国際詐欺 ― 419詐欺 ―

アブダビ国立銀行の部長代理で監査役を務めるという男からスカイプにメッセージが入った。
頭にオマールが付くが下は僕と同じ姓の日本人が2006年に満期3年の定期預金を組んだ。その満期が近づいたので連絡を取るが取れない。調べてみると、オマール氏は2008年3月12日に中国四川省で起こった大地震(本当は5月12日)の犠牲者になっていた。アブダビには家族もなければ親類縁者もない。預金額は1840万米ドル(日本円で約18億円)である。これを嗅ぎ付けた銀行上層部の者達が何とか自分のものにしようとこの部長代理氏に近づいてくる。が、オマール氏は自分が部長代理に昇進する前の大切なお客さんだったし、銀行上層部の連中は結構こんな案件にありついて十分金持ちになっていてしゃくだ。何とか相続人を見つけようとたまたまスカイプを検索したら同姓の僕が見つかった。僕がオマール氏の親族であればなおいいが、それはどうでもいい。どうせ銀行の雑収入として処理されるだけだし、できることならこのファンドを有効に生かしたい。法的には何の問題も起こらないから僕を相続人に仕立て50%50%で分けよう。自分は貪欲な人間ではない。貧しい人たちを救済するためのチャリティと念願の会社設立の資金に当てたい。どうか?
という内容である。
まさに青天の霹靂。ただでさえ今年の暑さで頭が朦朧となっているのに何という話。
半信半疑にしろ、今年の芥川賞も面白くない。これをネタにひとつ小説でも書いたら面白いだろう。
さっそく部長代理の名前をサイトで検索すると、顔写真まで出ていて、経済学の博士号の称号を持ち大学でも教鞭をとるインテリ。役職、経歴も彼の言う通り。銀行でもかなりのエリートである。
とりあえずメールアドレスを教えてくれ、詳細を伝えたいというのでメールアドレスを教えると、間もなく書簡と2枚のドキュメントを送ってきた。
1枚は言う通りの定期預金証書。オマール氏の名前、預金額、日付が刻印され、アブダビ国立銀行の社印と担当者のサインが入っている。台紙も透かし模様の入ったどう見ても本物である。もう1枚は銀行取引代理業務の資格証明書のようなものだが、よくはわからない。
銀行公認の誠実で有能な弁護士を紹介するから、この弁護士にコンタクトを取り、引き受けてくれたら幸い、相続手続きを進めてほしい。銀行内部の手続きは自分が責任をもってする。あなたに迷惑がかかるようなことは100%ない。ただ、この案件に自分が関わっていることを知られたくないのでトップシークレットにしてほしい。と付け加えてある。
照会された弁護士をこれまた検索してみると、アブダビにちゃんとしたオフィスを持ち、1953年まで続いたエジプト王国の国王と同じ名前を持っている男だ。
メールを送るとさっそく返事が来て、この案件に興味を持った。例の預金証書のコピーと証明書を送ってくれ。これがあれば銀行と折衝できる。確かな案件であれば代行業務を引き受けてもいい。という返事。
預金証書と証明書のコピーを送ると2日後返事が来て、銀行との交渉はうまくいった。この仕事を引き受けてもいい。代行手数料として32800米ドル(日本円で約320万円)を送ってくれ。そうしたらすぐにでも代行業務に着手し、必ず成功させる。
うーん、これだな!
このことを部長代理氏に伝え、この費用をそちらで何とかしてくれ、定期預金は取り崩せなくても預金金利はすぐにでも活用できるはずだ。預金を担保に後払いはどうかと提案すると、相続権が確立できるまではそれはできない。費用を半分半分で分担しようという。
案の定である。うまくできすぎている話なので事前にも調べていたが、同じような事例(419詐欺として外務省、警察当局もも警告している)があって、やはり最後には費用を値切ってくる。
アブダビ国立銀行にも調査を依頼したが、今のところ何の返事もない。
こちらの警戒心を察知したのか、部長代理氏からもエジプト国王氏からもプツンと音信が途絶えた。

撤退の速さにもびっくりしたが、金にならない奴にかかずらっているよりは、早く次の獲物を漁るほうがいいに決まっている。
それにしても実に手の込んだ巧妙な手口だ。
どこからどこまでが本当か見分けがつかない。役割分担をしているのかどうか、道具立てもちゃちではないし、やり取りする文章も専門的でしっかりしている。
ひょっとしたら、詐欺であって詐欺ではなく、銀行内部にはこういう案件が結構あって、闇の一端がポロリとこぼれ出た。そんな一面もあるのではないかとさえ思えるほどだ。

真夏の夜の夢を見た思いだが、ご注意あれ!

DEPOSIT_CERT{1}_NATIONAL BANK ABU DHABI _OMAR  B. SANADA
companyregistration-Al Qatami Consulting

般若心経

♪♪♪ 般若心経 ♪♪♪

NHKオンデマンドの『100分de名著』で「般若心経」を見る機会を得た。
名には聞いていたし、昔子供のころ、お盆には必ず家のものがよく仏壇の前で唱えていたことを覚えている。
しかしそれがいったいどういう内容のものか全くと言っていいほど知らなかったし、関心もなかった。
今回も「般若心経」をお経として関心を持ってのことではなく『名著』にひかれてのことだ。
わずか262文字で記されている大乗仏教典の要約、エキスということだが、初めて目にする漢文はちんぷんかんぷん。
「空」と「無」という文字がやたら目について、東洋思想の「空」と「無」の若干の知識は持っていたので、何かそのことを解き明かしているのではないかと思った程度。
せっかくだから大意だけでも掴みたいものだとwebサイトで「般若心経」を検索し、「インド哲学の国際的な権威」東大名誉教授中村元先生の翻訳や、英語から逆にわかるのではないかと鈴木大拙先生の英語訳も読んでみたのだが、まるで分らない。
「般若心経」の最後に『羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶』という呪文を唱えることが真言と書いてあるのだが、ぼくにとってはこの「般若心経」自体が呪文である。
哲学には若干の関心があり、若いころから結構哲学書も読んだほうだが、西洋哲学が主だったせいかここの翻訳用語の概念がまるでずれている。

そうしているうちやっと出くわした
http://www.mikkyo21f.gr.jp/academy/cat48/post-200.html
で、初めて「般若心経」の何たるかを朧げながらも掴めた気がしたが、あくまでも独りよがりで確かではない。
おもしろくて意外に真意を読み取っているのではないかと思ったのは、
http://blog.goo.ne.jp/triarrowstar/e/de2310ff6cb1b632fef1f5ec2d299787
に出ている超現代訳。
解説にもある通り、この「現代語訳」は2010年9月、ニコニコ動画に投稿された動画「初音ミクアレンジ『般若心経ロック』」へのコメントとして、その後まもなく書き込まれたものだそうだ。

結局は大した成果もなく『100分de名著』に誘発された「般若心経」挑戦はあえなく挫折となった次第。

思うに、そもそも「般若心経」を『名著』として読み解こうとしたことに無理があったのかもしれない。
『羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶』も文字に起こし、意味を探ろうとすることが邪道で、原典のサンスクリット音で何度も何度も唱和し、瞑想の奥義を極めることに意義があるのだろう。
「般若心経」もそうで、仏壇の前でおそらく意味を考えることなく唱和していた家のものこそ真言の姿であるのだろう。

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄・・・・