今日(3月27日)も東京では雪がぱらついたとテレビが報じている。
つい先日の22日、同じテレビで東京千代田区の靖国神社境内のさくら(標本木・ソメイヨシノ)の花が 5~6輪以上開いて開花宣言されたばかりだから、あれあれという感じだ。
いつもiphoneで写真を撮り、それに俳句を付けてTwitterに流しているぼくも、今日はとんでもない間違いをした。
春咲きの コスモス(秋桜)咲いて 季語はさて
コスモスのつもりで載せた写真がマーガレットの写真だったのだ。
確かにコスモスとマーガレットはよく似ていて、マーガレットの花弁は一枚一枚はっきり分かれているけれども、コスモスの花弁は一枚一枚の花弁面積が広くてくっついているものも多いというわけで、実物を見れば間違わないんだけれど、撮り溜めしていた写真から選んだものだから、つい間違えちゃった。
コスモスも漢字表記は秋桜で、元々は秋の花で、俳句なんかでは秋の季語の代表になっているんだけど、今の季節、確かにコスモスも咲いている。それどころか、最近ではよく見かける光景になっていて、俳句界でもコスモスを秋の季語から外したのか外そうとしているのか、そんな噂も聞えてくる。
『三人寄れば文殊の知恵』の文殊菩薩で名高い奈良の安倍文殊院の春咲きコスモスは昔から地元ではよく知られているが、これとて「春の花情報」には載っているとは限らない。
椿、桜、チューリップ、藤、ツツジ、バラの情報はたくさん紹介されているが、コスモスは大概「その他」の欄に一つだけこの安倍文殊院のコスモスが載っているだけだ。
だから、コスモスは春の花としての認知度はまだまだというわけで、上記の句で関心を誘ったわけだが、これまたズッコケたわけだからぼくらしい。
事左様に、自然界はもちろん、食卓の上る食材、社会の風習、その他諸々に渡って、いわゆる伝統的な季節感が喪失とは言いたくなくて、変化してきているのは事実だ。
これが地球環境の変化というものもあれば、農業技術、科学の進歩、社会構造の変化によるもの、情報革命に端を発する物もあるだろうし、これらすべてが相まって時代の潮流となるのであろうが、中には見過ごしてはいけない事象も多々あるだろう。
吉田兼好の「をりふしの移り変はるこそ、ものごとにあはれなれ。 」はけだし名言で、大好きな一段だが、身の回りの環境の変化に目を向け、その底流になっている本質を見抜ける目を持ちたいものだ。