今日は7月1日。2015年も半分過ぎてしまった。
「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草の夢、階前の梧葉すでに秋声。」
高校の時漢文で習った朱子の「偶成」であるが、その時からずっと頭から離れず、事ある毎にふっと頭によみがえり口ずさんでしまう。
少年の時だけではない。この歳になっても、いや、この歳になったからいっそうなのか、時の過ぎ行く速さだけは嫌というほど思い知らされている。
ただ「学成り難し」の部分は大いに疑問である。
学が成就したからではない。成就させたいだけの目標と希望が見当たらないことに忸怩たる思いが残るからだ。
どこかに人生の終焉を意識して、諦観が巣食い始めているからだろうか。
先だっても、小説家の五木寛之氏が出した『好運の条件―生き抜くヒント―』を読んだが、実に淡々としたものだ。
ある意味、功成り名遂げた人だからかもしれないし、80歳を越えられている歳のせいかもしれない。
「幸運という言葉よりも、好運のほうが私は好きだ。」という氏は、「99%の努力と1%の好運」という考え方に素直に納得できず、今まで生き抜いてきた日々を振り返り、その好運多きに感謝するばかりだという。そして今は、「生き方」よりも「逝き方」を考える時代にさしかかっているのではないか、と人生の終末を迎える心構えを語っている。
諦観が巣食い始めているという実感はあっても、まだ五木氏のような淡々とした心境にはなれない。人生の終末を迎える心構えもない。
自らの学成り難しという目標はなくとも、後生に託す思いはまだまだ強いから、日々格闘である。好運よりも努力を強調する毎日である。
そんな中、今日そうめんが届いた。
話題がガラッと変わって恐縮だが、そうめんこそ我が人生。
朱子の「偶成」に触発され、勉学にいそしんでいた高校y時代にこのそうめんと出会ったからだ。
両親が働いていて、大叔母が食事の世話や様々な親代わりをしてくれていたが、高校時代はともかく腹が減る。
特に夏休みになると、一日中家にいて勉強だから、腹が減ってしょうがない。
そんな時に、お中元だったかどうか、たまたま木箱入りの三輪そうめんを頂いた。
お盆までは開けてはいかんと言われていたが、腹のグーには勝てない。
後でばれないようにそっと三把そうめんを抜き取って、冷やしそうめんにして食べた。その美味しかったこと。
その美味しかったことがいまだに忘れられないから、よっぽどそのそうめんが美味しかったのか、それほど腹を空かせていたのか。
爾来半世紀以上そうめんを欠かしたことがないというから、他人が知ったらちょっとした偏執狂、病人だ。
夏は冷やしそうめん、冬は煮麺。それもほとんど具を入れない。具が邪魔になるのだ。
中国に滞在した時にも日本のそうめんを持参したが、具も何もいれずただネギだけを入れて食べる冷やしそうめんには中国人もびっくり。
日本人の食事はなんて貧相なんだ。可愛そうにと同情してくれる始末。
五木氏も上の本の中で、食事のことも多く語っているが、「君がどんなものを食べているかをいってみたまえ。君がどんな人間であるかをいってみせよう」というフランスの大食通、ブリア・サヴァラン(18世紀のフランスの政治家で『美味礼讃』を著し有名)の有名な文句を引き合いに出して、氏は自分なら「君がどんなものを食べているかをいってみたまえ。君がどんな時代に生きたかをいってみせよう」といって、昭和の時代を生き抜いた五木氏ならではの食の歴史を語っているが、そうめんを語っても時代を語り、文化を語ることもできる。
昨日からやっと梅雨らしい雨も降り、待望のそうめんが届いた7月1日。時の流れとそうめんと、何のゆかりがあるのやら。ふと語りたくなった次第。