御納経帳」を見かけたのが動機といえば動機だった。
本の見開きに「観音菩薩」の絵があって、各ページには札所札所のお寺の水彩画が描かれてある。昔住んでいたところに「富田」さんという画家がおられて、画風がとてもよく似ているが、納経帳のどこを探しても作者の名前が見当たらない。どなたが描いた水彩画か知らないが、ここに描かれたお寺をこの目で見たいという思いと、そこを1,000年余という歳月を超えて巡ってきた人たちの思いを探ってみたかったというのも動機の一つにはなったような気がする。
札所一番の「青岸渡寺」は和歌山県の紀伊勝浦にあるので、車を持たない僕は、世界最軽量の自転車DAHONを買い、これを担いでJR紀勢西線の「くろしお号」に乗ったのが旅の始まりだ。「ホテル浦島」の洞窟温泉で旅支度を解いた翌日、標高600m位の「青岸渡寺」を目指し一気に駆け上った思い出が沸々と蘇ってくる。
思い起こせば、三十三のどのお寺にもその石段には過去幾多の人たちが踏み込んだ足跡が刻みこまれ、寺門や御堂の至る所に張られた「千社札(せんしゃふだ)」という紙のお札には、現世でへばりついた垢を少しでも拭い去り極楽往生を願う、ある意味強欲な「人の身勝手」も感じられなくもなかった。
それにしても総行程1,000kmに及ぶといわれる「西国三十三箇所」を昔の人たちは歩いて巡ったわけだが、どのお寺も総じて険しい山道をたどらねばならない場所にあり、いったい人をして今に至るまで何がここまでに執着させるのか、どんな思いも一点、やはり誰も避けることのできない「死」に対する恐怖、戸惑い、心づもりからであり、そしてそれらをいっとき忘れことができる巡礼の苦しさ、また楽しさなのだろう。

老い

 
やだねェ!
認めたくないんだよね。自分が歳を取っているってことをね。だから何が苦痛かって歳を聞かれることほど苦痛なことはない。
この間も、近くの中学校がボランティアを募集していてね、学習支援をしてくれないかってーの。
今勉強教えている生徒が、「先生応募しろよ、俺が書いてやる。」って折り込み広告の応募欄に勝手に書きだしてね。名前、住所、そして歳を書かねばならないの。
「先生、いくつ?」― とたんに応募する勢いが萎えてしまったね。歳書かねばならないんだったら「いいや」ってね。(ちなみに、アメリカではこれは差別だとして老人の社会的活動で年齢を確認することはない。年齢差別ーエイジズムー
それでもしつこく聞くもんだから、「60前後って書いとけよ。」と言ったら、生徒、その通り書いちゃった。そして「あす、出しとくよ。」ってその応募用紙を持って帰って行っちゃった。
もう1週間も経っていて中学校からは何の連絡もないから、言った生徒が出していないか、歳をいい加減に書いたもんだから、いい加減な応募と思われたのか。はたまた、やはり歳が歳だからなのか。
(注;結局は要請があったんですがね)
ことさように歳を聞かれるのは、やだねェ。
それにね。
いちばん身近な人から、孫のことを話しているときによく「○○じいさん」って呼ばれるのも嫌で嫌でしょうがない。こんな呼び方、いじわるとしか思えないよね。
「お前さん、若くないんだよ!」って面と向かって言われているようなもんだもんね。自分と同じ年寄りに引きずり込みたいのか、この野郎!ってまったく顔が引きつるよ。
 
「老い」は避けがたいことで、自身もちょっとした動作にも苛立たしさを感じることもしばしば。逆らうにも逆らえようがないのがつらいね。
でも、人からは指摘されたくないし、ましてやそんな扱いをされたくもない、と思っているんですがね。
しかし社会の現実は、これでもかこれでもかと「老い」を押し付けてくる。
まず働かせてくれない。これでもまだお役にたてることはあるんだがなあ、とは思ってはみても、所詮は独りよがり。
しかたなく、スーパーマーケットに行ったり、コミュニティ広場に出かけてみたり、人が集まるところにはよく行くんだが、どこも老人だらけ。
こんな中に入りたくないと思ってはいても、結局は入ってしまっているんだよね。
やだねェ!まったく、やだ、やだ!