
願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃
言わずと知れた西行の歌です。この歌を初めて知ったのは高校の古文の時間でした。歌の内容もさることながら、特に興味を持ったのは、「その如月の 望月の頃」で、解釈によっては僕の誕生日の3月30日に当たるからです。
西行はこの歌の通り、釈迦入滅の日の翌日、文治6年(1190年)2月16日73歳で没しています。仏教の開祖お釈迦さまの入滅の日である旧暦2月15日の満月の日は、出家した西行にとっては特別の日であり、同じ涅槃会(ねはんえ)の頃に死にたいものだと願ったとのことです。この文治6年(1190年)2月16日は和暦によるもので、ウィキペディアではこの日をユリウス暦で3月23日としていています。さらにユリウス暦を改良したグレゴリオ暦では3月30日、つまり僕の誕生日と同じ日になるわけです。
この歌が詠まれた年は不明ですが、西行は享年73歳、この歌はその約10年前に詠まれたものだと言われています。当時としては長寿といっても良い60歳を超えるほど生きた西行は「もう思い残すことはない」という感慨をこめて、理想の死についてこの歌を詠んだのかもしれません。桜を愛した歌人として知られた西行が、満開の桜の下で、しかも釈迦入滅の日に死ぬことを望んだのは自然なことでしょう。
漂泊の歌人、西行は旅に生きた人でした。旅の中での感興が様々な歌に詠まれています。考えてみると人生も旅のようなもの。出会いと別れの連続です。今の日本では桜の季節は別れと出会いの季節になっています。美しく咲く桜のもと、別れる人々を大切に心にしまい、新たな出会いに気持ちを切り替えてまいりたいものです。
余談になりますが、この歌をきっかけに、高校の古文の先生が「アララギ」派の歌人で、その先生の勧めで会誌に投稿を勧められ「アララギ」会誌の末席を汚したこともありました。