黒雲が覆い突風が吹き始めると、次の瞬間、前の竹藪に西日がすっと差し込んだ。若葉で少し黄ばんでいた竹藪は黄金色に輝いた。どこからともなく飛んできた桜の花びらが頭上を舞い、今年の春も嵐とともに幕を下ろそうとしている。ああ、忘れることのできない2011年の春になった。
月別アーカイブ: 2011年4月
さくら、さくら
今年もまた桜に酔いしれた。大阪は岸和田、梅の花がまだ散りやらぬ三月下旬、近くの桜はまだつぼみのままなのに、早朝散歩の途中にある氏神さん境内のたった一本の桜だけが花開いた。開花間近しのお告げである。間近しどころか、数日後にはあわただしくもあたりの桜が一斉に咲き始めた。まったくあっという間だ。
四月二日夜更け、京都高野川を通りかかると、もう満開の桜があたりの明かりを寄せ集めたかのように頭上に咲き乱れている。昼は通りがかりの車が徐行運転するもので大渋滞が起こるそうだ。
翌々朝、志賀からの帰り道、京都大原はまださすがにつぼみも堅い。京都府立植物園にも寄ってみた。枝垂桜だけが満開だ。気温も急に上昇してきた。この分では週末はもう満開だと予想したら、全くその通り。九日十日はもうどこを見ても桜、桜、桜、今年の桜は全く豊満だ。枝もたわわとはこのことで、多分、去年の酷暑を凌いだ勢いが今年こうして花開いたのだろう。
四月十日、京都宝ヶ池を何十年かぶりで訪ねてみた。やはり桜を尋ねてだ。案にたがわずもう花も盛りで、大勢の人が訪れていて、あっちこっちで酒盛りをするもの、ロックを踊っている若者の集団、静かに池の周囲を散策する二人連れ、皆が桜に酔いしれている。
夕刻、少し疲れた。静寂を求めて曼殊院に向かう。桜もさることながら、ここのつつじが美しい。遠くに桜を置いて手前のつつじが映えている。黄色のアカシアとレンギョウ、紫こぶしが心をいやす。
そして日をかえて竜安寺。石庭の向こうに立つ一本の枝垂桜が印象的で、皆が手前の縁側で見とれて腰を上げない。境内はここも桜桜だ。
この先もしばらく遅咲きの桜を尋ねることになりそうだ。
狐の嫁入り
畑仕事を終え、いったん家に帰って大好きなアップルパイとコーヒで一息ついで、さてさて、汗ばんだことだし、近くの温泉でひと風呂浴びようかと外に出ると、まぶしいくらい日がさしているのに大粒の雨が降っている。
狐の嫁入りだ。
いつまでも寒い寒いと言っている間に桜の花が咲き、そしてあわただしく散っていき、今はもうほとんど葉桜になっている。
温泉に向かう山向こうには今年はコブシがあっちこっちに群れ咲き、遠くから見ると桜と見まがうばかりだが、そのコブシも純白を緑に染め始めていて、季節の移り変わりのなんと早いことか。
驟雨とは夏の季語だそうだが、もう夏の訪れかもしれない。
そんな驟雨も止み、道を右にカーブを切ると、明るく輝く琵琶湖が見えた。
なんとなんとその琵琶湖のこちらから向こうの対岸に大きな虹がかかっている。
上り口と下り口がはっきり見える見事な虹だ。
思い出した。
狐の嫁入りの美しい伝承がある。
確か長野地方の言い伝えだったと思うが、狐は天気雨にかかる虹の橋を渡ってお嫁に行くそうだ。
ほんとにそうかもしれない。この虹の橋ならきっと渡って行けそうだ。
おーい、幸せになるんだぞ。
東日本大震災に思う
3月11日金曜日午後2時半過ぎ、ちょうど車に乗っていた。突然カーラジオから地震警報のアラームが鳴り、揺れの大きな地震が来る、津波の恐れがあるから早く避難するようにとのこと。間もなく帰宅してテレビをつけると、東北地方沖を震源とするマグニチュード8.8の大地震が発生し、6mを超える津波が押し寄せる可能性があるという。のちにはマグニチュード9.0で津波は10mを優に超えるところがいたる所にあったわけだから、まさに想定を超える大震災であったわけだ。何十台もの車を巨大な洗濯機で洗うかのような光景や、家が次から次と列をなして流れ出す光景を目の当たりにして、まるで災害映画のCGを見ているかのようだった。
あれから3週間、事態が明るくなればなるほど災害の様相ははるかに深刻で、かねてから懸念されていた原発がその深刻さにいっそう拍車をかけている。こうした事態ははたしてすべて今回の地震が想定外だったことによるものだろうか。
地球上における地震の最大値はマグチュード10とされ、現実に起こった地震ではチリ地震のマグニチュード9.5が過去最大のものである。としたら、少なくともこのマグニチュード9.5には対応できる防備と災害時の対策は立てておかねばならなかったし、地震大国日本はマグニチュード10にも耐えるだけの備えをしておいても過ぎることはない。今回の震災でも、家屋にしろ原発にしろ地震には結構耐えられたが、津波が決定的な打撃を与えた。福島原発がここまで深刻な状態に陥っているのも、肝心かなめの冷却装置が電源を断たれたことによるもので、緊急時の補助電源が地下にあったために津波で水没し機能しなくなったことによる。主電源が断たれたときに機能するはずの補助電源がどういう事態に備えて設置されていたのか。太平洋に面した海岸淵に設置された原発が全く津波を予想していなかったとしか思えない杜撰さだ。さらに驚くべきことは、地震と津波による原発の損傷が早くから懸念され、海水による冷却が進言されたにもかかわらず、海水注入が原子炉廃棄を意味することからその経済的損失を回避することに重点が置かれ、すべてが後手後手に回ったことが、その後の事態を最悪なものにしたということだ。
死亡者と行方不明者を加えると3万人を超えると思われる今回の東日本大震災は、またまた自然の驚異とそれに対する人知の浅はかさを知らしめたわけだが、一方、人知の浅はかさを自覚させ警鐘を打ち鳴らしただけでなく、人の善なる面が凝集され、被災地のみならず、日本全土に、さらに全世界に波及したことはせめてもの救いであり、逆に言えば、いつもこれだけの犠牲を払わねば自省もなければ、ともすれば忘れがちになる人を思いやる心も思い起こせない日常に深く思いを致さねばならない。