大発見、大発見 ― ジェルソミーナ ―


ある人と映画の話をしていて、感動した映画は? と聞かれ、すぐ思い出したのが「道」。
イタリアの映画で、フェデリコ・フェリーニが監督し、荒くれ男の大道芸人ザンパノがアンソニー・クイン、知恵遅れで純真なジェルソミーナがジュリエッタ・マシーナ、脇を固める綱渡り芸人がリチャード・ベイスハート、のたった3人によって、ニーナ・ロータの哀愁に満ちた「ジェルソミーナ」が流れる中、物語られていく典型的な道行映画である。
1954年の作品というから、計算すると、ぼくが11か12の時に見たことになるんだが、ずいぶんませていたんだなあ、と今更ながら自分を振り返る。
きっと、ジュリエッタ・マシーナが演じるジェルソミーナの何とも言えない純真な愛くるしさが、その年ごろの少年の心にも響くものがあったのであろう。。
あらすじは、
「道」をクリック ⇒ ☆★☆「道」☆★☆
を、見ていただくとして、
またまた、これがきっかけで嬉しい出会いがあった。
You Tube に出ていたこの「ジェルソミーナ」だ。
「ジェルソミーナ」をクリック ⇒♪♪♪ 「ジェルソミーナ」♪♪♪
Brabo! 素晴らしい!
ニーナ・ロータといえば、コッポラの「ゴッドファーザー」、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」など、数多くの映画音楽で有名だが、この「ジェルソミーナ」がぼくにとっては一番だ。
ハーモニカには、これもぼくにはせつない思い出があり、ここのブログリスト「ハーモニカ」にも載せてある。
是非「道」も見ていただきたい。そしてこの「ジェルソミーナ」も一緒に聴いていただきたい。
ぼくの映画遍歴はこのブログの上欄 「My Favorite Movies」に載せています。ご覧ください。

After Twenty Years ―その後―

☆★☆ After Twenty Years☆★☆

アメリカの短編小説家オー・ヘンリーに「After Twenty Years」という名作がある。
New Yorkで兄弟同然に育った18歳のBobと20歳のJimmyは、レストラン「Big Joe」で20年後の再会を約束し、翌朝、西部に運命を託すBobは、New Yorkをこよなく愛し離れることができないJimmy を残し旅立っていく。そしてちょうど20年後の午後10時、ダイヤモンドをちりばめた腕時計姿の’Silky Bob’は、氷雨降るNew Yorkの約束の場所で立っている。そこに警ら中の警察官がやってきて、ふた言み言ことばを交わすが、警察官はそのまま立ち去っていく。すぐその後、Jmmyになり済ました私服刑事が近づいてきて、指名手配中の’Silky Bob’を逮捕、連行していく。刑事から手渡されたJimmyの手紙には・・・。と、ざっとこんな話だ。
Jimmyは、はたして、約束を覚えていてそこにやってきたんだろうか、偶然やってきて、といつも思うことだ。
お彼岸の中日、偶然出くわした人の群れに巻き込まれるまま、ある有名寺院に参詣することになった。
その人込みを歩いていく中、すれ違いざま、30歳前後の女性と一瞬視線があった。確かに見覚えのある顔だ。もう10年以上も前に教えたことのあるAさんに違いない。美人で特徴のある顔だったからよく覚えている。向こうは気づいたのかどうか、気になったぼくは、UターンしてそっとそのAさんの後を追った。ひとりで、ジーパン姿に大きなハンドバッグを肩からしょい、歩く姿に元気がない、どこか拗ねた歩き方だ、と思えた。ときどき立ち止まっては露天の店の商品を覗き込んでいる、その時見える横顔に、あの昔のはつらつとした表情とは打って変わった精気のなさに、わが身も顧みず、10年の歳月の流れと彼女がたどったその後の人生に思いを馳せた。極端にいえば全くの人違いかもしれない。たまたま、その日はそんな姿かたちであったのかもしれない。できたら、人違いでもいい、言葉をかけてみたかったが、そんな勇気も湧いてこず、たとえAさんであったとしても、Aさんは喜ぶはずもないだろうと、あきらめた。

葬式は、要らない―島田裕巳―

☆★☆ 葬儀の費用 ☆★☆

書店には今年早くから置いてあった。行くたびに気にはなるのだが買って読もうという気にはなかなかならなかった。気にはなるのだがそれに抗う気持ちもあり、実に複雑な心理だ。しかし読んでよかった。今読みかけの別の本を擱いて、本当に一気に読んでしまった。そして今、多くの人たちに是非読んでもらいたい本だと思う。
著者は宗教学者の島田裕巳氏。裏表紙には次のように書いてある。
『日本人の葬儀費用は平均231万円、これはイギリスの12万円、韓国の37万円と比較して格段に高い。浪費の国アメリカでさえ44万円だ。実際、欧米の映画などで見る葬式はシンプルで、金をかけているように見えない。対して我が国といえば巨大な祭壇、生花そして高額な戒名だが、いつからかくも豪華になったのか。どんな意味があるのか。古代から現代に至る葬儀様式を鑑みて日本人の死生観の変遷をたどりつつ、今激しく変わる最新事情から、葬式無用の効用までを考察。葬式に金をかけられない時代の画期的な1冊』
確かに結婚式と葬式には多額の費用がかかるというのは日本人なら共通の認識だ。結婚式なら分からなくもない。これから新しい希望に満ちた二人をできる限り豪華に船出させてあげたいというのが人情だ。それに結婚式はだれもが挙げるわけでもないし、豪華に挙げたからといってその二人が皆の期待にこたえるわけでもない。結婚しなくとも幸せな人生もあれば、二人だけの祝杯でだれよりも幸せな人生を送る二人もいる。
しかし、死は万人に必ずやってくるし、突如としてやってくる。結婚式を目指して胸ときめかせながら準備するのとはわけが違う。だれか身内の者が死ねば、さてすぐさま葬式のことを考えなければならない。1週間の猶予もない。式の段取りも何も分からないから専門業者に任せるしかない。なにやかやで結局平均231万円の費用がかかるということになってしまうのだろう。しかも葬儀だけでは済まない。お墓のこと、年忌法要のこと、もろもろを足せば、その費用は2倍にも3倍にもなりかねない。
この本ではそうした日本の葬式に関して歴史的、宗教的考察を加えたうえで、いかに日本の葬式が贅沢であり、「葬式仏教」に堕落した仏教界と都合のいい時だけ仏や寺院に押し掛けるわれわれ世俗の宗教観の矛盾を曝け出し、もっと合理的に葬式、人の弔い方を考えてみようではないかと提言している。
今は大半の人たちが病院で死を迎える。故人の遺体を自宅に搬送し、近親者だけで通夜をし、会葬者を呼ばない。翌日霊柩車で火葬場へ出棺、近親者だけで故人に別れを告げ、荼毘にふす。こうした直葬が東京都ではもう20%に達しているそうだ。葬式に要する費用はしめて10万円から30万円程度。諸般の経済事情、社会や宗教観の変化、もろもろの変化が葬式にも変化をもたらしているわけだ。
昨年だったか、一昨年だったか、映画「おくりびと」にはすごく感動した。
やがてやってくる自分の終末をじっくり考えてみなければならない。