自転車レーン

全国の都市部にある幹線道路3万㎞余のうち、車道の両端に歩道とは別に1.5m以上の余裕がある主要道約8100㎞の8割強に当たる約6600㎞で、自転車専用の通行帯「自転車レーン」を容易に設置できることが、国土交通省の研究者の試算で分かったそうだ。
8100㎞の内1300㎞は1車線あたり1日の交通量が2000台以上の大型車両の通行も多いため、柵や縁石などで物理的に車道と分離した「自転車道」を設けなければならないが、この6600㎞は物理的な分離までは必要なく、車道左側に線を引くだけの「自転車レーン」を設置すれば、比較的安価で整備できるという。
残りの200㎞は車の交通量が少ないことなどから、自転車が車道を走行しても危険性が少なく自転車専用通路の整備は必要ないとした。
ちなみに、警察庁による08年度末現在の自転車レーンは全国でわずか178㎞というから、「自転車先進国」である欧州諸国に比べると、日本の道路行政が、いかに自動車中心であり、人や自転車を排除したものであり、「時代遅れ」なものであるかがわかる。
ぼくは毎朝6km位をウォーキングしているんだが、遊歩道が整備されているのは1㎞足らず、残りは、いいところで幅1mにも満たない歩道が、それも凸凹の段差だらけ、自転車でなんてとてもとても通れるものでない代物だ。それでも歩道はあるだけでもまだましで、道路に白線を引いてあるだけの区間も多く、すぐ横を自動車が猛スピードで駆け抜けているから恐ろしい。
関西では琵琶湖にかなり整備された自転車専用道が設置されていて、距離も長くて景観も素晴らしく、日曜・祭日にはたくさんの自転車愛好家やウォーキングを楽しむ人たちが集まってくるのだが、願わくは早く琵琶湖を周回してほしいものだ。
「道」は大切だ。太古から、人が行き交い、物が行き交い、今日まで文明・文化を切り開いてきた。時代とともに、初めは人が歩き、馬に乗り、車に乗り、そして自動車に乗り、要所要所には町ができ、世界はどんどんどんどん広がってきた。
さてさて、こんな時代だからこそ、「道」をもっともっと考えてみなければならない。

朝まだき

日の出6時過ぎ、気温18℃、今日初めて長袖シャツを着こんでウォーキングに出かけた。あの酷暑がうそのよう。山の端から朝日が頭をのぞかせると、目の前に広がる田圃が金色に輝き、穂先に垂れ下がる朝露が丸くカットしたダイヤモンドのように陽光を屈折している。そこここに咲く彼岸花はスポットライトを当てられた千両役者のように秋をいっそう際立たせ、田んぼの一角になぜかぽつんと立っている金木犀からはあの何とも言いようのない芳香が漂ってくる。目を右に移すと、秋祭りの献灯提灯がもう何十個もずらっと並び、これから始まる今年最後の大騒ぎを控えて、まるで嵐の前の静けさだ。

こうして季節は巡り、秋の風情も昨年と変わらないだろうに、今年の秋もまた今までとは違った秋だ。そうだ、自然は未来永劫変わることなく巡るんだろうが、人が変わり、心が変わるんだ。あんなに元気でいた人が今年はもういないし、別の人は病に苦しんでいたり、そんなことを想うとさびしい秋だし、夜になると遠くから聞こえてくる、秋祭りの練習なんだろう、威勢の良い掛け声や鐘、太鼓の音が日に日に熱を帯びてくるのを聞いていると、また生きる勇気もわいてくる。

塵芥に紛れるもよし、自然に浸るもよし、わが同時代人たちよ、悔いなく生きろよ。