今回の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)は今の日本を様々な側面からあぶりだしている。
3万人にも及ぶ死者、行方不明者を出したのは痛ましい限りだが、その後に展開された被災地を中心にした人間のドラマには数えきれないくらいの感動を多くの人々の胸に刻み込んだ。一言で集約するとしたら「友愛(博愛)」の精神である。譲り合い、助け合い、奉仕に徹する姿は震災直後から世界の注目をひき、驚嘆と感動の言葉が日本に向けられた。
思うに、こうした友愛の精神は日本人の本質的な部分で、何も今更のことではなく、伝統的に育まれてきた資質である。近代国家が、フランス革命が旗印にした「自由、平等、博愛(友愛)」をベースにして発展してきたことは間違いなく、自由は資本主義思想を生み出し、平等は共産主義思想を導き出し、20世紀はその思想が国家形態として具現化され、せめぎ合い、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経ることによって、現代に至っているわけだが、日本の近代化は世界でも特異な形で発展してきた。なるほど資本主義には傾斜した国家形態ではあるが、今やもっとも社会主義的傾向の強い資本主義国家だとも言われている。明治維新、第二次世界大戦を経て、自由は世界的に見てもかなりの部分実現されているし、平等にしても、世界的には比較的実現されてはいるだろう。
この特異性の原点は、日本人の特質である「友愛」精神であるに違いない。極東の、西洋社会からは最も離れた位置に位置する地政学的な点から育まれたのか、地震あり、台風あり、水害あり、しかし緑豊かな湿潤でマイルドな自然がそういう日本人に育てたのか、ともかく近代国家日本を形作ってきたのは日本人の「友愛」精神なのであり、はしなくも今回の大震災でこの精神がいかんなく発揮されたわけだ。
しかしその後の展開、ことに福島の原発問題は日本のもしくは日本人の負の局面をあぶりだした。
「国民は超一流、政治・行政は三流」と揶揄した外国新聞があったが、まさにその通りで、今回の原発問題は多くの部分人災である。
非常電源を津波に備えて高所に設置すべきところを経済的理由で地下に設置したこと、原子炉冷却に早く海水導入に踏み切っていればこれほどの被害をもたらさなかっただろうに、これも廃炉を恐れて踏み切らなかったというまたまた経済第一主義の発想など、東京電力の責任はあまりにも重大だが、国難に匹敵する重大性に気づかず指導力を発揮できなかった政府の危機管理能力にも重大な責任がある。
そしてその責任の取り方とこれもはしなくも露呈した、日本は果たして平等社会かという疑問。
東電の社長・会長は当初責任を取って報酬の50%削減をはじめ、役員の相当の減額を申し出たが、その後の批判もあって、社長を含む代表役員は当面無報酬、その他役員、管理職は相当の減額を申し入れたが、その役員たちの50%削減額でなんと年俸3600万円というから、平時の報酬額は推して知るべし。はたしてどういう能力があって、そしてその能力が発揮されてその報酬なんだと聞きたくなる。こから先何兆円とも何十兆円とも言われる負債を結局は国民に背負わせて、しかもその報酬?どういう算定なんだいとも聞きたくなる。
友愛はほぼ満点、自由はまあまあ及第点、さて問題は平等だ。この実現が一番難しい。何が平等か、どうすれば平等社会が実現するか、友愛と自由は進化していく可能性は大きいが、平等はいつの時代も不平等に拡大していく傾向がある。今の日本は不平等、経済格差がますます拡大しつつある。
結局は平等社会を実現するにもその都度その都度世直し、歴史的な言葉でいえば「革命」がいるのかな。