時刻Wのお話 ーワルシャワ蜂起ー

 

♪♪♪ 夜想曲 20番 ♪♪♪

2014年8月1日、ポーランドの首都ワルシャワ、時刻W(午後5時)、街中の人の動きがピタッと止まる。けたたましいサイレンが鳴り響く中、1分間の黙祷が始まった。子供も大人も、男も女も、家族連れも恋人同士も微動だにせず黙祷をささげている光景は今や異様にさえ見える。
NHK BS1スペシャル『ワルシャワ蜂起 葬られた真実~カラーでよみがえる自由への闘い~』には、またまた魂が揺さぶられた。

1944年8月1日、ナチスドイツ占領下にあったワルシャワでポーランド国内軍約5万人が一斉蜂起した。
その5年前の1939年9月1日、ドイツ軍とその同盟軍であるスロバキア軍がポーランド領内に侵攻し、ポーランドの同盟国であったイギリスとフランスが相互援助条約を元に9月3日にドイツに宣戦布告して始まった第二次世界大戦。大戦当初は、最新兵器を装備した近代的な機甲部隊を中心とするドイツ軍に対し、偵察部隊などに騎兵を依然として多く残し機械化の遅れていたポーランド軍は不利な戦いを強いられ、勇ましくもドイツに宣戦布告した英仏両国もドイツとの全面戦争をおそれるあまり本格的な戦闘行為には踏み切れず傍観する事に終始、間髪を入れずの9月17日には、ドイツとポーランド分割の密約を結んでいたソビエト連邦が東部地域に侵攻して1ヶ月足らずでポーランドのほとんど全土が分割占領されてしまったのである。
1944年にはそれまでヨーロッパ本土でのドイツ軍勢力のほとんどがソ連に向けられていたが、ソ連のヨシフ・スターリンの第二戦線構築の呼びかけでイギリスやアメリカが西部戦線を拡大、ドイツ軍はこの対応のため東部戦線は縮小せざるを得なくなる。その隙をついてのワルシャワ蜂起であるが、川ひとつ隔てた所にまで進駐したソ連赤軍を頼りにしたのが大間違い。イギリスに置く亡命政府のポーランドの解放と自由を求めるポーランド国内軍を援助する目的はさらさらなく、ドイツ軍に打撃を与え、ひいてはポーランド国内軍の自滅を図ってのそそのかしで、それを察知したアドルフ・ヒトラーは、ソ連赤軍がワルシャワを救出する気が全くないと判断し、蜂起した国内軍の弾圧とワルシャワの徹底した破壊を命じる。そして8月31日にはポーランド国内軍は分断され、9月末には一部のゲリラ部隊を残し壊滅するのである。
ワルシャワ蜂起による市民の死亡者数は18万人から25万人の間であると推定され、鎮圧後約70万人の住民は町から追放された。また、蜂起に巻き込まれた約200名のドイツ人民間人が国内軍に処刑され、国内軍は1万6000人、ドイツ軍は2000名の戦死者を出したといわれている。
その後のポーランドは長くソビエト連邦の影響下に置かれたが、1980年、東側社会主義国で初めての自主管理労働組合である「連帯」が電気技師レフ・ヴァウェンサ(日本ではワレサで有名)によって結成されることにより、いわゆる「東欧諸国」から離脱、1989年9月7日、非共産党政府のポーランド共和国(現在)が成立するのである。そして第三共和国初代大統領に「連帯」のワレサが就任したことは、後のソビエト連邦崩壊につながっていく。

このワルシャワ蜂起に立ち上がった人たちがまだ存命していて、つい3か月前の2014年8月1日の記念日に参列、一人の女性戦士が現大統領を新しくできたワルシャワ蜂起の同志の名が刻まれたモニュメントに案内する場面が映されていた。
20世紀はそんな時代だったんだ。
いつも思うんだが、大きな感動はどうして大きな悲劇の中でしか生まれないんだろう。
戦場のピアニスト』という映画、これにもいたく感動した覚えがある。
ナチスドイツがポーランド侵攻したその日、ポーランドの首都ワルシャワのラジオ局で、ユダヤ人ピアニスト、ウワディクことウワディスワフ・シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)がショパンの『夜想曲 20番』を演奏している場面から始まるこの映画も、ワルシャワ蜂起の中で起こった一エピソードを描いたものである。
それにそうそう、ユダヤ人の悲劇の数々とその感動のドラマ。ポーランド。ショパンか。行ってみたいなあ。

東京は高円寺、純情商店街の銭湯には、

東京・高円寺の「純情商店街」を抜けた裏路地に、創業以来80年という老舗の銭湯がある。四国道後温泉を思わせる木彫り屋根を少しあしらい、「本物の自然回復水使ったいます」というのぼりを立てた「小杉湯」には昔懐かしい人情の機微と人生の哀歓が溢れていた。
10月31日、NHKの『ドキュメント72時間』で放映された下町の銭湯風景である。

お昼の3時半にオープンして深夜2時まで開いている「小杉湯」には、時間時間に応じた実に様々なお客がやって来る。
「ミルク風呂」と書かれた玄関の硝子戸を開け、番台を通り抜け、何もかも脱ぎ捨てて湯けむり蒸せる風呂場に入ると、正面向こうには一面に、富士山を描いた大きなタイル絵があり、もうかなりたくさんのお客が湯船につかり、体を洗っている。
湯船から溢れ出る水の音、蛇口から出る水の音、シャワーの音、あの銭湯独特の談笑しあう小気味のいいくぐもり声。
お爺さんと息子とその孫三代が一緒になって湯船ではしゃいでいるのが微笑ましい。
女風呂から出てきた二十歳前後の女性ふたり。淡路島から東京に出てきて、将来は原宿あたりでお店を開くのが夢だという女性と、その女性を三日間訪ねてきた幼馴染の二人連れ。風呂上がりのいい気分のところで冷たいフルーツ牛乳で乾杯!
真っ赤な鉢巻にサングラス、髭ぼうぼうの46歳は建築現場の労働者。怖そうな風貌とは裏腹に、ぶっきらぼうな受け答えにもどこか優しさが隠せない。銭湯を出ると、隣のコインランドリーで洗濯しておいた作業服三日分を大きなボストンに詰め、今日の疲れをすっかり洗い落としたに違いない。「よしっ!」と言って街中に消えていく。
番台あたりで何かを探している21歳の若者。失くした下駄箱の木札の鍵を探しているのだという。マン喫(マンガ喫茶店)に寝泊まりして一か月。お笑い芸人を目指して敢えて厳しい環境に置きたいと家を出たそうだ。木札が見つかるとほっとしたように、生活用品を詰め込んだバッグからノートを取り出し、その中から選び出した自慢のネタをパフォーマンス。見ていてまったく面白くもない。がんばれよ。
こちらには日本語ペラペラのイタリア青年が顎まで湯につかっている。大学で日本語を勉強したが、不況真っ只中のイタリアでは職もなく、日本にやって来て就活中。就活中のストレスはここのお風呂で解消するという。
お昼の3時半にはシャッターが開く前から人の行列。いちばん風呂を目指したお客はシャッターが開くのもももどかしく、潜り抜けるように入っていく。この時刻にはやはりお年寄りが多い。中にたまたまいた若者に72歳の詩吟の先生が近づいて来て、「今日行く(教育)ところ、今日用(教養)を足すところ」と風呂になぞらえて人生訓を垂れ始める。若者は嫌がることもなくにこにこ聞いている。
89歳の母親を連れた娘さん(?)がやってきた。60年間通い続けているという。商売の合間を縫って、生まれたての娘をきれいないちばん風呂に入れたくてやって来て以来ずっと通い詰めているというからこの風呂いちばんの常連さんだ。
6時半頃、今度は87歳の杖を突いた老人と67歳の男性が介添え役のようにやってきた。元塗装工で上司と部下だったという。奥さんを亡くし一人住まいの上司とこうして週に何回かは一緒に来て、一人前に育ててくれた上司の今でも大きな背中を流し、もう負けないくらいに大きくなった元部下の背中を流しあうこの二人には、そこに刻まれた年輪の深さと計り知れない心の絆を知る思いだ。
日付が変わるころ、疲れた風の若いカップルがやってきた。25歳の青年はサーカス団でピエロをやっていたがそのサーカス団が倒産、今は大道芸人で生計を立て、パートナーの女性もパントマイムをやっているという。今一番の悩みは、結婚はしたいんだが女性の親からは「書類審査」で不合格になり、今はひたすら合格点に届くべく、二人で支えあって修行中だそうだ。将来の夢は大きく、世界中を笑顔に変えたいというこの純情な青年には思わず拍手した。
腰まで届く長髪の青年服飾デザイナーとその部下、と言ってもほとんど歳の変わらない茶髪にアフリカのどこかの部族がする大きな耳輪にピアス満載の青年の二人連れ。誰にも負けたくない。ゴキブリブランドを立ち上げるのが夢だという。お風呂の中では風呂仲間だが、いったんお風呂を出ると厳然とした上司と部下だと認め合う。上司の自転車を追って部下は赤いテールランプを点滅させながら寝倉に帰っていった。
49歳の独立間もないコンサルタント経営の独身女性。風呂上がりのビールを屋台で引っ掛けてから出勤するというママさん。車椅子に乗った母親を押してやってきた青年。風呂上がり、前の食堂「丸長」で「ネギ風味鶏のから揚げ」定食650円を頬張る31歳の警備員。車椅子生活を余儀なくさせられた娘とこの先のことを心配げに語る65歳の男性。
いろいろだ。様々だ。しかし、どれもこれも、いや誰も彼も、風呂上りの何とも言えないほっこり感が伝わってくる。一時とはいえ至福の極みとはこのことだ。

「小杉湯」の路地を出ると、路上でギターを弾く若者、上海で見かけたような路上食堂、自転車が行きかい、決して不快でない食の匂いと様々な騒音がこだますここ東京の下町が、遠ーい昔の感懐を呼び起こし、もう二度と戻ってくることはないと思っていた原風景にいざなうこのテレビ画像に食い入るだけであった。