愛犬の「ゆめ」が死んだ。考えさせられた。死とはこういうものなんだと。そして・・・
息子の嫁が日本での出産を終えて、息子の赴任地である韓国ソウルに帰ることになり、妻が当面の手助けのため同伴することになった。
仕事のため別のところに住んでいるぼくがそのため二週間の約束で「ゆめ」の面倒をみることになった。
「ゆめ」はシェルティの愛称で呼ばれるシェトランド・シープドッグで、賢くて気品があり人懐こくて、およそ番犬とはいうが不向きな犬である。
中型犬で、もともとは名の通り羊を追いかける犬だから室内犬ではないが室内で飼っていた。
もちろん室内でおもらしはしたことがない。朝晩二回の散歩時に用は必ず済ますし、少々時間がずれても絶対にその時まで我慢している。ぼくなんかからすりゃ、まずこれだけでも驚きだ。
また、どんな人が来ても喜びはするがまず吠えたことはない。そのくせ、ぼくや誰か家の者が家から出ようとするともう身支度をしている時から付きまとい、出際には激しく吠えてズボンの裾を引っ張ろうとさえする。
おそらく仲間内から誰かが抜けようとするのを防ぐシェルティ特有の習性からそうするのだろう。
その「ゆめ」を預かって最初の一週間はいつも通りに過ごしたが、一週間目くらいの朝、散歩中に激しく嘔吐した。その嘔吐の仕方が尋常ではなく、転げまわってもうこのまま死んでしまうのではないかと思ったほどだ。
しかし、ほどなく立ち上がっていつも通り何食わぬ顔で歩き出したから、こちらもそれほど気にも留めなかった。
その次の日くらい、外から帰ったら床に血痕が二三箇所付いていて、「ゆめ」がいつも寝ている布団にもわずかだが血痕がある。
妻にメールで問い合わせたら、二年ほど前に乳癌が見つかり、抗がん剤で抑えていたら小さくなったので、定期的に検診は受けてはいたが、そのままにしていたが、そこからの出血ではないか、様態が悪くなるようなら犬猫病院に連れて行ってくれとの返事。
しかしその後、特に悪くなった様子もないし、近所の犬猫病院の様子もあまりよくわからないのでそのままにしておき、残りの一週間が経った。
妻が夜帰国するので、「ゆめ」には夕食をいつものように与え、最後の散歩を終えて車に積んでそのまま空港に向かった。
空港から高速道で二時間足らずの自宅について、「ゆめ」を家に入れたとたん、腰を抜かしたように倒れこんでしまった。口からまたわずかだが血を出している。
翌日は日曜だったが、幸いかかりつけの獣医が朝だけ自宅で診療してくれるというので、朝一番、雪中をさっそく見てもらうことになった。「ゆめ」はもうすっかり昏睡状態。
お腹全体に張りがあり、首のリンパが腫れていて思わしくない状態だという。とりあえず応急手当だけして、自宅の診療所にはいろいろな設備がないので、翌月曜日、本院でレントゲン検査その他精密検査をしましょうということになり、その日は引き上げた。
そして月曜日の朝。
「ゆめ」は相変わらず寝たまま。水は少し含ませたが、フードには全くの無関心。
8時半くらいに、病院に連れていく準備をしていた時、今まで昏睡状態で寝ていた「ゆめ」が突然立ち上がり、ふらふらっと数歩歩いたかと思うと、おしっこをじゃじゃじゃと漏らし、そのままばたんとまた倒れこんだ。
それから間もなく、体を2、3回ぴくぴくっと痙攣させて息が絶えてしまった。あっけないといえばあっけない最期だ。
ぼくも妻も涙も出なかった。
それにしても実に気高い死に方だ。
おしっこだけはよほどしたかったのだろう。おそらく「ゆめ」は散歩の道すがら、おしっこをしたに違いない。全身の力を振り絞って見苦しくなくおしっこをしたのだ。
犬だからわからないが、妻が手塩にかけて可愛がっていたので、妻との再会だけを待ち侘びて命を繋いできたのだろう。
おそらく乳癌が全身に転移し、末期癌状態だったに違いない。それを最期までおくびにも出さず、シェルティの誇りを失いたくなかったのだ。
考えさせられた。死とはこういうものなんだ。尊厳死とか安楽死とかもよく耳にはするが、深く考えたこともなければ、ましてや自分にそんな現実が待ち受けているなんて思ってみたこともない。
しかし生きとし生けるもの、死は必然だ。自分だって例外ではない。
外では、梅が咲き、桜の便りが届き、新しい命が生まれる中、また一方ではこうした死が待ち受けているのも忘れてはならない。その備えはあるやなしや。
「ゆめ」がまた宿題を突き付けた。
きっと感謝して逝ったのでしょうね。物言わぬワンならばこそのお別れに胸が迫りました。