じっとしていられない。前回に引き続き「今年のさくら」。
桜の咲き始めに罹ったインフルエンザがその後も尾を引き、桜を訪ねての狂い歩きは今年はだめかと諦めていた。
仕方なく、近くに買い物に出かけた折や早朝散歩の折にしか桜を見る機会がなかったわけだが、灯台下暗しとはこのこと。その先々で見る桜のなんと多くて美しこと。道の両側に街路樹のように植えてある桜が道を覆いかぶさっていたり、雑木林の中に突然目を見張るような桜の古木が枝もたわわに花を咲かせていたり、児童公園やちょっとした家の庭先にも桜が咲いている。いたるところ桜だらけだ。心がワクワクしてくるから不思議だ。
それでもそれでも。
ちょっと元気が出て出てきたので、じっとしていられない。
今年訪れたのが紀州和歌山の岩戸市にある根来寺である。
開花は例年通りだったそうだが、花冷えが続いたおかげで満開まで少し時間がかかり、訪れた4月6日は咲き切って、少しの風にももう桜吹雪だ。実にいい時に来た。
根来寺は、大阪の南、昔泉州と呼ばれた地域にある泉南市から、風吹峠、いい響きの峠だね、このなだらかな峠を、今はすっかり立派な道ができていているが、越えるとすぐのところにある。噂に違わぬそれはそれは立派なお寺だ。
なんでも、平安時代後期、高野山の僧で空海以来の学僧といわれた覚鑁(かくばん)が1140年に開山し、戦国時代には根来衆といわれる僧兵1万を率い、大きな勢力を誇った大寺院で、早くから種子島伝来の鉄砲隊を組織し、織田信長とは協力関係にあったものの、豊臣秀吉には敵対して敗れ、大塔・大師堂などの2~3の堂塔を残して全山消失。江戸時代に入って、紀州徳川家の庇護のもと一部が復興されたという。
36万坪という広大な境内に咲き誇る桜はなんと7000本といわれている。
境内の広さ36万坪(119万㎡)は甲子園球場(3.85万㎡)のおよそ31倍、東京神宮外苑(70万㎡)の約1.7倍、桜の数7000本は全国の17位というからその壮大さを窺い知ることができよう。ちなみに全国第一位は奈良の吉野山3万本は全山あげての数だし、お花見人出No1の東京上野恩賜公園は800本である。
大寺の表門にふさわしい大規模の二重門になっている「大門」をくぐると、そんなに多い桜だが、境内が広いものだからひしめき合っているという風ではなく、秋は紅葉でこれまた見ものという青い新芽を出しかけた楓と所々に林立する杉の巨木が程よく混ざりあい、淡い淡い桜のピンクと言いようのないコントラストを生み出している。
広い境内には高い杉木立の中にさらに桜に取り囲まれてたくさんの重要文化財、県指定文化財の建造物が散在していて、境内の真ん中を流れる大谷川の渓流沿いには遊歩道が設けられ、春休みの子供たちが戯れ、石造りの縁台にはお年寄りや家族連れがお弁当を開いている。
そこにまた一陣の疾風と桜吹雪。今日を限りの桜の命だ。
聖天池に浮かぶお堂「聖天堂」は、水面を覆いつくした桜の花びらに浮かぶ幽玄のお堂だし、桜の雲海から高く抜け出た高さ40mを誇る日本最大の木造建築、国宝「大塔」の白い巨大な漆喰には、豊臣と戦った時にできた鉄砲の弾痕がいまだに残っているという。
歴史を刻み、歴史を生き抜いたこのお寺には今や桜が咲き乱れ、訪れる人々に無上の安らぎを与えているが、これまた諸行無常のことわりを具現した光景だ。
さくら、さくら、桜に酔い痴れる日本人は幸せだ。自分もそのうちの一人。
今日を限りの桜の命を受け継ぎ、もうそこに迫ったまたあの夏の酷暑を凌げる勇気も湧いた。
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