真田 泰昌 について

長年予備校の教師をやってきました。パソコンとの付き合いは古く,1号機からの付き合いで、プログラムもすべて自前でした。日本語もカタカナがやっとという時代でしたから,今はもう浦島太郎もびっくりです。

散り落ちた 椿で飾る 路傍の華

A camellia flower that has fallen on a circle of pebbles is decorated. The gentle and elegant personality of the person who decorated it is imagined.

小径を散策していると小石を丸く敷き詰め、その上に落ちた椿の花が飾られています。なんとも言いようのない感動が走ります。

人通りもほとんどないこの小径に、衒いも何もなくただ飾られている「生け花」に、これを生けた人の優しい心と優雅な人柄が偲ばれます。

山茶花が花弁を散らして落ちますが、椿は花ごと落ちます。

落ちた椿の美しさを放っておくことができなかったのでしょう。小石を拾い集め、その上に落ちた椿を飾り、手厚く葬ったお墓かもしれません。

今日はこの出来事だけで一日が充足しました。

 

春の宵 おぼこが響く 花灯呂

Footlights are lit on the cobblestones of Kyoto Gion, and the sound of Oboko geta walked by Maiko echoes around. Many ikebanas are on display, and the light of green bamboo sways, and we are fascinated by the fantastic atmosphere.

京都東山山麓の清水寺から産寧坂、二年坂、高台寺から八坂神社、丸山公園を経て岡崎公園手前の青蓮院に至る約5㎞のプロムナードに今年も花灯路が展開されました。

世界遺産「古都京都の文化財」の中でも最も京都の文化が凝縮され、最も人気のあるスポットで、夜ともなれば道沿いに足元を照らす足灯火が灯され、要所要所には生け花が展示され、寺々がライトアップされる一大イベントが「京都東山花灯路」です。

3月8日から17日までの花の端境期、梅から桜の変わり目に繰り広げられ、多くの観光客が押し寄せます。

貸衣装の着物を着た若い女の子たちが目立ちます。高台寺近くの「ねねの道」を少し入れば、迷路のような小径には沢山のギャラリーが並び、茶房があり、善哉店もあります。

祇園の「一力亭」から祇園界隈に踏み込むと、舞妓衣装に身を固めた舞妓さんが「おぼこ下駄」を響かせながら歩いていきます。ここでも「こんにちは」とあいさつを交わす外国人にも多く出食わします。

高台寺の桜の木にたった一輪花が開いていました。あと1週間もすれば、今度は花見の客がどっと押し寄せます。

かくして春は徐々に開け、草木は萌え、日本全体が活発に活動し始めます。

 

 

アカシアが そよと揺るれば 芳しき

Every time the acacia, which has yellow flowers bloomed, sways gently, the fragrance drifts. Being invited by the scent, the cherry blossomes next to it has begun to swell their buds too.

朝散歩の道沿いに立っている大きなアカシアの木に花が咲いて、木全体が真っ黄色に染まっています。

折からの春風に微かに揺れると芳ばしい香りが伝わってきます。控えめな香りでうっとりです。

周りの木々がまだ新芽を付けたばかりで茶色っぽく、派手な割には目立ちません。周りがもっと青々しくなったら目立つでしょうに、もうそのころには桜が花開きます。損な役回りですね。

人も同じですね。同じように働いていても、目立つ人、目立たない人。傍目から見れば損得あるようには見えますが、ご当人はそれほどには感じていないかもしれません。

持ち場持ち場で自分の役割を精一杯こなしていれば、そんなことどうだっていいんですよ。だから社会が成り立っている。

神羅万象、考えればうまい具合にできています。と、アカシアの香りに幻覚されました。

哲学も そぞろ歩きの 雪柳

The path of philosophy is at the foot of Higashiyama, Kyoto. I followed this path to Ginkakuji Temple on a youth day, and because I was fascinated by Yukiyanagi, I forgot about thinking about philosophy.

京都東山の麓の若王子神社から法然院の下を通って疎水べりを銀閣寺に辿る道を「哲学の道」と言います。哲学者西田幾多郎が思索に耽りながらよく散策したということから付けられました。

道沿いにはまず雪柳が咲き、しばらくすると桜が咲き、この道を辿れば春を辿るようなものです。

昔は春先はほとんど人通りもなかったのですが、今はいつも人で賑わっています。外国人の多さも目立ちます。

西田幾多郎の名を知る人も少なくなりました。思索に耽る時間もないほど今の人たちは忙しそうです。この道を辿る人たちの多くもスマホを見入っていて、なぜこの道を辿っているのか不思議に思えます。

考えてみれば、表に立つ国のリーダーたちにもどれほどの哲学があるのか、疑問に思うことしばしばです。日本を誤りなくリードしてくれることを願うのみです。

春近し 夕日に祈る この一年

The sunset is sinking. I was moved to put my hands together and prayed. May this one year be peace and safe both public and private.

夕方、近くのスーパーに買い物に出かけました。沈む夕日が池に映ってとてもきれいです。

しかし、途中には青いビニールシートを屋根に掛けたり、壁面を覆っている家が何軒かあります。昨年襲った台風21号の痕跡がまだ消えていません。

東南海地震の予告もされています。

どうかこの1年だけでも、こうして美しい夕日が毎日拝めますようにと祈る気持ちです。

山門を くぐれば優し 雪柳

When I enter the near temple in the evening, Yukiyanagi flowers bloom in full blooming, and they are swaying in a breeze that makes me feel spring. This atmosphere is really heartwarming.

夕方、近くの温泉からの帰り道、孝恩寺というお寺に寄りました。

釘を1本も使わずに建てられた「木積(こつみ)の釘無堂」と呼ばれる観音堂(国宝)で有名なお寺です。行基が建てたそうです。

行基は歴史教科書にも必ず出てくる有名な僧です。今の堺市の出で、朝廷の許可なく民衆への布教を禁じられていた時代に、進んで民衆の中に入り、布教活動をしながら様々な建築や土木事業にも携わりました。分かっているだけでも、寺院49、溜池15、溝や堀6、橋6など、今でもその恩恵に浴している事績は計り知れません。

最初は朝廷も様々な弾圧を加えましたが、民衆からの圧倒的な支持で手も出せず、最後には聖武天皇に至っては東大寺造営の責任者に任じたほどです。

その行基が建材の集積場にしたのが貝塚市木積で、その名前の由来です。

その行基さんに、どうか東北大震災の復興を見守っていただく様にお祈りして、お寺を後にしました。

夕餉待つ 野道に灯る 辛夷(こぶし)かな

Kobushi flower was blooming like a lantern on the way back home for dinner after playing enough. On watching Kobushi whose bud is bulging now, memory of childhood will revive.

2011年3月11日ちょどその時車に乗っていました。突然カーテレビとスマホから緊急警報がなり、津波警報も出ました。最初はどこのことかわからず、すぐに帰宅し、テレビを付けたら、高速道路に漁船がぶつかり、何台もの自動車が芋の子を洗うように混ぜ繰り返っています。想像を絶する光景にただ見入るばかりでした。

あれから8年。2,3日前からテレビでも様々な話題が取り上げられています。いまだに遺体探しをしていてたまたま2体の遺骨が見つかったこと、被災各地の復興の様子、アメリカに漂着した漁船を洗い清めて原地に戻されたことから始まった日米高校生の交流、悲しい思い出、心温まる話題、地震災害の大きさもさることながら、それを契機に目覚めた反省、自覚、絆、勇気、希望と計り知れない人間復興が一大遺産であり、財産だと気付かされます。

昨夕、ふと立ち寄った里山の脇に咲く真っ白な辛夷が、折からの夕日を受け、ほんのり紅に染まっている光景に、安らぎと安堵の気持ちが全身に広がり、遊び疲れて家路を急いだ子供時代のことが思い出されました。

冥土まで 持って行きたや 梅と富士

How beautiful is the combination between Mt.Fuji in the silver and plum blossoming! When I die, I want to burn this sight into my eyes and die.

最近日本の縄文時代が世界的にも注目されていて次々と驚くような論文が発表されています。

世界で最も古い文明は4大文明の地メソポタミヤのシューメール文明で、今から6,000年前だと言うのが定説でした。しかし、日本の縄文文化はそれを遡ること1万年、今から16,000年前に発祥し、10,000年前にはかなり高度な文明を築き上げていたのではないかと言うことが、いろんな年代測定法からも明らかになってきています。

更に面白いことに、このシュメール文化を担った人たちがいったいどこからやって来て、そんなにも急速に高度な文明をどうして築き上げたのか、いまだに謎だそうです。彼らの残したシュメール文字は解読も進んでいますが、それによると、彼らはおそらく海伝いに海と山に囲まれた地からやってきたと推測され、ジッグラトという巨大なピラミッドを築いて都市国家のようなものを作ったと言うことです。

ここから勝手な推測ですが、このシュメール人こそ古代縄文人たちの子孫で、ジッグラトは祖先の故郷の地に聳える富士山を模したのではないかということです。最近のDNA鑑定でも、日本人の多くのDNAは中近東の人たちのDNAに近いそうですから、このことからもシュメール人との関係は深いように思います。

さらにピラミッドは世界の古代文明の地では必ず作られていて、その最も有名なのがエジプトのピラミッドですが、これさえ日本の富士を模し大きく発展させたものではないかと推測するわけです。

話はどんどん発展しますが、富士山はこのように日本のシンボルだけに留まらず世界人類共通のシンボルのような気がします。

和泉野に 香り留めて 残り梅

The last plum flowers that conveyed spring are full in blooming. The fragrance spreads all around and stimulates to bloom to the cherry trees.

いよいよ梅も咲き切りました。それぞれの梅がそれぞれの芳香を放ち、混ぜ合わさった独特な香りが漂っています。もう1週間もすれば花は散り、剪定も始まります。

その香りが誘うかのように桜の蕾が膨らみ始めています。来週末には一つ二つと花も開き始め再来週には一斉に開花することでしょう。

卒園式、卒業式の便りも届いています。

病と戦いながら、やっとひとつ進級できたと喜びを伝える大学生からも便りが届き、こちらまで元気が出てきます。

春は自然もそうなら、人もそうで、悲喜こもごもが錯綜する季節です。毎年毎年同じように繰り返されてはいるんでしょうが、仔細は違います。

今日の日差しはもう確実に春です。じっとしていられなくなりました。

たんぽぽだ やっぱりいいね かわいいね

♭♭♭ さくら、さくら ♭♭♭

Dandelions on the grassland are blooming like sticking to the ground. I do not usually care much about it, but when I look closely it is a beautiful flower after all. Feeling the signs of spring, they are spreading to the full.

「灯台もと暗し」という言葉があります。答えや肝心なことは意外と身近にあってそれ故に気付きにくいという意味ですね。いろんな場面、いろんな意味で使われます。

明治維新の際、日本の近代化を急ぐあまり、西洋崇拝主義に陥って、日本の良きこと、良きものをないがしろにしたり、伝統ある家業には目が向かず家を出てしまったり、海外に行って初めて日本の良さを再認識したり、例を上げれば切りがありません。

しかし、これも大切なことで、遠くのこと、異文化、異質なものを知る機会にもなり、それが後々役立つ事もあれば、そうすることで、身近な物の価値、大切さを知る切っ掛けにもなります。

道を歩いていても、何の気なしにやり過ごす野の花もそうで、立ち止まって仔細に見れば、梅や桜にも負けない美しい姿が見られて、ひとしきり感心することしばしばです。

ところでこの「灯台もと暗し」ですが、岬に立つ灯台は遠くに光を送るので、その足元は暗いという意味にも取れますが、本当の意味は、「灯台」とは電灯がない頃の燭台、蝋燭であったり、石油ランプであったり、その「灯台」なんですね。その「下」は暗いので、「灯台下暗し」といい表して、それをいろんな例えに使ったわけです。

英語では、It’s hard to see what isunder your nose.「自分の鼻の下は見にくい」とって、「灯台下暗し」と同じような意味で使います。