見てござる

 

♪♪♪ 見てござる ♪♪♪

村のはずれの お地蔵さんは いつもにこにこ 見てござる
仲よしこよしの じゃんけんぽん ほい 石けりなわとび かくれんぼ
元気にあそべと 見てござる それ 見てござる

たんぼ田中の かかしどんは いつもいばって 見てござる
チュンチュンバタバタ すずめども ほい おこめをあらしに きはせぬか
おかたをいからし 見てござる それ 見てござる

山のカラスの かんざぶろうは いつもカアカア 見てござる
おいしいおだんご どこじゃいな ほい お山の上から キョロキョロと
あの里この里 見てござる それ 見てござる

夜はお空の お月さんが いつもやさしく 見てござる
あちらのおうちの 良い子供 ほい こちらのおうちの 良い子供
おねんねしたかと 見てござる それ 見てござる

もうご存じでない方がほとんどだろう。
昭和20年、大戦に敗れた日本は、一方では希望に満ちた戦後日本の出発点だった。
食は乏しく、ぼろはまとってはいたが、まさに心は錦という日本人も多くいた。
この「見てござる」もそうだ。
山上武夫作詞・海沼實作曲のこの童謡は、受信もままならないラジオを叩きながら聞き、多くの子供たちの心をとりこにした。

名著の誉れ高いルース・ベネディクトの『菊と刀』が出たのもこのころだ。もう何十年も前に読んだ本で内容もほとんど忘れてしまったが、アメリカ人特有の優越感というか他民族蔑視の思想が読み取れて、当時皆が評価する割には不快感だけが残ったような気がした。
確かにベネディクトにはそういう意識はなく、「白人」に染みついた無意識がにじみ出ただけであって、我々日本人だからこそ感じ取れるものであろう。
「美を愛好し、俳優や芸術家を尊敬し、菊作りに秘術を尽くす国民に関する本を書く時、同じ国民が刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する事実を述べたもう一冊の本によってそれを補わねばならないというようなことは、普通はないことである。」という言葉で最後を締めくくられていることから、彼女が決して日本人を蔑視していたとは思わない。
日本の文化は「恥の文化」であるのに対して西洋の文化は「罪の文化」であるとその内容は簡略に紹介されていると思うが、簡単に言うと、日本の文化は「傍目を気にする」文化であり、西洋のそれは「神の眼を気にする」文化である。だから、日本人は傍目がなければ恥もかき捨てだが、神の眼を気にするキリスト者はそういうレベルではない、もっと次元の高い自律を求められているんですよ、と言っているような気がして不愉快を感じたわけだ。

しかし、日本の文化は「恥の文化」という指摘は的を射ている。
日本人ほど「恥じる」ことを気にする民族はいないのではないか。
生きることから、生活すること、働くこと、人との付き合い方、ありとあらゆる局面で、恥じないことを最重点にしている。
「生き恥をかくなら死を」、「粗相のないように」、「恥ずかしい製品は作れない」、「おもてなし」、「ちょー、恥ずかしぃ―!」、・・・

東北大震災の折、取材に訪れた外国人ジャーナリストは一様に日本人を称え、海外に伝えた。
住むところもなく、食べるものも満足にないのに、ただ取材に訪れただけの彼らの宿泊場所を心配したり、食べ物はあるのかと心配する被災者は彼らの範疇にある人間ではなかった。
アメリカでならこんな大騒動の折には必ず起こる略奪や暴動がここでは起こらない不思議をアメリカに打電した。
東京では電車が止まり、徒歩で帰宅する数百万人の人々がみな黙々と列をなし、ひたすら歩く。怒鳴り声など聞こえないし、渋滞する車からはクラクションの音ひとつ聞こえてこない。数百人が避難した広場ではタバコを吸う人はいない。 係員が走り回って毛布、お茶、ビスケットなどを配る。すべての 男性が女性を助けていた。3時間後広場は解散となったが、地面にはゴミ一つ落ちていなかった。日本人は、むやみに悲しみを表に出さないのは周りに心配させたくないからだ。家族を失ったというのに泣きわめいたりしない。深い悲しみをただひたすら黙って受け止めている。助けてもらつて「ありがとう」ではなく、「すみません」と言う。これは「迷惑をかけて申し訳ない」という気持ちの表れだ、と中国人ジャーナリストが母国に伝えた。

もう天国にいらっしゃるベネディクト女史に是非とも伝えたい。
日本人は決して人目だけを気にして生きているんではないんですよ。
お地蔵さんが見ているし、案山子やカラスも見ているし、お月さんもお天道様も、そしてご先祖様も見てござる。
とね。

「見てござる」― いい言葉だなあ。

わがノスタルジー

 

♪♪♪ 笛吹童子の歌 ♪♪♪

1989年のイタリア映画で「ニュー・シネマ・パラダイス」という映画がある。ご存知の方も多いだろう。 映画好きの少年トトと「シネマ・パラダイス」の映写技師アルフレードの友情と、数奇な運命をたどるトトを描いた感動の名作だ。 ※あらすじはこちら⇒http://www7a.biglobe.ne.jp/~eigatodokusyo/syuminoheya/eiga/eiga-1/eiga-11/paradaisu.htm 「ニュー・シネマ・パラダイス」がトトのノスタルジーであったように誰にも語っておきたいノスタルジーがあるに違いない。 「ヒャラーリヒャラリコ ヒャリーコヒャラレード・・・」 この音楽が聞こえてきたらもう居ても立っても居られない。5球スーパーラジオの前に座って、雨が降ろうが槍が降ろうがわれ関せずの構え。 憎っくき赤柿玄蕃を菊丸(笛吹童子)よ何とかやっつけてくれと、拳を固めて血湧き肉躍ったものだ。 毎日夕方5時45分から始まるので、冬場はいいが、日の明るい季節のころは大変だ。 当時は学校が終わってもすぐには家に帰らない。放課後は大概校庭で、小使いさん(校務員)に追い払われるまで野球なんかをしていたから、5時半位になると気が気でない。野球好きな奴が帰さない。これとの戦いが大変だった記憶がある。それでも毎日聞いていたから、多分うまい具合にやっていたんだろう。 「音楽 福田蘭童」もはっきり覚えている。後で知ったんだが、この「福田蘭童」、明治の洋画家、「海の幸」で有名な青木繁の息子で、蘭童の息子がクレジーキャッツのピアニスト石橋エータローというそうだから、ここまでくればやっと一世代後の諸君と接点があろうかと。 そして夜が明ければ、今度は「少年ケニア」だ。 アフリカのケニアを舞台に、孤児になった日本人少年ワタルが仲間のマサイ族の酋長やジャングルの動物たちと冒険をする物語で、「産業経済新聞」(のちの「産経新聞」)に連載されていた。 朝起きると、いの一番に朝刊を取りに行き、誰にも開けられていない新聞を開くときのインクの匂いが今もツンと鼻に残っている気がする。 山川惣治原作の絵物語でこの挿絵が実に良い。当時「産業経済新聞」は「ケニア新聞」とも呼ばれたそうだから、その人気たるや推して知るべしである。 そして月に1回。今度は雑誌「少年」である。 江戸川乱歩の「怪人二十面相」。探偵明智小五郎が助手の小林少年とともに怪人二十面相に立ち向かう物語は少し怖かったけれども布団をかぶりながら読んだものだ。 手塚治虫の「鉄腕アトム」は言わずと知れた日本アニメの元祖。実に夢があり、この「鉄腕アトム」に刺激されて様々な分野で羽ばたいた人も多いはず。未来を予見した作品だった。 発行日には必ず父が買ってきてくれ、その日はもう朝からわくわくだ。待ちきれなくて駅まで父をよく迎えに行ったことがる。 それに付録がまたこれが圧巻。今でも鮮明に覚えているが、紙製の組立幻灯機や映写機とかがあって、それを完成させて家族全員に見せたところ、全員が感動してくれていっそうの励みになった。 これらすべてが小学校低学年頃の思い出だ。 そうそう、もう少し学年が進んだころと思うが、ほのぼのと思いを寄せていたハットリさんが、NHKのラジオドラマ「君の名は」が好きだと聞いたんで、夜何時だったか同じ思いを寄せたくて聞いたものだ。ハットリさん、今はどうしているんだろうなあ。