15歳の志願兵

 
☆★☆ 15歳の志願兵 ☆★☆ 

来年2015年で戦後70年を迎える。
毎年8月が近づくと第二次世界大戦のこと、日本の参戦と敗戦、広島と長崎の原爆投下のこと等が取り上げられ、マスメディアでも連日関連番組で賑わう。
上にあげた『15歳の志願兵』は、NHK総合テレビのNHKスペシャル枠で、2010年8月15日に放送されたテレビドラマの特別番組である。
第65回文化庁芸術祭優秀賞(テレビ部門・ドラマの部)、第48回ギャラクシー賞選奨受賞。視聴率7.2%というこのドラマは、一時期なぜかNHKオンデマンドでも見られなかった。

70年が長いのか短いのか。韓国は「慰安婦問題」でますます反日キャンペーンを強め、中国は中国で反中国包囲網の中、我が無二の同志を得たりと韓国を抱き込もうと必死だし、第二次世界大戦の記憶は薄まるどころか、蒸し返しに躍起になっている。

そんな中、先日、幻の15歳兵の生き残りの橋上さん(仮名)にいろいろお話を聞くことができた。

戦前の日本は徴兵制を敷いていて、男子20歳になれば徴兵検査を受けねばならず、徴兵検査の結果、甲、乙、丙、丁、戊の5段階に分けられて、甲と乙は合格、戦況とともにそれが丙にまで合格適用され、必要に応じていわゆる「赤紙」が来て召集となった。これは陸軍に限ってのことで、海軍は志願兵が主流のため、召集は限定的であった。
1941年に太平洋戦争が起こると、年を重ねるごとに戦況は厳しくなり、兵役義務年齢もそれまで20歳であったものを1943年には19歳以上、1944年には17歳以上に引き下げられた。
それ以外にも「志願兵」という仕組みがあり、17歳以上であれば軍隊に志願できたわけであるが、その年齢も1944年には14歳以上にまで引き下げられ、男子14歳になれば17歳の徴兵年齢を待たずとも、学校や周りの者たちが「志願」することを半ば強制したり、勧めたりして、実質戦争に参加せざるを得ない仕組みを作り上げた。世に言う「15歳の志願兵」である。

橋上さんは昭和2年(1927年)生まれ。1942年に15歳で陸軍の少年飛行学校に入隊し、16歳で実戦配備され、副操縦士として1943年の重慶爆撃にも参加したという。当時は航続距離で中国奥地の重慶まで護衛できる戦闘機がなく、爆撃機単独で乗り込んだわけだから日本軍爆撃機にも相当な被害が出た。橋上さんも副操縦士が乗る後部座席で後頭部に被弾するも、貫通銃創でなくて命拾い、血みどろで帰還したという。
少年飛行学校の入校資格者の最年少は、中等学校2年修了者か高等小学校卒業生なので14歳か15歳、今の中学3年生である。若者というよりは、「子ども」といってもいいくらい。それが1年かそこらで実戦配置につき、敵の銃弾を受けるのである。
橋上さんはその後各地を転戦し、終戦間際には鹿屋航空基地に配属され、その戦歴から神風特攻隊の護衛、聞こえはいいが監視役、つまり、途中で脱落する特攻機はいないかを監視する役目に着いたそうだ。その時が一番つらかい時期だったと言う。
人は誰もがいい役割についたと言うが、自分にとって、これほど腹立たしく、侮辱的な言葉はないと真顔で言う。
特攻機との別れ際に別れの手を振る隊員の顔かたちがはっきり見え、自分も何度そのまま特攻機とともに突っ込んでいきたいと思ったことか。次はどうぞ自分に特攻機乗りの順番が回ってくるようにと祈ったそうだ。それが当時の少年飛行兵達の偽らざる気持ちで、今の自分も含め打算にまみれた人間には到底理解できないだろうと。
だから、いっときは新聞社や雑誌社からインタビューの申し込みが数多くあったが、すべて断ったという。「お前らには俺の気持ちが分かるか!」という心境だったという。
橋上さんは、87歳になった今も生き残ったがために苦しみ、そこから抜け出られないという。死ぬまで我慢するしかないと深く自分に言い聞かせているという。

集団的自衛権と憲法解釈

戦後70年、もう70年もたってしまったんだ、日本は歴史的転換点を迎えている。
日本国政府はこれまで憲法第9条について、「自衛のための必要最小限度の武力の行使は認められている」ものと解釈し、日本の自衛権については、「個別的自衛権は行使できるが、集団的自衛権は憲法の容認する自衛権の限界を超える」との見解を示してきた。
個別的自衛権の行使も、1954年の自衛隊発足に当たり認めたもので、日本国憲法が発布された1947年(昭和22年)5月3日以来認めてこなかったものである。
そもそも日本国憲法が時代を超越したと言おうか、世界の現実を超越した非常に理念性の高い憲法で、70年間一言一句も変えられることなく保持されてきたという、世界では類を見ない、これはこれで「世界文化遺産」に登録されてもいいような理想的憲法なのである。
世界主要国の戦後の改正回数を見てもわかるが、アメリカが6回、イタリアは15回、フランスが27回、ドイツに至っては58回も憲法改正を行なっているように、世界の憲法は時代時代に順応できる態勢になっているが、日本はそうではない。法体系における憲法の次元が日本と外国とでは異なるように思える。
この違いには、日本と諸外国の法概念と言おうか法観念の根本的な違いがあって生じるもので、これはこれで考察するのも面白いが、いまはさて置く。
この理念性の高い日本国憲法のもと、理念よりも時には理念とはかけ離れた世界の現実に対処して行くには「憲法の拡大解釈」に寄らざるを得ないのが、時の政府であり、ひいては日本国民なのである。その象徴的なのが「憲法第9条」の解釈ということになろう。
この憲法第9条はどう見ても「日本は戦争をしません。だから軍隊を持ちません。」という内容である。理屈を捏ねまわしてあだこうだとはいうが、中学生や高校生ならこう解釈するだろうし、その解釈が一番まっとうな解釈である。
しかしそう解釈したのでは国が立ち行かぬから、ああだこうだと理屈を捏ねまわし、いまや「集団的自衛権」行使容認は現行憲法上許されるか許されないか国論を二分している。
個別的自衛権を守るために自衛隊という軍隊を持った時から憲法第9条からは逸脱したのであり、今回の集団的自衛権行使の容認もその延長上と言おうか必然的に起こりうることであって、現行憲法を改正しない限りその矛盾性は解消しない。
このことは世界にも類を見ない理想的憲法を持った日本、および日本国民の宿命であり、理想と現実をどう調和させていくのか、あと30年も経てば第二次世界大戦100周年という節目になるのだが、その時日本はいかなる国になっているのか、なっていなければならないのか、この「集団的自衛権」問題を皆で真剣に考えていきたいものである。
最後にぼくの立場は「集団的自衛権」行使容認には賛成である。