11月3日文化の日にちなんでということではないが、大阪天王寺にある市立美術館で開催されている「北斎展」に足を運んだ。
目の前には通天閣が聳え立ち、大阪の下町中の下町とも言っていい「新世界」、その隣には東の山野と並び称せられるドヤ街大阪釜ヶ崎が目と鼻の先という立ち位置が、なんとも大阪のらしい大阪市立天王寺美術館なのである。
葛飾北斎といえば、世界に最も知られた日本人画家であり、ゴッホやモネその他西洋画家にも多大な影響を与え、ドビッシーの代表作「海」は北斎からインスピレーションを得て作曲されたというエピソードが語り伝えられていて、事実、1905年に出版されたスコアの表紙には、葛飾北斎の浮世絵である冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が使用されているそうだ。
そのくらいの知識を携えての鑑賞と相成ったわけだが、実際に見た北斎は予想をはるかに超えるものだった。
どの作品もどの作品も、言われている構図の見事さは言うに及ばず、一部の隙もない完璧さで仕上げられていて、全体からみればごく一部でしかない登場人物の表情、所作、足遣い、邪道かもしれないが細部を余すところなく見たが、ただ唸るだけである。
しかもその作品数の膨大さと囚われるところのない自由闊達さ、ユーモアあふれる漫画から襟を正さざるを得ない作品まで、ち密でしかも魂を揺さぶるような伝達性はまさしく芸術一級品であることがぼくにもわかるような気がした。いくどか感動のあまりそっと目頭を押さえたことを告白しておく。
鑑賞順路半ばで疲れ果ててしまった。
うまい具合に図書室のような休憩場所があって腰を下ろしたわけだが、ふと、フェノロサと岡倉天心の顔が頭をよぎった。
明治維新の西洋崇拝と伝統文化の唾棄が吹きすさぶ中、仏像や浮世絵など様々な日本美術の美しさに心を奪われ、「日本では全国民が美的感覚を持ち、庭園の庵や置き物、日常用品、枝に止まる小鳥にも美を見出し、最下層の労働者さえ山水を愛で花を摘む」と日本人の感性の豊かさと芸術作品の秀逸性を訴え続けたフェノロサ、そしてその教えを守り実践活動をした天心。
また涙がこみあげてきて、休憩が休憩にならず、引っ張られるように次の展示室に向かった。