♪♪♪ 同期の桜 ♪♪♪
文藝春秋8月号は毎年買う。
芥川賞の後期発表作品が掲載されることが一つ。もう一つは太平洋戦争に関する特集が出るからである。
今年の芥川賞は玄人受けはするかもしれないが、あまり印象に残る作品でもなかった。
太平洋戦争関連の特集は今年は「太平洋戦争 語られざる証言」というタイトルで、有名人から無名の人まで何らかの形で今次大戦にかかわった人たちの証言集である。
1932年ロス・オリンピックの英雄バロン西の最期を硫黄島で見届けた海軍中尉、断末魔の戦艦大和で上官の切腹に立ち会った17歳の少年兵、敗戦翌日に特攻命令を受けた一人のゼロ戦パイロット、・・・。
どれもが昨日の出来事のように迫ってくるのは何だろうか。まるで自分がその現場に立ち会ったような錯覚さえ覚える。
尖閣諸島の問題、竹島問題、最近きな臭いニュースが絶えない中、のど元過ぎればの譬え通り、またまた愚かな方向に行きはしまいかと思う反面、ここで語られている壮絶さと比べりゃなんてことはないとさえ思ってしまう。こわいこわい。
32万人もの死者、行方不明者が想定される東南海地震のこともそうだが、現実は現実なんだがどことなく差し迫った現実とはとらえられない乖離性が人間にはあるような気がする。
実際に体験したり、直面しない限りのほほんとできるから、人間生きていけるのかもしれないが、だからまた同じ愚かなことを繰り返す、そんな大不条理を抱えているのも人間かもしれない。
しかし、今こうして生きていかねばならないし、生きていくには様々な困難にも立ち向かっていかねばならないし、個人も同じ、国家社会も同じ。
文藝春秋に毎年8月に特集されるこうした記事は、大いに意義があるし、大切なんだが、またどれだけの人が読むのかと思えば、杞憂が立ちはだかることも実感だ。
此岸と彼岸、仏教で語られるあの世の存在を、意識と無意識の中に混在させ、人は、人間は生きているんだろう。