母校を訪ねて

♪♪♪ 学生街の喫茶店 ♪♪♪

 

香港在住の友人が来日することになり、初夏の陽光も眩しい古都奈良を訪ねた。
先月5月2日にも「遷都1300年祭」を開催している平城京を訪れ、その際訪ねた奈良公園は、吹く風にもまだ肌寒さを感じるほどで、木々はまさしく若葉眩しいころであったが、たった1か月で緑も深まり、行き交う人もすっかり夏衣裳に変わっていた。
行きの車中、お互い昔同じ地域に住んでいたことは分かっていたが、同じ高校の同窓生であることまでは知らなかったから、それを聞いたときは奇遇の不思議さに二度びっくり、最初訪れる予定であった紫陽花の「矢田寺」もいつの間にか通り過ごし、ただただ思い出話に花を咲かせることになってしまった。
公園についても、歩けば歩くほど汗ばむほどで、涼を求めて入った食堂の和室で美味しいそうめんの定食を取りはしたが、それ以上の散策もあきらめ、それでは母校を訪ねてみようということになった。
奈良郊外もすっかり昔とは趣も変わり、新しい住宅街が延々と続くなか、大阪と奈良の県境を越えたところにあるわが母校を目指した。
幹線道路からどの道をたどれば母校にたどりつけるか、昔なら、この幹線道路から田んぼをへだててはるか向こうに見えた母校がもう今では家、家、家で全く見えない。
ええーい、ままよと入った道をたどると、昔はいかにも田舎の駅舎であった国鉄の駅舎はなく、モダンで大きなJRの駅ビルディングに変わっている。辻違いであった。
ここから少し離れた踏切りを渡って母校にも行けたが、いまは一方通行で車では渡れない。仕方なく元の幹線道路に引き返し、探し探しやっとのことで母校に辿り着くことができた。
と言っても最初は母校とは分からず、また道を間違えたのかと思ったほどだ。
学校を囲む高いコンクリート塀がモダンな鉄製のサッシ塀に代わり、薄汚れた校舎としか印象が残っていない校舎が薄く明るいベージュに色塗られ輝いている。校門もすっかり昔と違う。
しかし校門を入ると確かにわが母校だ。右に小さな庭園があり、こんもりとした木立は昔と変わらない。その横の校舎の入り口も昔のままだ。古い木製のドアで厚手のガラスが入っている。入ると大きな古い振り子時計があり、アーチ型の天井が向こうに続く廊下は何とも懐かしい。
土曜日だから学校は休みだが、クラブ活動の学生たちがあっちこっちにたくさんたむろしている。
友人は、校門の左にあった大きなクスノキがないとしきりにつぶやいている。
校門からすぐ向こうに見える小高い山のふもとには神社があり、友人はそこで「初キス」をしたと山を見上げて突然告白した。恥ずかしそうな姿が初々しい。
夏休み、裸で勉強した教室はどこだっけ、ぼくをよく呼んでお茶をすすめてくれた社会の先生はどの部屋だったけ、校門の前で仁王立ちになって遅刻生をにらみつけていた「ドンコ」(近藤先生)はもう立っていないのかなあ、・・・・・
思い出せば思い出すほど、ただ、胸が熱くなるばかりだ。

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