今年のさくら ー2013―

毎年この時期になると「さくら」のことが書きたくなる。
と言っても、もう桜もほとんど散ってしまったし、今年ほどさくらに接する機会がなかった年はない。
看護師を目指す21歳の若者二人と医師を目指す20歳の女性が頼りにしてくれ、なんとか彼らの力になりたいものだと老体に鞭打つ日々が続いているせいかどうか。
でもありがたいものだ。桜もいいけど、やはりこんな若者がもっといい。なんとか花を咲かせてやりたい。

そんな中、古文の授業で、
『さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな』
と歌った平忠度の歌がたまたま出てきて、大好きな歌人なものでつい熱が入り、うんちくを傾けることになった。

『平家物語』には数々の名場面があるが、「忠度の都落ち」の段は高校の時に知り、授業中にそっと涙を拭った覚えがある。
平家一門が源氏に追われ西国に落ちのびてゆくおり、薩摩守忠度は手勢6人を従えて敵中命も顧みず師俊成卿の屋敷を尋ねて、
「世静まり候ひなば、勅撰の御沙汰候はあらんずらん。これに候ふ巻物のうちに、さりぬべきもの候はば、一首なりとも御恩を蒙りて、草の陰にてもうれしと存じ候はば、遠き御守りでこそ候はんずれ」
と自作の歌集を託す。
俊成卿はこのような貴重な忘れ形見を疎略にすることは絶対にないと答えると、薩摩守は喜んで、
「もうこれで、西海の底に沈んでもかまわない」
と別れを告げ、馬に乗って、西の方に向かって行った。俊成卿がずっと見送っていると、忠度とおぼしい声で、
『前途(せんど)程遠し、思ひを雁山の夕べの雲に馳す』
と高らかに口ずさむ声を聞いて、俊成卿は涙を押さへて屋敷へ入っていった。
その後、一ノ谷の戦いで薩摩守忠度は源氏方の岡部忠澄と戦い41歳で討死。
その際、岡部忠澄が目にしたのが、鎧の時箙(えびら)に結びつけられた「旅宿の花」という題の一首、
『行(ゆき)くれて木(こ)の下かげをやどとせば花やこよひのあるじならまし』
という歌。
戦の後、岡部忠澄は薩摩守忠度の菩提を弔うため埼玉県深谷市の清心寺に供養塔を建立し、今に至っているそうだ。
そして『千載集』が撰じられたおり、身は朝敵となったので、「読人知らず」として師俊成卿が入れたのが、『さざ波や』である。

また目頭が熱くなった。生徒と視線が合うと、生徒の眼も閏でいたのがうれしかった。
今年の花見はこれで良し。

テレビの栄枯盛衰

先日、新聞の紙面に「苦境に立つ“日の丸電機”テレビはさらに悪化」という活字が目についた。
日本の家電大手8社の平成25年の業績見通しは至って暗く、パナソニックとシャープ2社に限っても最終損益の赤字額が合計で1兆2150億円に達し、その大半がテレビ事業の失敗に原因があるという。
韓国のサムスン電子が2011年には1年間の世界テレビ販売台数のシェアで初めて20%を達成し、同じく世界第2位の韓国のLG電子の13%を合わせると世界市場シェアが33%に達するという。これに対し、日本の第1位ソニーがシェア9%で世界第3位、以下パナソニック9%、東芝7%、シャープ6%というから、“日の丸電機”はもう苦境どころではない。瀕死の状態なのだ。
サムスン電子のこの躍進は、バブル崩壊で家電メーカーから吐き出された日本の優秀な人材をかき集め、今日の躍進の土台を築いたというから、バブル崩壊の影響はここでも甚大だ。

テレビと言えば、1953年1月にシャープから国産第1号の白黒テレビが発売され、同年2月にNHKが本放送を開始されると、1950年代後半には白黒テレビは電気洗濯機や電気冷蔵庫などとともに「三種の神器」の一つに数えられるまでなり、はじめのころは一般家庭にとっては高根の花で、公園などに設置された街頭テレビはいつも人だかりだったし、「国民的英雄’力道山’」が出ようものならプロレスを見たくてどこかテレビはないかと探し回ったものだ。
1960年になると、東芝から国産初のカラーテレビ(サイズ17インチで価格は42万円)が発売され、1964年の東京オリンピックでは「裸足の英雄’アベベ’」がマラソンゲートを一番で潜り抜ける光景が今でも鮮明に記憶に残っている。そしてカラーテレビはクーラーや自動車などとともに「新・三種の神器」(3C)の一つに数えられるまでになった。
1969年に日本のテレビ受像機生産台数が世界1位になると、放送技術の進化に合わせてやがて音声多重放送対応テレビ、ハイビジョン放送対応テレビ、地上デジタルテレビ放送対応テレビがそれぞれ発売されることになるし、1897年ドイツのフェルディナント・ブラウンが作り出して以来、1926年浜松高等工業学校の高柳健次郎がそのブラウン管を電子式に変えて受像機に初めて「イ」の字を表示させたブラウン管も、半世紀以上の主流の座を薄型テレビ(液晶テレビ・プラズマテレビ等)に譲ることになる。

こう見てくると、時代の流れ、栄枯盛衰は世の常とはいえ、その流れの速さはまさに「光陰矢の如し」だ。
戦後日本を牽引してきた“日の丸電機”の戦士たちよ、決して卑下することはない。
次の時代をしょって立つ新しい戦士たちのために、誇らしく歴史を語り、君たちの技術と精神を確実に伝えてほしい。