もう1か月以上前になるが、京都府亀岡市で小学校へ登校中の児童と引率の保護者の列に軽自動車が突っ込み、計10人がはねられて3人が死亡、7人が重軽傷を負うという痛ましい事故があった。原因は居眠り運転とみられ、軽自動車を運転していた少年(18歳)は無免許運転であったという。
テレビや新聞でも大きく取り上げられ、原因が「居眠り運転」でしかも「無免許」というから、起こるべくして起こった事故としてその原因に多くの人が納得したに違いない。
しかし果たしてそれだけが原因であろうか。
テレビの実況中継を見ていて、曲がりくねった幅の狭い府道に白線を引いてあるだけでガードレールもない、あれでは「居眠り運転」で「無免許」でなくても死亡事故が起こってもおかしくはないとつくづく思った。
学童が登下校するというのになぜガードレールを設けなかったのか。さらに踏み込んでなぜあんな細い道に自動車を通すのか。このことを考えてみたときに、また「道」の果たす役割を考えてみないわけにはいかなくなった。またといったのは、このブログでも何度か「道」について書いたことがあったからだ。
20世紀を特徴づける事例は数え上げたらきりがないが、その一つが「車社会」の誕生であろう。
自動車の歴史をさかのぼれば18世紀末の蒸気自動車が始まりで、大衆化し一般社会にも普及しだしたのは20世紀初頭のフォードからだと言われている。
それ以来アメリカはもちろんの事、全ヨーロッパそして日本も急速に車社会に発展していったわけだ。
高級車が走り、大衆車が走り、道という道はそのためにどんどん舗装され、高速道路が網の目のように張り巡らされ、今や中国をはじめとする新興国の参入で全世界が車であふれかえる社会に変貌した。
さて問題はここからだ。
車の普及は確かに世の中を便利にし、物流は活発化し、老若男女車に乗れば日本の隅々まで行けるようになったわけだが、特に都会の社会生活は一変した。
学校から帰ってきた子供たちであふれかえった道。近所の奥さんやおばちゃん、おっちゃん達が立ち話をしていた道。夏の夜ともなれば床几を持ち出して夕涼みをした道。もうそんな道はどこにもない。
道という道に自動車があふれ、歩くのにも神経を使い、排ガスで空気は濁り、道で子供たちが遊ぶことなんてもってのほかだ。
人と人のいちばんの交流の場であった道が交流を分断する道、公害をまき散らす道に変わってしまい、それぞれが隔離された生活を余儀なくされてしまった。
学校から帰った子供たちは塾やおけいこごとに向かい、大人たちは買い物、遠出以外は家にこもってテレビを見、昔のようにちょっと外に出てみるということはなくなった。出るとしたらまたこれが車である。
車の出現によって「道」が車に独占され、人の行き来さえままならなくなった「道」が地域コミュニティを崩壊したと言っても過言ではない。
いったいこの変化からもたらされたものは何だろう。ここで言い出したらきりがないが、あまりにも負の側面が大きいことは確かだ。
冒頭で取り上げた交通事故は言うに及ばず、今問題になっている様々な社会現象、これらすべてがあまりにも車中心になってしまい、「道」の本来的意義を見失ってしまった結果だと断言したい。
ならどうすればいい?
昔の「道」に戻せばいい。ノスタルジアでもなんでもない。車を捨てるわけでもない。夢物語でもない。
車中心の社会構造を変えればいい。意識を変えればいいんだ。
都会には、車の全く通らない道、車だけが通る道、これを二分すればいい。車ばかりが便利な道ではなく、人にも便利で安心できる道を作ればいい。
家ごとに、会社ごとに駐車場を設けるから不便を感じるわけで、地域ごとに共同駐車場を設ければいいし、車の使い勝手も工夫すればいい。いくらでも考えられる。
もう長くなったのでこの辺りで話は終わりたいが、夢はどんどん広がってゆく。
20世紀は車中心に「道」を考えてきたが、21世紀は人間中心の「道」を復活していくことだ。そうすれば日本はもっともっと豊かな国になる。