リニア中央新幹線

 
昨日、2016年1月27日、11年後の2027年に東京と名古屋間で先行開業を目指すリニア中央新幹線の東京新品川駅の起工式が行われ、駅の本格的な工事が始まった。
新品川駅は、東海道新幹線の品川駅の真下、地下40メートルにおよそ10年かけて建設し、東海道新幹線の営業を続けながら地下を掘る難しい工事になるというそうだ。
昨年12月18日に山梨県で始まった南アルプスを貫くトンネル工事に続いて2件目になる本格的工事の着工である。

徳川家康が1601年に「五街道の整備」により五つの街道と宿を制定し、道としての「東海道」が誕生してから今日まで、「東海道」は日本の大動脈であり続け、「東海道」の道筋から眺める富士山とともに日本を象徴する存在であり続けてきた。
この「東海道」に初めて鉄路が設けられたのが1889年、「東海道本線」の誕生である。
「東海道本線」は東京から大阪までと思っている人が多いが実は神戸までで、その距離は現在の距離で590㎞、開通当時はもう少し長かったが約20時間かかったという。それでも東海道五十三次をたどった昔の旅人はおよそ15日くらいかかったと言うから、1日24時間かけることの15日間、360時間かかったから、実に18分の1に時間が短縮されたわけだ。弥次さん喜多助さんがこの事実を知ったらおそらく腰を抜かしたに違いない。

「東海道本線」のスピード化はそれからどんどん進み、東海道本線のいちばんの難所「御殿場越え」が丹那トンネル開通により大幅に距離、時間ともに短縮された。1956年には昔懐かしい蒸気機関車は全線オール電化で電気機関車に代わり、当時の特急「つばめ」で東京大阪間を7時間30分で行き来できるようになり、1964年に新幹線が開通する時には最速6時間20分にまで短縮された。

私事になるが、戦後間もないころ、熱海の親戚があって、この「東海道本線」を大阪から出発すると、もちろん蒸気機関車でだが、まず滋賀県の米原に着くと長時間待たされることになる。ここで機関車を2両連結しなければ関ケ原を越えられないからその作業待ちというわけだ。そして熱海の手前の沼津に着くとまた長時間待たされて機関車を2両連結にする。丹那トンネルができてもそうしなければ箱根を越せなかったわけだ。この丹那トンネルを抜けてやっと熱海というわけで、特急を利用せず、普通急行で行ったら大阪から熱海まで10時間以上はかかった。
丹那トンネルに入る前には「窓を閉めてください」という車内放送が必ずある。トンネル内で窓を開けていたら顔が煤だらけの真っ黒けになってしまうからだが、それでも閉め忘れる人がいて、小さいぼくがその人たちに注意しに行ったと、よく両親が言っていた。なつかしい思い出だ。

そして1964年の東海道新幹線が走ることになるんだが、開業当初は時速210㎞で東京から新大阪まで4時間。在来線「東海道本線」の6時間20分から2時間20分短縮されたことになる。まさに夢の超特急だ。
それがさらにスピードアップされ、今や特急「のぞみ」で時速285㎞、2時間22分になったのだから、これを何特急と読んだらいいのだろう。弥次さん喜多助さんの時代の実に144分の1に短縮されたことになる。

リニア中央新幹線はまた別次元の「東海道」ということにしなければ話は続かない。
確かにその通りで、このリニア中央新幹線はもう鉄路ではない。
超電導磁気浮上式リニアモーターカー「超電導リニア」という、電磁石のN極S極の引き合う力と反発しあう力を利用して、車両が路面から10㎝浮いた状態で最高速度505km/hの高速で走行し、2027年には東京品川駅から名古屋までを40分、2045年には大阪まで67分で繋ごうという、まさに近未来交通手段が実現に向け動き出したわけだ。弥次さん喜多さんに再登場願ったら、その時代の300分の1の時間で「東海道」を駆け抜けることになる。弥次さん喜多さんが「東海道」を膝栗毛(徒歩)で旅してからくしくも300年。この300年間、東京と大阪の間は1年に1時間づつ近くなってきたという計算になる。

東海道新幹線の着想が開業からさかのぼること25年前の1939年の「弾丸列車」構想であったように、このリニア中央新幹線は、東海道新幹線が開業した1964年の2年前、1962年にはもう次の交通手段として、超電導リニアの最初の開発者である京谷好泰氏を中心に研究開発が着手された。それから53年、2015年にまず最難関の南アルプストンネルの着工から本格的工事に入り、東京新品川駅着工となったわけだ。

このリニア中央新幹線が開通するころには、また次の交通手段として、高校物理の問題によく出題される「重力列車」が現実のものとして俎上に上るのであろう。
リニアモーターが大きな電力を動力源とするのに対して、「重力列車」は地球の重力を利用するだけだから動力に要する費用はいらない。理論上、地球のどの地点に行くにも片道42分で行ける。東京と大阪間も42分。東京とニューヨーク間も42分というから何が何だか頭がこんがらがってくる。これとて決してSF小説の話ではない。物と物との間に生じる摩擦力と空気抵抗さえ無くせば実現可能ということで、「真空チューブ列車」といって、真空チューブの中を「重力列車」を走らせば42分も夢ではないと、もう研究が開始されているという。

「我が巨人軍は永久に不滅です。」と長嶋選手は言って現役を引退したように、「我が人類は永久に不滅です」と自信をもって宣言できるならば、リニア中央新幹線も「重力列車」も希望に満ち溢れたものになるんだが。

アラビアのロレンスと今

 
2016年年明け早々から『テルアビブのパブで銃乱射、9人死傷』というニュースが飛び込んできた。
イスラエル中部テルアビブ(Tel Aviv)中心部にあるパブと付近のカフェで1日、男が銃を乱射し、2人が死亡、少なくとも7人が負傷したという。
続いて2日には、イランでアラビア大使館が襲撃され、3日にはアラビア政府が直ちに対抗処置としてイランとの外交関係を断絶を発表。アラブ諸国を巻き込んでの大騒動になっている。
昨年末パリのテロ事件が起こって以来、世界のあちらこちらでISもしくはそれに関係する勢力によるテロ事件や未遂事件が相次いできたが、どれも火種は中東にある。
またかという思いか、お正月気分に浮かれてかそれほどの衝撃も日本人には与えなかったようだ。
それよりもびっくりしたのは1月6日の『北朝鮮、4回目の核実験「初の水爆実験」と発表』のニュースだ。テレビや新聞では1日中このニュースでもちきりだった。

いずれにしろ、これからの世界を暗示するような嫌なニュースの年明けになった。
北朝鮮による核実験騒動は日本では大きく取り上げられ、一日中その報道でもちきりだったが、世界的にはやはり中東問題が深刻だ。
イスラム宗派間の対立問題に加え、十字軍以来のキリスト教徒とイスラム教徒の争い、キリスト教徒とユダヤ教徒の2000年来の対立、国を持たない最大の民族クルド人の反乱や同じく現国境を超えた国を自称する「イスラム国(IS)」の対等、さらにはそれらすべての対立の背後にうごめくユダヤ系巨大資本、冷戦以来いまだに対立が続くアメリカと旧ソ連今のロシアの政治的対立、まあこれほど複雑に絡み合った対立のるつぼはないのである。中東アジアが『世界の火薬庫』と言われる所以だ。

エジプトの名優オマー・シェリフ(Omar Sharif)さんが昨年2015年7月11日に亡くなった。ご存知の方はおられるだろうか。
1962年に『アラビアのロレンス』で砂漠の民ベドウィンの族長アリ(Sharif Ali)を演じてアカデミー賞にノミネートされ、また同映画と、その後に主演した『ドクトル・ジバゴ』では、ゴールデングローブ賞を受賞した名優だ。
砂漠の地平線の彼方から陽炎に揺れながらやって来る長ロングショットで華々しく登場するベドウィンの族長アリ。ピーター・オトゥール(Peter O’Toole、2013年12月14日死去)が扮するロレンスに付き従い、アラブの独立のためにオスマントルコに立ち向かう雄姿が今でも瞼に浮かぶ。
彼が生前、世界的な名声を得たことについて複雑な思いを吐露。「『アラビアのロレンス』に出演せず、世界的に有名になっていなかったとしても、それはそれで幸福だったかもしれない、わからない。」と述べていたという。
『アラビアのロレンス』こそ、今のアラブ世界の混乱を招いた元凶だという歴史の真実を知るに及び、映画とはいえそこに出演した複雑な思いに、彼は胸を痛めていたのだろう。

アラブ世界を束ね栄華を誇ったオスマントルコの凋落を幸いと、新たな植民地獲得に血眼になる帝国主義諸国、イギリス、フランス、それにロシア、中でもイギリスの二枚舌外交、三枚舌外交という謀略に載せられたアラブの民族独立運動は裏切りと不信だけに遭遇した。イギリスの謀略の先兵になったのがまさに『アラビアのロレンス』だったわけだ。
利権だけを根拠にした勝手な国境の線引き。アラブの分断。ユダヤの強大な資本をもとにイギリス、アメリカが後押ししたイスラエルの建国。オスマン帝国時代にはクルド州にいた3000万のクルド人などはトルコ、イラク、レバノン、ヨルダン、シリアなど、帝国主義諸国によって勝手に線引きされた諸国に分散させられ、その国々においては少数民族に追いやられた結果、迫害と人種差別、民族差別だけが待ち受けていた。
民族の独立と国家建設をエサに、西洋諸国(背後には石油の利権を牛耳るロスチャイルドのようなアメリカやイギリスの大資本家がいる)にとって不都合な、時の政権打倒に利用され、また時には国家の反乱者に仕立て上げられ、親米的なアラビアやアラブ首長国連邦の王族だけが富を独占するいびつな近代化がなされたのが中東アラブである。
アラブ諸国、イスラエルとパレスチナ、中東アジアに繰り広げられる報復と憎しみの連鎖は断ち切りようのない深刻さを増しているのだ。
それに胡坐をかいていたのが西洋社会であり、日本も無関係ではありえない。
今年正月のパリの風景は異様だった。例年なら世界から押しかける人で込み合うシャンゼリゼは閑散とし、特に日本人はほとんど見かけなかったという。
繰り返されるテロに世界が震撼しているのだ。我が蒔いた種、自業自得と言えぬこともない。
『アラビアのロレンス』は確かにいい映画だったし、ロレンス自身はアラブを愛し、イギリス情報将校の立場を忘れるものがあったかもしれないが、彼もまた国家のエゴに加担し、歴史の大波に翻弄された一人のイギリス人だったのだ。