真田 泰昌 について

長年予備校の教師をやってきました。パソコンとの付き合いは古く,1号機からの付き合いで、プログラムもすべて自前でした。日本語もカタカナがやっとという時代でしたから,今はもう浦島太郎もびっくりです。

散る桜 春高楼を 口遊み

The cherry blossoms have gradually begun to fall.  Looking at the scene, I naturally begin to sing the famous Japanese song “Kojo no Tsuki” , “The Moon over the Ruined Castle”.

ぼつぼつ桜が散り始めました。こんな時ふと口ずさむのは『荒城の月』です。

小学校の時、黒板の上に、ベートーベンやモーツアルトなど世界の有名な作曲家と並んで滝廉太郎の顔写真が張ってありました。その後、いつも、滝廉太郎がベートーベンやモーツアルトと並ぶような作曲家なんだろうかと不思議に思っていました。

後年、いろいろ調べてみると、滝廉太郎の『荒城の月』が日本で作曲された初めての西洋音楽の曲とされ、日本の歴史的に重要な曲である、だからなんだそうです。

23歳で夭逝した滝には、ピアノ独奏曲『メヌエット』がありますが、歌曲がほとんどで、この『荒城の月』以外には知られていません。もっと長生きしていたら、まさしくベートーベンやモーツアルトに並ぶ大作曲家になっていたかもしれませんが、これだけは分かりません。

で、この『荒城の月』は、原曲は下の鮫島有美子さんが歌う歌で、今普通に歌われているのが、小山明子さんが歌う上の歌です。

「はなのえん」の「え」のところが、原曲は半音高く、ジプシー音階なので、山田耕作が西洋風に編曲したのが小山さんが歌う歌です。どちらがいいのか、人の好みによって違うでしょうが、山田耕作が編曲した方が広く知られるようになり、今世界でも有名歌手がよく歌っています。

ジプシー音階は、モンゴルが世界大帝国を築いた際にヨーロッパにも影響を与えた東洋音階で、日本人好みです。

フランツ・ドップラーのフルート曲『ハンガリー田園幻想曲』は、特に日本人が大好きですが、これもジプシー音階で、東洋の血が流れているからでしょう。

『荒城の月』、聞き比べてみて下さい。

五色なす 花野に遊ぶ 浮き世かな

Cherry blossoms is blooming, tulips is blooming and various flowers is blooming around.  Another world far from the real world is spreading in front of us.

桜に葉が目立ち始めました。それでも相変わらずの満開です。

一昨日は統一地方選に出る友人を陣中見舞いしました。議員報酬を50%削減するという公約に共感したわけです。

以前から、日本の国会から地方議会に至るまで、あまりにも世界常識とかけ離れていること(日本の地方議会・議員は世界の非常識)を訴えてきているわけですが、有権者がそれに気付かなければどうにもなりません。

立候補するにあたり、30万円の供託金を拠出することは聞いていましたが、選挙カーの看板、選挙ポスターの費用や、選挙応援のウグイス嬢の手当なども一部支給されるなどは初めて知りました。民主主義を実現するため、貧富にかかわらず立候補できるようにするには必要な経費と納得できますが、一人の候補者に掛かる費用は大変な金額です。これだけの費用をかけて、どれだけの民主主義が実現され、国民や住民に還元されているかとなると大いに疑問です。

投票率も大体どこも30%前後、特に地方議会の投票は「めくら投票」です。議員活動の詳細を聞くと、随分無駄なお金も動いているようです。

というわけで、昨日は友人の選挙ポスターを張りに出かけました。

カフェから シャンソン流れて ラベンダー

Chanson’s music flows from the street cafe. In front of the white gate of the cafe, French Lavender blooms cute flowers, and it is swaying slowly in the spring breeze from time to time.

街中を歩いているとシャンソンの曲が流れてきました。流れてきたのは真っ白なたたずまいの喫茶店からでした。前に珍しい花が咲いています。

ラベンダーに似ているので調べたらフレンチラベンダーでした。普通のラベンダーよ花が大きく、てっぺんにはウサギの耳のような花弁を付けています。香りは普通のよりしませんがやはりラベンダーです。

折からの春風に吹かれそよそよと揺れていてなかなか風情があります。お店に入りたかったですが、用事のため入ることができませんでしたので後日ということにしました。

街中にもちょっとした憩いがあり、それだけで一日がくつろげる思いです。。

主人(あるじ)無き 庭に山吹 七重八重

Yamabuki is blooming a deep yellow flower again this year in the garden of an abandoned house.

まさに百花繚乱。野山にも、街中にも、家の庭にも、いたるところに花が咲き乱れています。わざわざ人が押しかけてみる花もあれば、人知れず咲く花もあります。散っていく花、満開の花、まだ蕾の花、花を見るだけでも様々な世界、様々な生き方、この世の生き鏡のごとくです。

最近は、ちょっと山里に入っても、もう誰も住んでいない家が沢山あります。今も人が住んでいてもおかしくない立派な家もあれば、屋根の梁も傾き今にも崩れ落ちそうな家もあります。限界集落と言って、人は住んでいるけれどもほとんどの住人が7,80といったお年寄りという集落もあります。

そんな家々の庭先にも、やはり花が咲いています。主が居ないことを知ってか知らずか、多少の乱れはあっても凛と咲いた花には気高さがあります。

栄枯盛衰、人は花を見ることによってわが身の儚さと、生きることの意義、大切さを学びます。

散る桜 古きお堂に 華を添へ

Cherry blossoms are beginning to fall.  The petals of the cherry blossoms spread in the pond of the temple, and a small hall erected there stands out.

和歌山県岩出市にある名刹根来寺の聖天堂です。

滋賀県堅田市にある浮御堂は有名ですが、これも浮御堂。どちらが先に建ったのか知りませんが、池にたたずむ瀟洒なお堂は簡素の美しさがあります。

そのお堂も池の奥まった所に建っているので、普段はそれほど目立ちません。写真から桜を取ったお堂を想像してください。

注意してみれば風情のあるお堂ですが、こうして満開の桜が添い、散った花びらに浮かぶお堂はまたいっそう格別な味わいがあります。

桜はそれ自体も美しいですが、桜があることによって辺りの風景ががらっと変わります。普段何でもない景色が華やぎます。桜は主役であり、同時に名脇役。

やはり桜は富士山と並ぶ日本の名主役です。

浮世捨て 日がな一日 花野かな

Cherry blossoms are in full bloom. Various flowers bloom in the fields and mountains. Apart from the hassle of everyday life, I wader around the flower garden all day long.

相変わらず花冷えが続いています。あちらこちらから雪便りさえ届きます。

そのせいもあってか、桜の花も花開いたまま散りません。天国の西行さんもきっとお喜びのことでしょう。

異常気象と言えば異常気象。しかし年によったらこんな年もあるのでしょう。毎年毎年同じではおもしろくありません。

平成の時代もあとわずかです。連日天皇陛下御夫妻の歩んでこられた歴史が放映されています。平成はこんな時代だったんだなあと懐かしく思い出されます。

令和はめでたい幕開けになりそうです。生前譲位は見事なご決断だとおもいます。東京オリンピックあり、大阪万博あり、どうかつつがなく成功裡に開催され、これを励みに令和が良き時代になることを願ってやみません。

山あいを 燦と彩る 桜かな

Even if it is usual, the ordinary mountain scenery also has a bright view once the cherry blossoms bloom.

相変わらずの花冷えです。山梨県では昨日(4/9)積雪があったとか。

春を迎えてからその冬最後の降雪のことを「終雪」というそうですが、関東以西の平地では大体3月中旬くらいで、たまには下旬という年もありますが、4月の終雪はやはり珍しいそうです。

昨日も近くの山間部を回ると、青い山肌のあちらこちらに桜が咲き柔らかい感じがします。いつもなら静かな山あいにも一群れの桜が咲いていると急にパーっと明るくなって俄然雰囲気が変わります。狭い谷間にも、小さな集落にも、鎮守の森にも、桜が咲いていれば人はいなくても賑わいがあります。

大阪には造幣局の「桜の通り抜け」という明治から続く伝統行事がありますが、いつもなら春の陽気と人いきれで熱気がムンムン、暑くて暑くてとても上着は来ていられません。

9日から始まっていて15日までですが、この分では期間を延長しなければもったいないような気がします。人出の少ない日を見計らって出かけてみようかなと思っています。

唐門を くぐれば楚々と 花水木

When going through the degnified gates of the temple, the modest and beautiful flowers of Hanamizuki in contrast to it is blooming in full bloom.

さくら、さくら、さくら、桜が満開です。もう桜だらけ。

そんな中、唐門の立派なお寺に入ると先にはやはり桜が咲き誇っています。手前の玉砂利を右に辿るとピンクと白のハナミズキが対を成して咲いていました。ほっとします。楚々とした佇まいが安堵をもたらすからです。

桜も一つ一つの花は可愛らしく、花水木の花に比べてもか弱げにさえ見えます。しかし、いったん一本の桜となると違います。絢爛というか、堂々としているというか、か弱さのみじんもありません。ましてや、それが何本、何十本となると圧倒されるほどの豪華絢爛振りです。しかし、そんな桜もいったん春の嵐に見舞われると、そうでなくても、せいぜい1週間か2週間、瞬くうちに散ってしまいます。

その姿はまるで日本人そっくりです。一人一人はおとなしく、目立つことを好みませんが、いったん集団になると違います。怒涛の如く戦後日本を立て直し、20年も経たずして世界第2位の経済大国にのし上がり、幾多の災害にも耐え、復興し、すべて集団としての日本人の底力です。

そして生き様。ぱっと咲いて、ぱっと散る、その桜の生き様を好しとする心意気が古来日本人には流れ続けています。

その点、花水木はまるで対照的。楚々としてはいますが、芯は強そうで、花咲く期間も長く、多少の風には散りません。花水木はやはり女性です。だから安堵するのです。

カリンカを 歌声喫茶で 歌った日

The viburnum is called kalinka in Russia. There used to be a cafe called Singing Voice Cafe when I was a student, where I would sing this Kalinka song with many guests.

1955年(昭和30年)から1965年(昭和40年)にかけて、歌声喫茶が全国に広がりました。

労働運動と学生運動の高まりとともに人々の連帯感をうむ歌声喫茶の人気は上昇し、最盛期の1960年(昭和35年)には、東京の「カチュウーシャ」や「ともしび」、大阪の「こだま」や「どん底」は連日客で溢れ返りました。

アコーデオンやピアノの伴奏に合わせ、リーダーの指導のもと、手にした歌集の小冊子を開いて皆が合唱するのです。

歌われる歌はロシア民謡が最も人気があり、反戦歌や労働歌、童謡から民謡まで、お客のリクエストでどんどん広がります。知らぬ同志が肩を組み、体を揺すって、そうして日が暮れていきました。

今は変わって、カラオケ喫茶。1人から数人のグループが暗室にこもって、音量いっぱいで歌います。

ところが今また、当時歌声喫茶に通詰めた中高年者の間で、歌声喫茶が静かなブームになっているそうです。

今日の一枚はカリンカです。和名ガマズミ。ビバーナムの一品種で、咲き始めは白、それから赤く染まって、秋には紫にと色が変化します。

カリンカはこの花のロシア名でロシア民謡では最も人気のある歌にもなっています。この歌に合わせ、赤軍の兵士たちがコサック・ダンスを踊ると皆が手拍子し、最高潮に盛り上がります。

現し身も 痴れて桜の 宴かな

When the cherry blossoms are full of bloom, Japanese forget all daily emotions, delight, anger, sorrow and pleasure, are fascinated by the cherry blossoms every day.

昨日は近くの里山を回りました。予想通り桜は満開です。

日曜日は午後から天気が崩れると予報がありましたので、今日が見ごろだと出かけました。まだ1週間は咲き続けるでしょうから慌てたことはないのですが、気が急いたことは否めません。

最近、親戚や友人の訃報が続き、他人事ではない思いが募ります。そんな思いを払い除けてくれるのも桜です。

こと左様に、桜は日本人にとって死生観そのものであり、生きる喜びと勇気を与えます。

枝もたわわに咲き誇る桜。1週間もたてば春の嵐に散り行く桜。このほんの一瞬に我が身を重ね、儚さと、だからこそ生きることの意味を考えます。

古来、こうして日本人であれば誰もが同じ思いを共有し、絆を強めてきました。

平成の時代は戦争こそなかったけれども、未曽有の災害に再三見舞われました。それを克服できたのも桜によって培われた共感と絆であったわけです。

令和の時代をどう生き抜くか、わが身とっても日本にとっても新たなる挑戦です。

目の前に満天に開く桜が勇気を与えます。