大腸ポリープ

 
大腸ポリープを切除した。

もう5年以上前になるが、便秘がひどくて、その原因として、もしや大腸のどこかにポリープができているからではないかということで大腸の内視鏡検査を受けた。
案の定というか、便秘の原因になるほどの大きさではなかったが、横行結腸の真ん中あたりに3㎜程度のポリープが見つかった。
当時はというか、掛かった病院の方針で、ポリープ発見即切除ということではなく、1年後に再検査し、5㎜以上に大きくなっていたり、癌化の可能性があったら、1日入院して切除しましょうということで検査は終わった。
ただこの時、とんでもないハップニングで、便秘の遠因と大腸検査の苦痛そして「手当」の大切さを知ることになった。
というのも、いったん差し込まれた内視鏡では大腸のいちばん奥、つまり小腸と大腸の分かれ目である盲腸付近まで届かず、もう一度長めの内視鏡に差し替えらるという「異常事態」が起こったからだ。
内視鏡検査を受けられた方はご存じだろうが、内視鏡を通しやすくするために絶えず潤滑液と炭酸ガスを注入しながら挿入していくのだが、一度抜いてまた内視鏡を挿入したわけだから、炭酸ガスが腸内に充満してもう苦しい苦しい。
子供のころ、悪ガキ仲間がカエルのお尻からストローで空気を吹き込み、おなかをぱんぱんに膨らませて喜んでいたが、まったくあのカエルの状態である。
苦痛と不安で冷や汗が滲むなか、一人の女性看護師が傍に寄り添っておなかに両手を当て、ゆっくり摩りながら「大丈夫ですよ。大丈夫ですよ。」と語りかけてくれたとたん、その苦痛と不安がスーッと消えてゆく。ああ、これが「手当」ということなんだと甚く納得した次第。
便秘もこの大腸の長いことが一つの原因だろうと診断された。

そして今回は、病院の方針が変わったのか、ポリープがあれば即切除しますかという同意が求められ、OKであれば即切除ということで検査に臨んだ。
5年前のポリープも、その後2回大腸検査を受けたが、大きくなっている様子もなく、切除しましょうとも医者は言わないのでそのまま来たが、今回はそういうことで切除を希望した。

相変わらず検査は苦痛だ。事前の食事制限から下剤を使っての腸内洗浄も大変だが、やはり内視鏡が苦しい。最近は内視鏡の性能も向上したし、検査技術も向上したそうだが、ぼくの場合内視鏡が通りにくいのか、途中、女性看護師が医師の指示で、今度は「手当」でなく、上から圧し掛かるようにしておなかを押さえつけねばならないようなこともあった。
幸い新しいポリープは見つからなかったが、5年前のポリープは5㎜位になっていて切除することになった。
見ていると、ポリープの根っこに食塩水を注入してポリープを持ち上げ、小さな電気メスで切除、出血はほとんどなかったが、念のためと、これもまた小さな小さなホッチキスで傷口を留めて手術は終了。
実に簡単な手術ではあったが、これは素人目に見えたことであって、術者の医師の技量、それまでの多くの人たちの研究成果や経験則の積み重ねを思ったとき、ありがたいと、担当医師そして看護師諸君に万感の思いを込めて感謝した。

幾山河越えさり行かば・・・

 
幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

秋の山道を歩いていると、頭の中でこの歌を口ずさんでいる自分に気づく。それもはっきりとした口調で口ずさんでいるんだ。
いつのころからか、ずいぶん昔から、何かした拍子にふっとこの歌が頭をよぎる。
たぶん中学生か高校生のころに学んだんだろう。
今となっては作者の名前すら思い出せず、この機会に調べてみたら若山牧水の歌で、旅の途中、岡山から広島に抜ける道すがらに浮かんだ歌だそうだ。
宮崎県の医者の息子に生まれた彼は、42歳の短い生涯ではあったが、旅の明け暮れで1,000を超える歌を詠んだという。

この歌を詠んだ2年前、上田敏の名訳で日本人の多くの心をとらえたカール・ブッセの「山のあなた」が紹介され、牧水は深く心を動かされたそうで、瓜二つと言っていいくらいよく似ている。

それにしても寂しい歌だ。
寂しさの終てる国を求めて旅をする、幸せがあるという処を探して山を越える、このこと自体実に行動的でアグレッシブなことで寂しくなんてないはずなんだが、実に寂しい。
「寂しさ」という言葉に引きずられるからだろうか、「涙さしぐみ」という言葉に引きずられてしまうからだろうか。
寂しい心が読むから寂しいだけで、実はその反対で、読み方によっては明るく幸せな未来を啓示すると思えば寂しくも何もないんだろうか。

古今東西、こうした漂泊の歌は多く、人の心に深く染み込む。秋ともなればなおさらだ。
この世に生を受けて、幾山河を踏み越え、荒波に打ちのめされ、いずれ朽ち果てるおのが運命を知る人間だけが知る寂しさに共感を覚えるからだろう。
一時のセンチメントに浸れることは幸せの証しなのかもしれない。

シリア難民の報道を見ていると、まさしく幾山河を超え、海を渡り、幸せを求めての旅路、いや脱出行ではあるが、一分のセンチメントもないだろうし、感じ取れない。

能因、西行、芭蕉、宗祇、日本にも幾多の漂泊詩人が生まれた。牧水もそうだろうし、山頭火もそうだ。
いつも思うんだが、その原点をたどれば、行きつくのはヤマトタケル。

大和は国のまほろば たたなづく青垣 山こもれる大和しうるわし

兄を殺し、征西に東征にと、その生涯を殺伐に明け暮れた彼が、幸いの地、大和を目前に生涯を閉じた辞世の句に、大漂泊の詩人を見て取れる。