妓王の事

 
♪♪♪ 嵯峨野さやさや (オペラ岸さんの作品です)♪♪♪

HKの大河ドラマ「平清盛」の人気がもう一つということだそうだ。ぼくも最初の何回かは見たが、長続きしなかった。
清盛人気にあやかろうと目論んでいた兵庫県知事が「画面が汚い」とクレームをつけ問題になったそうだが、確かにあの煙った画面を見ていると息苦しくなってくる。俳優たちの健康も気になってしようがなかった。 NHKは「当時の空気感を出している」と反論したそうだが、史実に基づいた時代考証も大切なことはわかるが、あの空気感がこのドラマに果たしてどれだけプラス効果を出しているのかはなはだ疑問だ。
平清盛といえば「平家物語」だが、「平家物語」には読んでいてももっと清澄感がある。
「祇園精舎の鐘のこえ、諸行無常のひびきあり」で始まる格調高い文章に初めて接した時の感動は今でも覚えている。なるほど琵琶弾きで語られた様に文章にもリズムがあり、流れる文章の中に哀感漂う「無常観」が自然と伝わってきた。ぼくのその後の人生観にも大きな影響を与えたであろうし、ぼくだけでなく、おそらく日本人の精神世界の中核になっているのではなかろうか。
東北大震災に示され、世界に賞賛された日本人の言動や行動様式もおそらく「平家物語」に流れる日本人特有の「無常観」とは無縁ではあるまい。
この間もあるテレビのクイズ番組で、「平家物語と同じジャンルはどれですか?」と問い、答えに「源氏物語、伊勢物語、栄花物語、太平記、方丈記」が用意され、「平家物語」は軍記物語だから正解は「太平記」というのがあった。 高校なんかの文学史でもそう習ったわけだが、「平家物語」は決してそんなジャンルにとどまる物語ではない。 生死をかけた戦の中に描かれた様々な男たちの人間模様もさることながら、見出しに挙げた「祇王の事」、さらに「小督の事」、祇園女御の事」、「横笛の事」といった女性にまつわる物語は数は少なくとも、この「平家物語」に言いようのない彩りを添えている。
京都嵯峨野にはこうした「平家物語」ゆかりの場所はたくさんあるが、やはり「祇王寺」が何度行っても心洗われる。
はじめ清盛に寵愛された妓王、妓女も、仏(御前)が現れるや手の平を返した仕打ちを受け、寵愛を受ける真っ只中の仏御前も明日は我が身と、すでに出家し今の祇王寺あたりに庵を構える妓王、妓女を頼って尼になるという物語は、能・狂言でもその花といわれるほど有名である。
大河ドラマ「平清盛」ではこの辺りをどう描くのか楽しみだが、そのあたりの場面ではあの煙りをぜひ取ってもらいたい。

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