真田 泰昌 について

長年予備校の教師をやってきました。パソコンとの付き合いは古く,1号機からの付き合いで、プログラムもすべて自前でした。日本語もカタカナがやっとという時代でしたから,今はもう浦島太郎もびっくりです。

風光る この世の春が 天国ぞ

This beautiful reality of cherry blossoms blooming and rape blossoms blooming is right heaven.

♭♭♭ さくら ♭♭♭

さくら、さくら、さくら。もう今はどこに行っても桜です。

先日行った大阪狭山市にある狭山公園は大きな池があってその周りに桜が咲いています。案内板には1万2000本近くの桜だと書いてあるんですが、確かに多いことは多いが、池が大きいということもあってか、受けた印象たいしたことはない。

ちなみに日本全国お花見スポットの本数ランキングを見たら、第1位が吉野で、約3万本とある。第2位が本家埼玉県狭山湖の約2万本だから、この1万2000本はたいした数なんですね。

これからが見どころの世界遺産吉野の桜を形容してよく「吉野千本桜」と言いますが、実に謙遜した言い方ですよね。

とにかく野山はもちろん東京や大阪のど真ん中でも桜が所狭しと咲いていますから、知り合いの外国人なんかは、日本人は桜気違いみたいな言い方をします。否定できません。その通りで桜単独でも美しいですが、高層ビルを背景にした桜も美しい。

富士に桜は最高ですが、写真のように菜の花が咲き、桜が咲いているともうここが天国ですよ。実に天国はここにありですよね。

 

 

見上げれば 心広がる 桜かな

It is a fine day with no clouds today. The cherry blossoms in full bloom spread high above the sky and shine brightly. My heart looking up at it also spreads and revitalizes.

♭♭♭ 筝曲さくら ♭♭♭

やっと満開の桜を見ました。

大阪は桜の開花が宣言されたのは3月27日ですから、ちょうど1週間。開花宣言が出たとたん、また冬に帰ったような冷え込みで、桜も出鼻をくじかれたのでしょう。

といっても、開花情報では大阪で満開なのはここだけ。まだ7分咲き、5分咲きがほとんどです。昨日から気温も持ち直し、春らしい温かさに戻ってきましたので、この土曜、日曜が一斉に満開になり、人もどっと繰り出すことでしょう。

新しいランドセルを背負っている子供たちに出くわしたので、4月8日と勘違いしましたが、4月4日でした。昔は入学式と言えば大体4月1日でしたが、最近は4月8日の学期始まりが多いので一瞬勘違いしたのです。入学式の日も様々なんですね。

「さくらさく」とか「さくらちる」という電報が行き交う時期はもう過ぎましたが、今でも大学の合否を電報で送る風習が残っているようですが、何かにつけ、この時期は桜なしでは済みません。

明日、土曜あたりから、桜の見どころには青いビニールシートが並び、夜ともなれば賑やかに桜の宴が始まるでしょう。

野いちごを 隠れん坊で 見っけたよ

I found a wild strawberry flower in the bushes during the walk. I remembered that when I was a kid I was playing hide-and-seek and encountered a similar situation.

♭♭♭ 筝曲さくら ♭♭♭

かくれんぼしましょ、Let’s play hide-and-seek!、この指とまれ、Grasp this bar!、もういいかい、Ready or not, here I come ! 、まあだだよ、Not ready.、もういいよ、Ready、

昔懐かしい隠れん坊(かくれんぼ)です。鬼ごっことともに日本だけでなく、世界各地にある伝統的な子供の遊びです。

細かいルールは違いますが、おおむね、鬼(英語ではit)が一人いて、ほかの子どもたちは隠れたり逃げたりします。

この指とまれ、とか、この指たかれ、とか日本では言いますが、英語では、この木につかまれ、といって長い棒きれを立てて参加者を募ります。

昨日散歩していてたまたま薮に踏み込んだら、野イチゴの花が咲いていました。やがて宝石のような赤い実を付けます。ちょっと酸っぱくて、でもとても美味しいものです。

すぐ思い浮かべたのが、子供のころ「かくれんぼ」をしていて、隠れたやぶの中にも、その時には赤い実のなった野いちごでしたが、あって、鬼に見つかるまでいくつも食べていたことです。いくつもなっていました。

鬼に見つかってみんなに言ったら、鬼ごっこはそっちのけ、みんなで手当たり次第に食べたものです。

とーい、遠い昔のお話です。

平成の 桜が散って 令和かな

The era of Heisei ends soon, and the era of Reiwa begins. The cherry blossoms bloom and scatter as if connecting the two eras. May the new era be peaceful and rich!

♭♭♭ 筝曲さくら ♭♭♭

日本最初の元号は「大化」です。大化元年は西暦645年、「日本」という国号と「天皇」という称号が使用された年でもあります。

それまで天皇(大王)を思いのまま擁立したり廃したりしていた蘇我家の入鹿を暗殺し、皇極天皇のもと、中大兄(後の38代天智天皇)と大海人(後の40代天武天皇)兄弟が中心になって国家づくりが始まります。1374年前の話です。

爾来247の改元が行われたわけですが、写真の山梨県北杜市武川町山高町の実相寺にある「山高神代桜」は、樹齢およそ1500年とも2000年とも言われている桜ですから、まさに「大化」から「令和」までの「日本」を見守ってきているわけです。

地震あり、津波あり、火山噴火あり、飢饉あり、ありとあらゆる災害があって、また毎年毎年こうして満開の花を咲かせて人々を魅了し続けてきたことを思えば、国の天然記念物に指定するなんておこがましくも感じるわけです。

余談にはなりますが、ここに挙げた天智天皇と天武天皇は兄弟ですが、天武天皇は兄である天智天皇の娘(後の41代持統天皇)を嫁にし、その間に生まれた草壁王子はまた叔父にあたる天智天皇の娘(後の43代元明天皇)を嫁にする、つまりお父さんと息子の嫁はともにお父さんの兄の娘姉妹であるという、なんとも不思議な関係があるんですね。

高校の時、この複雑な婚姻関係がなんとも不可解で、天皇家の謎が隠されているように思ったことを思い出しました。

初筍の 御膳もゆかし 嵯峨野道

I came to Kyoto Sagano looking for the cherry blossoms, but still buds. In the meantime, I was drawn by the scent of bamboo shoot rice and passed the red goodwill.

「令和」に決まりました。

最初はちょっと違和感を感じましたが、出典やその意味を知るとその違和感もなくなり、今朝はすんなりと受け入れられます。

万葉集から取られたことは歓迎です。

今までは余りにも漢籍に偏りすぎたように思います。高校の時、漢文という時間があり、嫌いではなかったですが、なぜこんな古い漢文に力を入れるのか疑問に思ったことがあります。

今、古代史も様々な新発見により、大きく塗り替えられようとしていますが、奈良時代以降の文化は中国文化の影響を大きく受けたことは否めません。

平安時代に入って、「竹取物語」から始まって、「源氏物語」や「枕草子」により、それまでの漢籍中心の文化から和文の文化に切り変わっていきましたが、漢籍の影響は今までもずっと続いたわけです。

今の大学入試の国語でも、現代文、古文、漢文の三本立てで、最近やっと漢文のウェイトが軽減されたようです。

とはいえ、この「令和」だって、純粋に和文、国文からの引用だとは言い切れません。中国の古典『文選』にも同じような表現があり、万葉集のこの部分もそれからの影響を受けたとも指摘されています。

いずれにしろ、新しい時代を切り開くにふさわしい元号で、前向きに考えたいものです。

まほろばは さくら花咲く 我が里ぞ

The best place to live for me is the hometown with full bloom cherry blossoms like this. There is nothing to say if I am born here and die here.

故郷がある人ない人様々です。

ふるさとは 遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの 

室生犀星の有名な詩の一節ですが、今どれだけの人がこういう思いを持っているでしょうか。

お正月やお盆に故郷に帰る人たちを羨ましく感じる人も多いことでしょうが、故郷を持たない人たちも確実に増えています。

今や東京都市圏の3,584万人をはじめ、大阪、名古屋、福岡、札幌の五大都市圏の人口だけでおよそ5,900万人ですから、これだけで日本の人口の半数を占めています。

故郷喪失の時代とも取れますが、そもそも故郷という概念が変わってしまっているのかもしれません。交通機関の発達、そして何よりも情報時代の到来でますます距離感がなくなり、日本全体がひとかたまりの故郷になった感があります。

そして今こうして桜が咲く時期になるとますますその一体感が深まり、いたるところに咲き乱れる桜に酔い痴れるとなおさらです。

これほどの一体感を共有する国民は世界にはありません。日本が、そして日本人が世界でも稀にみる国民性を有することは世界の多くの人たちが認め、関心を持っていることは事実です。

21世紀の時代がどんな時代になっていくのか、日本の果たす役割は大きく、期待を持って見られています。

今日、くしくも新しい元号が発表されますが、元号を持つ国は日本だけです。今、国中がかたずを飲んで新元号の発表を待っていますが、桜に思いを寄せる思いが重なり、ぎゅっと濃縮された日本が見て取れます。

三椏(みつまた)の 和紙に滲んだ 恋模様

Mitsumata is a raw material for Washi, Japanese paper. It is the best paper in the world and is used for banknotes and various crafts. If you use it for a love letter, your love will be fulfilled.

春されば まず三枝(さきくさ)の幸(さき)くあれば 後にも逢む な恋ひそ吾妹

サキクサのように 幸いであれば 後にまたお逢いしましょう 恋しがらないでください わが愛しい人よ

万葉集に収められている柿本人麻呂の歌です。

三椏(みつまた)は楮(こうぞ)と並ぶ和紙の原料です。枝が必ず3本に分かれて成長することからサキクサとも呼ばれ、サキは幸に通じるので縁起の良い木としてお寺の境内でもよく見受けられる木です。

楮が和紙の原料として古くから利用されていたのに比べ、三椏が広く知られ利用されだしたのは室町から江戸にかけてですが、人麻呂の歌にも詠み込まれているので古くからはあったのでしょう。

京都の龍安寺(りょうあんじ)の境内に植えられてある三椏は春先に黄色い花を咲かせますが、これが普通で、写真のように橙色の三椏は珍しくベニバナミツマタと呼ばれていて、好事家が品種改良して作ったものかと思われます。

紙と言えばほとんどが洋紙で、パルプを原料にしていますが、和紙は丈夫で長持ちするので、紙幣や様々な工芸品にも利用され、日本独特の文化を形成しています。

日本画の画用紙としても、書道の用紙としても、独特の風合いを出すので珍重され、今も和紙に執り付かれた人たちが、地方地方で様々な工芸品を生み出しています。

欲張らず カネノナルキに あやかりて

The word symbolizing Kanenonaruki is ‘flower that brings good luck’. It is the origin of the name that the leaf resembles a coin. English name of the flower is also ‘dollar plant’.

昨日は「菊芋の会」というグループの花見の会がありました。

一昨日に大阪の桜開花宣言が出たところなので、あまり期待はしませんでしたが、開花していたのは1輪か2輪。さすがにがっかりしました。

大阪の場合、大阪城の西の丸庭園に咲く標準桜が5輪開花したら開花宣言が出るのですが、地域によってはもう7分咲き、8分咲きというところもありますから、開花宣言はあくまでも開花宣言。お花見の会ももう1週間遅らせばちょうどよかったのでしょうが、皆さんの都合もあり、予定通りの決行となったわけです。

写真のカネノナルキも途中で撮ったものですが、名前も面白いですし、英語でも「dollar plant」といわれ、他の地域でも同じような意味の名前がついているので、世界共通認識なんですね。肉厚の葉が丸くてコイン状からそう呼ばれたのでしょう。

実際、日本では、栽培業者が5円硬貨の穴を芽に通して固定し、成長した時、枝に5円硬貨が成っているように見せかけ販売したところから和名はついたようです。

カネノナルキとか成金草とか、この品の良い花からしてちょっと可愛そうな呼名です。

よく見れば このシャガぼくに あかんべえ

When I took a walk in the morning, there were lots of blooming chaga with dews. When I looked at one of them carefully, it was doing Akanbe, sticking its tongue out. Its look was a little naughty and cute. So I brought it home and put it in a vase.

花にもいろいろな表情があります。動物や昆虫の形態に似たもの。人の表情をしたもの。天候や光の当たり具合によってもそれは変わり、見れば見るほど奥深く、見飽きることがありません。

毎年毎年繰り返されるいっけん同じことも、様々な条件によって異なり、見る側の気分によっても変わるから見飽きないのでしょう。

今日出会ったシャガも何の気なしに通り過ごせば、ただ綺麗だけですが、じっと見ると、こちらを見返し、あかんべえをしています。

「あかんべえ」はご存知ですか。両眼のまなじりを人差し指で下げ、舌を出して、相手を揶揄するしぐさで、本当に揶揄したり蔑んだりするのではなく、そうして相手をふざけて茶化すしぐさです。

アインシュタインがべろっと舌を出した写真、見かけたことがありますか、あのしぐさにまなじりを下げるしぐさを付け加えれば「あかんべえ」になります。

このしぐさは日本だけではなく、いろんな国にも似たようなしぐさがあるようです。

小憎たらしいけど可愛いので切って家に持ち帰り、瓶に挿しました。

切って持ち帰ったので、恨んでいるのか、またあかんべえをしています。

野の花は 浮気亭主の 古女房

Cherry blossoms have begun to bloom in various parts of Japan. Everybody goes out for cherry blossoms. Even at that time, wild flowers are always blooming in the local fields.

桜が日本各地で花開き始めました。しかし今日は曇り空。出鼻をくじかれた感じです。

桜は陽光に照らされてこそ、その華やかさが目立ちますが、今日のような曇天の元ではかえって重苦しく感じます。

その点、野に咲く花はこんな日にも小さいながらも明るく心を照らします。

古女房とは女性に対してずいぶん失礼な表現で、こんな言葉もだんだん無くなっていくのでしょうが、味わい深い言葉にも感じられます。

そういえば似たような表現で「糟糠の妻」という表現があります。

「糟糠」とは米かすと米ぬかのこと。つまり粗末な食べ物のことで、そこから生まれた表現に「糟糠の妻は堂より下さず」という慣用句があって、簡単に「糟糠の妻」というわけですね。

糟糠のような粗末な食べ物を共にしながら貧しい時、苦しい時を過ごしてきた妻を、立身出世したからと言って離縁するわけにはいかないという、これも何か時代掛かった表現であり、お話ですが、今や立場が逆転しているご夫婦も沢山見受けられます。

昨日も、夫婦別称が裁判で認められなかったわけですが、社会進出する女性も増え、様々な分野でリードする女性が増えているのは事実で、これも新しい時代の特徴です。

桜を見ての死生観。これもどうも男の見方で、女性の見方ではないような気がします。どうでしょうか。