真田 泰昌 について

長年予備校の教師をやってきました。パソコンとの付き合いは古く,1号機からの付き合いで、プログラムもすべて自前でした。日本語もカタカナがやっとという時代でしたから,今はもう浦島太郎もびっくりです。

山肌も 新芽が吹いて ふーんわり

♭♭♭ さくら、さくら ♭♭♭

New buds are beginning to sprout from the trees of the mountains. It causes to feel the mountain surface soft as if the mountains are covered with soft quilts.

あたりの山肌が羽毛布団でもかぶせたようにふーんわりとしてきました。木々の新芽が吹き出してきたんです。これからどんな模様が山肌に表れるのか楽しみです。桜が一面に咲くのか、新緑の中にポツンポツンと咲くのか。

しかしこうした光景は近年少なくなってきました。お金にはならない広葉樹林は次々伐採され、お金になる杉、檜が日本のいたるところで植栽されるようになってきたからです。

ところが思惑が外れ、安い外国産の杉、檜材が入ってくると、もう国産では太刀打ちできません。拡大造林された山々は放ったらかし状態です。今や国民病にもなっている花粉症の元凶です。国の農林政策の大きな誤りです。

白神山地が世界遺産になるほど広葉樹林帯は少なくなり、今や都会のど真ん中にもイノシシが現れたり、サルやシカが悪さをするのも、広葉樹林にできる餌が得られなくなったからです。

真の豊かさとは何か。21世紀の大きなテーマです。

 

冬知らず 夕日を追って 回れ右

Huyushirazu is the Japanese name of calendula. As its name suggests, cute flowers will continue to bloom during the middle of winter too. Every flower faces to the sunset now.

「冬知らず」はキク科キンセンカ属カレンデュラの和名です。名前の通り、真冬でも次から次に直径1cmくらいの可愛い花を咲かせ続きます。原産はヨーロッパの地中海沿岸地域だそうで、花期はは長く、6月から翌年の春にかけて咲く1年草です。

畑の片隅に捨てられたような場所で大振りに育ち、橙色をした花をいっぱい付けていました。どの花も夕日の方を向いていましたので、向日性の植物なんでしょう。

南房総や淡路島といった温暖な地では早くから栽培されていたそうですが、ここ大阪で初めて見ました。

いつも思うのですが、真冬にもどうしてこんな美しい花を咲かせるんでしょうね。花の役割は、昆虫を引き寄せて受粉し、種族を保つことなんでしょうが、その昆虫も少なく、こんなに寒くては本体を維持するだけでも大変なことでしょうしね。

しかし、この「冬知らず」に限らず、生物万般に言えることで、どんな逆境の地にも生きる生き物がいるということが不思議でなりません。

「逆境」と考えるのは人間の勝手で、彼らにとってはやはりそこが最適な地なんでしょうね。

折り雛に 思いを込めた 初節句

I sent a bouquet to my grandchild for her first festival. To that reply the picture of the bouquet and of Hina dolls folded with Chiyogami were sent to me.

このところいろいろな雛人形を取り上げてきましたが、千代紙で折られた雛人形の写真が届きました。なかなか風情があっていいものです。

小さい頃は、こんな気の利いた折り紙はなく、新聞紙を真四角切って、その折り紙で雛人形も折ったものです。

ちなみに、折り紙には2種類あって、洋紙で作られた折り紙を「折り紙」といい、和紙で作られた折り紙を「千代紙」というそうです。

折り紙は日本だけのものではなく、ヨーロッパなどでも独自に発達した折り紙があるそうですが、今では日本語の発音を移した「ORIGAMI」という呼称が海外でも一般化しています。

折り紙は芸術として複雑で優れた作品が数多く発表されていますが、折り紙の持つ幾何学的側面から、数学の一分野として研究もされ、構造力学として構造物の研究対象にもなっています。

日本独自の「千代紙」はその美しさが海外でもよく知られ、これを求めてわざわざ海外からやって来る人もいるほどです。

5寸(15cm)四方の真四角に込められた美しさはまさしく芸術品です。京千代紙、江戸千代紙、その歴史的背景を探るだけでも楽しいものがあります。

雛祭り 河津桜は 花絨毯

Cherry blossoms are not blooming yet in many parts of Japan during the time of Hinamatsuri. But the flowers of Izu ‘s Kawazu cherry tree are beginning to fall. The promenade seems to have laid a carpet with scattered cherry blossoms.

雛祭りも終わりました。3月12日に奈良東大寺二月堂のお水取りがあって、3月21日が春分の日、春のお彼岸の中日です。

いつもなら大体この1週間後位頃から全国の桜が咲き始めます。しかし、今年の桜前線は、関東方面で春分の頃、関西以西では25日頃、東北や新潟あたりだと4月のかかり。北海道になると4月下旬から5月にかけて。と予想されています。いよいよ本格的な春の始まりです。

しかし、静岡県の伊豆あたりに咲く河津桜は2月中旬頃には満開を迎え、昨日の雛祭りの日にはもう花も散り始め、遊歩道もまるで絨毯を敷いたような具合です。

こうしてみると日本も結構広いし、桜前線も必ずしも南から北へではないんですね。日本列島を縦断する山脈や、海流が様々な気象条件を作り出しているからなんでしょうね。

全国の桜を追っかけて一度は旅をしたいものだと前々から思っているんですが、全国の桜事情を見てみると1ヶ月以上かかることになるわけですから、これではとても無理です。

まあせいぜいこうして全国から届く桜情報を見てヴァーチャルリアリティで旅します。

 

娘(こ)は嫁ぎ 今年も飾る 雛祭り

♭♭♭ うれしいひなまつり♭♭♭

Daughters got married and left home, but he habitually decorated the dolls this year too. He has a pleasant expectation that his daughters may come home.

長年の習慣でこの時期になるとひな壇を飾ります。娘たちは皆嫁ぎ、家には老夫婦二人きり。ひょっとしたら娘たちが孫を連れて帰ってくるかもしれません。そんな淡い期待もないといえば嘘になります。

しかし、娘たちはそれどころではありません。この時期、孫たちにはいろいろな行事があり、故郷に帰る余裕もないはずです。

今や日本は完全に老人社会。65歳以上が4人に一人、2030年には3人に一人になるそうです。

核家族化もどんどん進み、息子や娘たちと同居する老齢者の割合もここ50年で半分以下になっているそうです。都会生活者では半分どころか、身近でもほとんど見当たりません。

年金制度も不十分とはいえ、昔に比べたら子供たちの世話にならなくても、なんとか食べるくらいにはなっているし、同居に伴う不都合よりも、好き勝手に生活できる自由は、子にとっても親にとってもお互いに気楽でいいという、意識の変化もあるでしょう。

雛祭りという伝統と現代社会の変化がはしなくも意識させられる日になりました。

お雛様 思い思いの 愛らしさ

♭♭♭ うれしいひなまつり♭♭♭

I found cute Hina dolls in a hundred yen shop. Hina dolls are all equal, just like everyone is equal.It does not matter whether the price is high or low. Cute things are cute, that’s all.

雛人形にも様々なものがあります。一式数十万円もする超豪華なお雛様や100円ショップにも並んでいるお雛様まで。お店で買わなくとも手作りの、それこそ折り紙のお雛様まで。小さい頃は、色折り紙もなく、新聞紙を真四角にして、それでお雛様を作りました。どれもみんなかわいいですね。

高価なものには高価なだけの丹精込めた美しさがあり、新聞紙で作った折り紙には心が込められています。

また飛躍しますが、これこそ日本伝統の平等感です。厳しくもこんなに美しい国土に恵まれ、四季折々の食べ物、お祭り、人が寄り合う国は日本だけです。

もちろん、だからといって日本が一番だとは思っていません。お雛様と同じで、様々な国にには様々な伝統と誇りがあります。

威張らず、さげすまず、これこそ、人と人が付き合う要諦であり、、国と国が付き合おう要諦でもあります。

平成も 終われば懐かし 雛祭り

♭♭♭ うれしいひなまつり♭♭♭

Heisei Period is about to finish soon. There were various events both public and private, but now all of them remain a nostalgic memories. I am grateful that I can celebrate this Hinamatsuri safely now.

2月28日。平成31年の2月も今日でお終い。あと1ヶ月で新しい元号のもと、新しい時代が開けます。ふと立ち止まって、この30年間を振り返ってもみます。

こう思うと元号もまんざら意味のないものではありません。どちらかというと紀年はもっぱら西暦派でどうも元号は使いにくい。書類なんかで年を書き込む時は、どちらで書き込むのか迷うこともあるし、例えば、西暦2019年なら、元号記入のとき、平成19年と書き込んでしまう時があります。

そりゃお前、いよいよ認知症だなと言われれば、無碍に否定できない現実もあります。

西暦であれば、例えば、2001年なんかは世紀が20世紀から21世紀の変わり目で、皆が大騒ぎするもんだから、そうなんだ2001年なんだと強く意識しましたけれども、それ以外では多少は意識しても時の過ぎ行くままです。

そういう意味では、元号は一区切りを強く意識するので、ひとしきり、来し方行く末を考えてみるということもあり、意義のあることだとも思います。

まあしかし、事務書類は西暦で統一してほしい。どちらでも結構、あなたのお好きなようにでも困ります。

 

夜桜に 白酒飲んで 赤い顔

♭♭♭ うれしいひなまつり♭♭♭

Even though it is in the Hina Festival, the cherry blossoms are blooming. And so we appreciated the splendid cherry blossoms tonight. Drinking a white sake for the Hina Festival we had a slightly red face.

これから雛祭りだというのに、もう桜が満開というところがあります。夜にはライトアップされて多くの見物人で賑わいます。

夜ともなればさすがにまだ寒いので、ついお酒をということになりますが、振る舞われるお酒は白酒。

白酒は主に雛祭りのお祝いのために出される酒で、蒸したもち米に焼酎と米麹を加えて作られます。酒税法ではリキュール類に分類されます。

童謡「うれしいひなまつり」の中に「すこし白酒めされたか あかいお顔の右大臣」として出てきます。

ところでこの童謡でよく指摘されることですが、写真のように、顔を赤くしているのは左大臣。

作詞者サトウハチローは、ひな壇のことは深く考えずにこう書いたのか、歌の響きから「左大臣」の「さ」より、「右大臣」の「う」が良かろうと考えたのか、どうなんでしょう。「左大臣」は向かって右側だからそう表現したのかもしれません。

いずれにしろこの赤ら顔の「左大臣」は今で言う内閣総理大臣ですから、お内裏様の随身ではナンバーワン。ひな壇でもお内裏様のその下の段に置かれるべき人です。この意味でも今のひな壇は段違いなんですね。

もっとこだわれば、「左大臣」「右大臣」は文官ですから、正装では弓矢を持ちません。

弓矢を持つのは武官で、そういう意味から言ってもサトウハチロー先生が曖昧である前に、ひな壇自身も曖昧なのですから、そう目くじらを立てるほどの事はないのかもしれません。

 

雛祭り 聞いて安らぐ わらべ歌

♭♭♭ うれしいひなまつり♭♭♭

March 3 is Hinamatsuri. You can hear the song of Hinamatsuri out of nowhere. If you listen to that song, your mind will feel comfortable and return to your childhood.

今週は雛祭り一色です。どこに出かけても「うれしいひなまつり」の唄が流れてきます。のどかでいかにも「桃の節句に」にふさわしい唄です。作詞:サトウハチロー、作曲:河村幸陽 により1936年に発表された童謡です。

1936年、昭和11年と言えば「二・二六事件」という軍事クーデターが起こった年です。この年の1月には日本がロンドン海軍軍縮会議から脱退し、軍部の力が大きくなっていく年でもあり、ヒトラー指導の下に8月にベルリン・オリンピックが開催され、4年後の1940年には東京オリンピック開催が決定されるという、後の枢軸国が世界にのしていく年でもありました。

国内外ともにきな臭い年にこの童謡がつくられたということに多少の違和感を覚えますが、いつの世も庶民は平安を望んでいたわけです。

時代は変わって今は2019年。世界は様変わりしていますが、何となくきな臭さも感じられるのは同じです。

世界の皆んながこの「うれしいひなまつり」を聞いたら、もっとももっと平和の大切さを知るでしょう。

写メールで 炬燵に届く イチゴ狩り

When entering the kotatsu and watching TV the smartphone ‘s ringtone sounded. My grandchildren are filling their mouthes with big strawberries when I open my smartphone. Even though it is still February.

炬燵に入ってパソコンで作業をしていますと、横においてあるスマホからメールの着信音が鳴りました。開けてみると、東京にいる孫たちからのメールです。今千葉の何とかいういちご狩り園に来ているというメールです。

5,6枚の写真が添えてあって、大きな真っ赤なイチゴを頬張っている写真とか、園内の様子が写っています。

いつもながらに、ふとカレンダーを見てしまいます。まだ2月です。イチゴといえば、5,6月という感覚ですが、今はそうではないんですね。ビニルハウスの促成栽培では2月ともなれば、土日なんかはどこも予約客で満杯だとか。

今の世の中、万事がこういうことですから、孫の世代と時代感覚のギャップが生まれるのは当たり前。

この前なんかは、25歳の若い人と話していたら、20歳の人とでもギャップを感じるそうですから、我々みたいに、60,70も歳を離れていたら、孫たちからすれば縄文時代人くらいにしか受け止められても仕方ない。

これからを生きる若い人たちの時代感覚は我々には感知できないものを持っているでしょうから、あまりしゃしゃり出ないことも肝要かと、イチゴメールから得た教訓です。