心療内科って?

☆★☆ オーバードーズ ☆★☆

「医院が「心療内科」を掲げることができるようになったのは平成8年、1996年だから、「心療内科」ができてまだ20年足らずくらいしか経っていない。
「病は気から」という言葉は昔からあり、医学の分野では「心身医学」として、心と病の関係は早くから取り上げられてきたわけだが、それを具体化したのが「心療内科」である。
ちなみにこの「心療内科」という科目があるのは日本とドイツだけで、日本の大学の医学部でもこの講座がある大学は多くない。
本来、「心療内科」は「内科」という言葉が付いているように、消化器とか、循環器とかの疾患の治療にあたるのだが、原因が心(精神)にある場合、精神面から治療を施すことによって臓器の治療、回復を図るのが目的なのである。
ところが昨今、鬱とか、統合失調とか、今までなら「内科」ではなく「精神科」に通うべきはずの患者が、この「心療内科」に殺到しているそうだ。生徒の中にもそうした者が最近多くて気になっている。
「精神科」はどうも昔からの暗いイメージが染みついていて行きにくいが、その点「心療内科」は抵抗感なく気軽に行けそうな気がする。
なるほど、「心療内科」にも二系統あって、「内科」から衣替えしたのと、「精神科」から衣替えしたのとがあるそうで、もともと「精神科」であったところのほうが多いと、ものの本には書いてあるが、ぼくの知る限り、もともと「内科医院」だったほうが多い気がする。
それはそれとして、この行きやすい「心療内科」、あまりにも行きやすくなったものだから、どうも安易に行く向きが多いようで気になる。
鬱といえば鬱のような気もするし、なんやら障害といえばそのなんやら障害のような気もするんだが、別に病院にかかるほどでもないんじゃないと思えるような人まで、気軽にこの「心療内科」にかかる。
しかも問題なのはそれからなのだ。
この20年の間に精神医学が飛躍的に発展した。今までタブーにされてきた脳科学の研究が電子機器等の発達によってタブーでなくなり、それから生み出された成果が薬にも反映され、今まで精神療法でしか治療できなかった心の病が、大きく薬物治療に依存するようになった。今まで手の施しようがなかった重度の「鬱」も薬を飲めば劇的に効く。「心療内科」で処方される薬も実に効くそうだ。ちょっとしたイライラ感、睡眠不足、無力感、正常でなく心に引っかかりがあるとすぐ「心療内科」に行き、それもたいがい親が行かせるんだが、薬をもらい、正常に戻る、を繰り返している生徒に何人も出会った。
本来の薬物依存とまではいかないのかもしれないが、それに近いような安易さが気になってしょうがない。
今まで顕在化しなかった心のちょっとした異変が病院に行けば「…症候群」だったり、「・・・障害」だったり、必要もない病名が名付けられ、まるで10人いれば十人十色、その誰にでもそれなりの病名をつけられそうな状況だ。
怖いのは、精神医学が短期間に高度に発展した結果、こうして安易に薬に頼り、またまた「人間の浅知恵」に終わりはしないかということだ。

惑星探査衛星「はやぶさ」の成果

月までの距離が360,000km、小惑星「イトカワ」までの距離が300,000,000km、敢えて距離をこう表示したのも距離感を実感していただきたいからだ。
ちなみに、火星までの距離が80,000,000kmだから、「イトカワ」は月はおろか、火星のさらに彼方にある、直径わずか300m、長さ500mほどのジャガイモの形をした小惑星なのである。
しかも、ここ1億年の間に地球に衝突する可能性があり、衝突した暁には、恐竜絶滅の原因になった過去の小惑星衝突とは比べ物にならないほどの被害を地球にもたらし、人類絶滅の危険性もあるといわれるから、なんとも恐ろしい小惑星なのである。
その小惑星に、日本の惑星探査衛星「はやぶさ」が2003年5月に打ち上げられ、2005年11月ごろに着陸し、7年間、60億kmに及ぶ宇宙の旅を終えて、その土壌サンプルを持ち帰ったのだから、ぼくのように少し科学に関心を持つものならば、驚きと日本の宇宙科学の素晴らしさに、快哉を叫ばずにはいられないわけだ。
たとえて言えば、東京から鉄砲を打って、沖縄にあるゴルフ場のバンカーにあるゴルフボールを打ち抜くようなもの、それ以上なのである。
全重量500Kgだから、軽自動車800kgに比べても少し小さいくらいだが、最先端科学の粋を結集した探査衛星で、使われたエンジンは「イオンエンジン」という、これまた世界の最先端を行く未来エンジンなのである。日本の宇宙技術がNASAを越えたといわれるゆえんである。
テレビで「はやぶさ」がオーストラリアに帰還した様子が放映され、若者たちが万歳を三唱し、涙を流す者もいた、あの場面と意義をどれだけの人たちが理解できたであろうか。
これを一部の科学マニアの感傷だと放っておいていいのだろうか。未来に希望を託す若者たちを突き放していいのだろうか。
この「はやぶさ」プロジェクトにしても、予算は、当初17億円であったものが例の「事業仕訳」で7千万円に減額され、さらに今や3千万円である。 プロジェクトは中断を余儀なくさせられているのだ。
日本も今や経済大国2位の席を中国に譲り、韓国のサムスンには日本の電気メーカーが束になってもかなわなくなり、大学新卒生の就職もままならない、何もかもに閉塞感の漂う現状に甘んじていていいはずがない。
日本経済を引っ張ってきた自動車産業ももうぼつぼつ曲がり角に差し掛かっている今、これからの日本の未来を切り開いていくのは、こうした宇宙産業であり、原子力発電など新しいエネルギー技術であり、iPS細胞から創出される再生医療技術、環境技術である。
アメリカの宇宙産業は軍事面と深く結び付いていて、その成果が世界最大の武器輸出国になって跳ね返り国の財政を潤し、イギリスも、フランスも今や中国も同じなのである。世界が今最も注目する「武器輸出国家北朝鮮」をはるかにしのぐ武器輸出国なのである。
軍事産業が国の産業技術を先導し、発展させ、国家の財政を潤しているのは紛れもない事実であるが、日本はそういうわけにはいかない。
そうした中、「はやぶさ」の成果は、これからの日本の歩むべき方向を指し示しているだけでなく、今の若者に勇気を与え、希望を持って世界に伍していける未来産業の端緒になるのである。

母校を訪ねて

♪♪♪ 学生街の喫茶店 ♪♪♪

 

香港在住の友人が来日することになり、初夏の陽光も眩しい古都奈良を訪ねた。
先月5月2日にも「遷都1300年祭」を開催している平城京を訪れ、その際訪ねた奈良公園は、吹く風にもまだ肌寒さを感じるほどで、木々はまさしく若葉眩しいころであったが、たった1か月で緑も深まり、行き交う人もすっかり夏衣裳に変わっていた。
行きの車中、お互い昔同じ地域に住んでいたことは分かっていたが、同じ高校の同窓生であることまでは知らなかったから、それを聞いたときは奇遇の不思議さに二度びっくり、最初訪れる予定であった紫陽花の「矢田寺」もいつの間にか通り過ごし、ただただ思い出話に花を咲かせることになってしまった。
公園についても、歩けば歩くほど汗ばむほどで、涼を求めて入った食堂の和室で美味しいそうめんの定食を取りはしたが、それ以上の散策もあきらめ、それでは母校を訪ねてみようということになった。
奈良郊外もすっかり昔とは趣も変わり、新しい住宅街が延々と続くなか、大阪と奈良の県境を越えたところにあるわが母校を目指した。
幹線道路からどの道をたどれば母校にたどりつけるか、昔なら、この幹線道路から田んぼをへだててはるか向こうに見えた母校がもう今では家、家、家で全く見えない。
ええーい、ままよと入った道をたどると、昔はいかにも田舎の駅舎であった国鉄の駅舎はなく、モダンで大きなJRの駅ビルディングに変わっている。辻違いであった。
ここから少し離れた踏切りを渡って母校にも行けたが、いまは一方通行で車では渡れない。仕方なく元の幹線道路に引き返し、探し探しやっとのことで母校に辿り着くことができた。
と言っても最初は母校とは分からず、また道を間違えたのかと思ったほどだ。
学校を囲む高いコンクリート塀がモダンな鉄製のサッシ塀に代わり、薄汚れた校舎としか印象が残っていない校舎が薄く明るいベージュに色塗られ輝いている。校門もすっかり昔と違う。
しかし校門を入ると確かにわが母校だ。右に小さな庭園があり、こんもりとした木立は昔と変わらない。その横の校舎の入り口も昔のままだ。古い木製のドアで厚手のガラスが入っている。入ると大きな古い振り子時計があり、アーチ型の天井が向こうに続く廊下は何とも懐かしい。
土曜日だから学校は休みだが、クラブ活動の学生たちがあっちこっちにたくさんたむろしている。
友人は、校門の左にあった大きなクスノキがないとしきりにつぶやいている。
校門からすぐ向こうに見える小高い山のふもとには神社があり、友人はそこで「初キス」をしたと山を見上げて突然告白した。恥ずかしそうな姿が初々しい。
夏休み、裸で勉強した教室はどこだっけ、ぼくをよく呼んでお茶をすすめてくれた社会の先生はどの部屋だったけ、校門の前で仁王立ちになって遅刻生をにらみつけていた「ドンコ」(近藤先生)はもう立っていないのかなあ、・・・・・
思い出せば思い出すほど、ただ、胸が熱くなるばかりだ。

水無月そして薪能

♪♪♪ 薪能 ♪♪♪
 
今日から6月。旧暦でいう水無月だ。梅雨の月なのに水無月というのも変だが、旧暦の6月は新暦の7月後半に当たるから、まさに梅雨が明けて、カラカラの真夏で水も枯れるから水無月というのが有力な説だ。ただ奈良時代頃の古語では「無」は「の」の意味で、「水無月」は「水の月」という意味にもなるので、これも一説だ。
それにしても月日の経つのは全く早いものだ。月並みな感想だが実感だからしょうがない。
梅を追い、桜を追い、バラを追いかけていたらいつの間にか菖蒲ですぐ紫陽花だ。もう今年も半ばにさしかかっている。
花ばかり追いかけるのも歳のせいだといわれるのはしゃくだから言っておくが、昔は高山植物にとりつかれ命を賭して深い山々まで分け入ったこともある。
自然の造形はなぜかくも美しいのか、なぜこんなに美しくなければならないのか、人を喜ばせるために単に美しいわけではないだろう。
そこにはやはり己が生命の保全と種の永遠性を保つための進化と適応性から生まれ出た象形が美しさとして感知されるのだろう。
フィボナッチ数列というたわいもない数列が、自然の造形美を人に説明していることはつとに知られている。
オウム貝の渦巻き、ヒマワリの種の配置、松ぼっくりの鱗片の付き方、マウスの繁殖の仕方、植物の葉の付き方、はたまた、パルテノン神殿の構造美、北斎の「神奈川沖浪裏」にみられる構図の美しさ、数え上げればきりがない。
自然の造形美が数(すう)であらわされる神秘は、自然のそして人工の造形美にも法則があることを告知している。でたらめではないのだ。
その自然の美しさに人は見とれ、ため息をつき、歳をとればとるほどひきつけられるのは、暇だからでもなければ、心に余裕ができたからでもきっとない。
神にすがり、仏にすがるのと同じで、命の安全性、永遠性を願ってのことに違いない。目の前に具象化された花々の美しさにそれを観るのだ。
6月1日と言えば、京都では平安神宮で「薪能」が奉納され、学生時代には毎年のように出かけていたものだ。夕闇の中で篝火が焚かれ、平安神宮の朱塗りの社殿が映し出されるなか、特設の能舞台が闇夜に浮かび上がり、幻想的な雰囲気が辺りを包む「京都薪能」は、今や京都の初夏の風物詩となっている。
緩にして急、能舞いからも窺える人の一生は、まさに花と同じ、緩にして急なのである。