12月16日の総選挙を控え、テレビをはじめとするマスコミは連日総選挙関連の報道番組一色である。
そんな中、米航空宇宙局(NASA)は3日、1977年に打ち上げられた無人探査機「ボイジャー1号」が、太陽系の果てに近い新たな領域に到達したというニュースが流れた。(http://www.cnn.co.jp/fringe/35025216.html)。
1977年といえば、1964年の東京オリンピック、同年の新幹線開通、1970年の大阪万博、その間1968年にはGDPが西ドイツを抜いて世界第二位に躍進というように、まさに日本の高度成長期を経て、1973年の第一次オイルショックで一時的落ち込みはあったものの、日本列島改造論が飛び出し、高度成長の余波が続いていたわけだ。
この高度成長を支えていたのがまさしく電気エネルギーで、その電気エネルギーも水力発電では追いつかず、エネルギー効率も良い石油、石炭を燃やしてできる火力発電が主力になってゆく。
日本列島改造論に合わせて、道路網・鉄道網の建設とともに火力発電所lの設置が急速に拡大してゆくわけだが、当初、原油価格は安く、石炭に比べればはるかにエネルギー効率の良いということで火力発電は原料をもっぱら石油に依存してゆく。
三池炭鉱、夕張炭鉱といった石炭炭鉱は次々と消えていき、もう石炭は見向きもされなくなる。
そんな中の第一次オイルショック、そして1979年の第二次オイルショック。
民族意識に目覚めた産油国は次々と原油価格を上げてゆく。エネルギー資源としても石油に大きく依存していた世界中がパニックに陥ったわけだ。
石油、石炭に依存しないエネルギー。
それまでにも原子爆弾のとてつもないエネルギーをなんとか平和利用できないかと研究開発を進めていた原子力エネルギー、日本もいち早く原子力エネルギー獲得を目指して原子力発電の開発に取り組むわけだが、オイルショックがさらに拍車をかけることになる。
1975年には官民一体になって今や原子炉の標準型になっている「軽水炉」の標準化に向けてスタートしてからは、国内のいたるところに原子力発電所が設置されていくわけだ。
さらにさらに拍車をかけたのが、深刻化する大気中の二酸化炭素増大による地球温暖化問題。
民主党政権に代わってすぐの2009年9月、鳩山首相が国連で、二酸化炭素を2020年までに1990年比で25%、2005年比で33.3%削減して地球温暖化を防ごうと提案、各国首脳から拍手をもって賛同されたわけだが、この時点で、建設中4、計画予定9、合わせて13の原子力発電所を新たに作ろうとしていたわけだ。
福島原発事故はこの原子力エネルギ―活用の継続を巡って大問題を提起した。
今回の総選挙でもこれは最重要な争点になっている。
今後の日本の行き先を左右する重要問題だ。
冒頭に「ボイジャー1号」のニュースを取り上げたのは、光の速さ(約30万キロメートル毎秒、つまり太陽から地球まで約8分20秒、月から地球は2秒もかからない速さ)で13時間もかかる距離にあるボイジャー1号から送られてくる信号の動力源が「原子力電池」であることに注目したからだ。
人間が獲得した叡智は、人類に多くの恩恵をもたらしたが、使い方を間違えば、多くの災害、被害、虐待ももたらした。
それは原子力という20世紀最大の発見だけではない。
原子力が生み出すエネルギーもうまく活用すれば、まだまだ人類に恩恵をもたらす気がするのだが、この考えは甘いのだろうか。