今朝の朝食は身も心も暖まる朝食になりました。
いただいた大根はふろふきにして、昨日大原で買っていただいた「ゆず味噌」をたっぷりとぬり、暖かい玄米ご飯で食べたらもう最高でした。
それと、この大根に付いていた葉っぱ、普段買う大根にはこれが付いていなくて、それも沢山付いているのでどうしたものかと思案していてですね、ちょっと葉っぱの端っこを生のまま食べてみたら、とても柔らかくほろ苦みがあって美味しんです。これはもったいない、さっそく買ってあった鶏肉と醤油の薄味で、葉っぱの緑が消えない程度に煮込んで食べてみたら、これがまた実に美味しい。
最後に食べた赤かぶらのお漬物も美味しいし、最高の朝食になりました。
京都大原といえば、たしか寂光院が焼ける前だったからもう十年以上になりますか、それまでにも何回かは行ったことがあるんですが、その時は鞍馬からひと山越えて歩いていったことを思い出しました。昨日もそうですが、大原は里道がいいですね。至る所に清流があり、美しい野草を見て歩くのも楽しいし、ちょっとしたお店で民芸品や焼き物を見るのも楽しい。どこからともなく芳香が漂ってくるので先を見ると、テントの中でお茶を炒っているお店がある。挽き茶を摘んでみると香りがぱあっと口に広がり、心もやすらぎました。
寂光院のお堂はすっかり新しくなっていて、六万体地蔵菩薩も当初の彩りを蘇らせ、それはそれなりに美しく、これからも多くの人達のご礼拝をお迎えになるのでしょうが、お堂が焼けたときは本当にびっくりしましたね。金閣寺の時もそうでしたが、昼間の喧騒がおさまり、本当の静寂が訪れたとき、闇夜の静寂にたたずむ無限に美しきものを独占したいという気持ちと、おのが身と心の醜さに引き比べて嫉妬し、炎という情念の中にかき消したいという人の魔性を引き出した結果だと思いました。
紅葉はもう盛りを過ぎ、温かい陽だまりの所だけかろうじて大原の紅葉をとどめていましたが、それもそのはず、昨日食べに入ったお店は客席が全部電気炬燵でしたものね。白いお餅の入った小豆ぜんざいで体が暖まりほっとしましたよ。
もう今年もあとわずか、お互い元気に年を越せますよう。合掌。
なんて素敵な、贅沢な朝ごはんを召し上がったのでしょう。
羨ましいかぎりです。