山向こうにひときわ大きな入道雲が湧き起こっている。真っ白に輝くこの雲こそあの時見た雲だ。
「三つ違いの兄さんというて暮らしているうちに、情けなやこなさんは・・・」
大叔父の鶴沢友春の弾く三味線に合わせてぼくが語り始めると、居合わせた村の人たちから一斉に拍手が起こる。
拍手はすぐに収まり、語りに耳を傾けていた人達の中にタオルで涙を拭う人が出る。
小学校の2年生か3年生だった。
浄瑠璃の師匠であった大叔父に連れられて、お弟子さんのいる淡路島に出かけた思い出だ。
その年、夏休みが始まるとすぐ、大叔父がぼくに浄瑠璃を教えるという。
言われるがままお稽古を続けたが、不思議と違和感も苦痛も覚えない。
「筋がいい」と褒められたのかおだてられたのか、人形浄瑠璃「壺阪霊験記」を2週間ほどで叩き込まれた。
淡路島に連れて行って皆の前で語らせるといわれた時も、物おじもしなかった。
というのも、前の年、やはり大叔父に連れられて淡路島に行った時、浄瑠璃の発表会の後催される食事会の食事が忘れられないものになっていたからだろう。
蓮池に飼ってある鮒を何匹も取ってきて、村の人たちがさばき、それはそれは豪華なお膳になる。
子供のぼくにも大人と同じお膳が出て、何から手を付けていいのか迷ったくらいだ。
ぼくが語り終えた後もお弟子さんたちの語りが続き、やがて待ちに待った食事会が始まる。
幾部屋かの襖を取り払った大きな部屋で何十人いただろう。お弟子さんや村の人たちで溢れかえらんばかりだ。
部屋の向こうの稲田には真夏の陽光がギラギラ光り、その向こうの瀬戸内海の上にかかった入道雲が、今まさに目の当たりにする入道雲だ。
もちろんクーラーなんてものはない。扇風機が何台か首を振っているだけで、団扇を使う人もいる。
海から吹きあがってくる風が実に涼しい。
おいしい。
子供のぼくはただ箸を運ぶのに忙しかっただけだったように思う。