真田 泰昌 について

長年予備校の教師をやってきました。パソコンとの付き合いは古く,1号機からの付き合いで、プログラムもすべて自前でした。日本語もカタカナがやっとという時代でしたから,今はもう浦島太郎もびっくりです。

潮風に 揺れて語らう 水仙花

Narcissuses blooming on the beach are swaying in the sea breeze and it seems that people are talking.

クリスマスの夜も明けいよいよ正月準備。

しかしとんでもないニュースが飛び込んできました。アメリカの株価暴落を受けて、日本の株式市場も2017年9月以来、1年3カ月ぶりに2万円台を割り込んだとのこと。

その下落率はリーマンショックの時の4.9%を超える5.0%だそうだから、またあの悪夢がよみがえるくらいの下落率であったわけです。とんでもないクリスマスプレゼントになりました。

アメリカの対中貿易戦争、不安定なトランプ政治、それに日本国内では来年の消費税10%へのかさ上げに対する不安、高齢者の急激な増加と止まることのない少子化、それらが日本での株価1000円を超える下落に繋がりました。お正月気分も一気に吹き飛ぶような暗いニュースです。

リーマンショックがちょうど10年前の2008年9月に起こり、その3年後の福島原発事故で、日本は泣き面に蜂状態だったわけですが、この経済不安がどうかこれ以上に拡大しないことを祈るばかりです。

靴下に 夢を届けよ クリスマス

Please full my socks with dreams, O Santa Claus. I will live the next year by eating that dream.

今日はクリスマス。FacebookなどSNSをやっていると日本をはじめ世界からクリスマスメッセージや様々な画像が届きます。SNSだけでの付き合いですが、心温まりまります。

歳を取ると付き合う人たちの数もだんだん減ってきて、中にはほとんど引きこもり状態になる人も多いと聞きますが、こうしたSNSはその孤独感を多少なりとも軽減する役割を果たしているのではないでしょうか。

クリスマスといっても何の関わりもないのですが、この世界的行事に触れることによって人と人の交流が生まれ、見分を広めることにもなります。

今日は静かにそうした人たちとの交流を深め、年賀状の作成に取り掛かろうかと思っています。

刻一刻 新年迫る イブの朝

Today is Christmas Eve. It is one week to the New Year. Even though there are no particular changes in daily life, I feel rushed somehow.

昨日の天皇誕生日に行われた平成最後の誕生日会見には思わずこちらまで涙が出ました。

率直で飾らないお人柄から滲み出る生涯を回顧され、皇后と国民の支持に対するお言葉を語られたときの涙声に多くの人も感涙したに違いありません。

特に天皇と同世代、もしくは同年代の人々の取っては、天皇の思い出は同時に自分の思い出でもあります。語られる思い出の数々に自分の思い出を重ね合わせ、あの時はこうだった、この時はこうだったと彷彿としてくること数々です。

いつの時代もそうだったのでしょうが、私たちの生涯は実に変化にとんだ生涯であったように思います。大きな歴史的うねり、変化になかに生きてきたんだと思います。

2018年の100年前はロシア革命が起こって史上初めての共産主義国家が誕生し、大戦争があり、第三次産業革命のただ中のあるんでしょうが、次の100年を思う時、またどんな世界に変化しているのか、できることなら見てみたいことと願っても叶えない夢を見ています。

紅白に 替えて言祝ぐ 冬至餅

In Japan, we have a habit to take a bath with a citron bath on the day of winter solstice. It is said that it does not catch a cold when entering Yuzu.

昨日12月22日は冬至でした。大阪の日の出は7:01、日の入りは16:51。昼の長さが9時間50分、夜の長さが13時間10分です。ちなみに夏至の日の昼の長さはおよそ14時間30分ですから冬至とでは昼夜の時間の長さが逆転するわけです。

世界には昔はこの冬至の日を1年の始まりにした地域もありました。

12月25日のクリスマスもキリスト生誕の日として祝われると思われていますが、実はそうではなくキリスト生誕を記念する日であって、必ずしも生誕日ではありません。

12月25日をクリスマスとしたのも、この冬至の日を1年の始まりとしたヨーロッパ地域の習慣から由来するものだといわれています。

ヨーロッパにしろインカにしろ世界のほとんどの地域でも、やはりこの冬至は特別な意味があって、太陽が1年でいちばん弱くなる日で、この日を境にして活力を盛り返す、さあこれからは我々も農耕作物の準備に取り掛からねばと決意を新たにする日でもあったのです。

日本でも昔からこの日を寿ぐ様々な習慣があって、今でもその伝統が受け継がれています。柚子湯につかり無病息災を願うのもその一つです。冬至餅と言ってお餅に柚子餡を巻いて食べるところもあります。

今日から昼の長さがだんだん長くなると思うとそれだけで気分が晴れてきます。

春告げる プリムラ咲くや 年の暮

Primula’s flowers to tell the spring have already begun to bloom. I feel pressed for being chased by the time though it is still before Christmas.

明後日が冬至。その次の日がクリスマスイブ。

花屋さんの店頭にはもうプリムラが花を咲かせて並んでいます。店内にはポインセチアや葉牡丹がずらりと並ぶ中、外気に当たる場所で色とりどりの花を咲かせるプリムラは健気で愛おしい気もします。

暦の上では1月から春ということですが、冬はまだまだこれからですから、気忙しくもあり、ちょっと晴れ晴れしくもありで複雑な気分です。ついこの前まで紅葉紅葉で明け暮れていたわけですから、月日の経つのがなんと早いこと。

昨日は注文していたカレンダーが届き、「2019年 平成31年」と刷り込まれている年号が気になりました。来年4月までは、なるほど「平成」でしょうが、5月からは新元号になるわけですから、2019年は「平成」と新元号が併記されることになるんでしょうか。

いつも思うのですが、事務的な書類は西暦に統一してほしいものです。元号で書くのか西暦で書くのかよく迷うことがあって困ります。一度なんかは、2018年の18を平成の所に書いてしまい、「平成18年」と書いて叱られたことがあります。

人生の半分以上は「昭和」、そして「平成」、さらにと考えるとずいぶん長く生きた気もします。

口いっぱい 俳句に苦戦 冬苺

Although I try to make haiku while eating a delicious strawberry fresh from the field, I am looking for words that express the seasons.

最近は本当に季節感というのが無くなりましたね。本題の苺だってそう。元々は3月~6月が収穫期であったが、品種改良やハウス栽培で年がら年中収穫できるようになり、最近ではクリスマスの需要に合わせるため、この時期に収穫できるようにプログラムされているそうです。

だから「冬苺」と「冬」を付けなければ季題がわからない。俳句では、最近は無季語の俳句も多くなりましたが、背景にはこうした事情があるようですね。

アイスクリームだってかき氷だって、元は夏にしか食べなかったけれど、空調設備の整った今では、年がら年中食べられます。ついこの間も、デパートのアイスクリーム屋さんに行列ができている。このように食材が季節を問わず店先に並び、食べる時代だから、これがこの季節のものだと言い切れなくなっています。

ましてや、最近の異常気候もあって、冬に桜が咲き、街中では冬だというのに半袖姿の若者が闊歩していたり、自然環境も住環境も昔とはすっかり事情が変わっています。

もうすぐお正月ですが、お正月といえばお餅、このお餅だって、年がら年中スーパーで売っていて、お餅だけでは季節感が出ない。そのスーパーや一般のお店だって、正月元旦から空いているので、おせち料理のように三ヶ日の保存食もいらないわけで、社会環境までも季節感を変えてしまっています。

今日のイチゴ。口に入れたら、口いっぱいで噛めないほどの大きさです。露地栽培のイチゴなら口に二つ三つ頬張ってもなんていうこともなかったんですがね。

電飾に 影浮き上がる 車椅子

A wheelchair silhouette comes up while the illumination flashes. If looking closely, a wife is pushing the wheelchair on which her husband rides.

冬の夜空を飾るイルミネーション花盛りです。

ウェブサイトで「全国イルミネーションスポット」を見てみたら、北海道の「白い恋人パーク イルミネション」から沖縄の「いとまんピースフル イルミネーション」まで、開催されていない府県は見当たりません。どこも春の花見にも負けない盛況ぶりです。

使われている電球は発光ダイオード、LEDですね。消費電力が今までの電球に比べると極端に少ないので、100万個、200万個の電球を使っても電気代は大丈夫。長崎県の「ハウステンボス 光の王国」で使われているLEDはなんと1300万個で、これが日本一だそうです。

1990年代に青色LEDが発明されて、発明者の中村教授は2004年のノーベル賞に輝いたわけですが、これで光三原色が揃うとすべての色が発色できるようになりました。2000年代に入ると商用化され、道路信号機から家庭の照明まで広く使われるようになり、こうしたイルミネションイベントも爆発的に増えたわけです。

寒空のもと多くに人が押し寄せ、ひとときをロマンチックに酔いしれます。恋人同士、家族連れ、訪れる人は様々ですが、今日出会った車椅子の老夫婦の姿が目に焼き付いて離れません。足の不自由なご主人を車椅子に乗せ、奥さんがそれを押しながら、何を思い、何を語らっているのでしょう。

光と影。

木枯らしを 避けて身を寄す ギョリュウバイ

Gyoryubai is native to New Zealand and Australia as it is called New Zealand tea tree in English. Cute flowers similar to plum blossoms bloom even in the cold winter.

道沿いのヤブの中にピンクの可愛い花が咲いていました。数はわずかですが、目立った花もないこの季節、よく目立ちます。花は梅のよう。

早速スマホで撮り、家に帰って調べたらギョリュウバイだとか。漢字で書くと「檉柳梅」。檉柳は中国の砂漠地帯にも見かける灌木で、葉と全体の様子がこの檉柳に似ていて、花は梅に似ていることからこの名が付いたという。

英語名は「New Zealand tea tree」というように、原産地はニュージーランドやオーストラリアで、マオリ族は「マヌカ」と呼んで、葉を煎じて飲むことから「tea tree」が付いたとか。

またマオリ族はこれを蜂蜜の原料にしていることから、その蜂蜜をマヌカハニー(英: Manuka honey)と呼び、マヌカハニーはピロリ菌駆除力、殺菌力を持ち、民間療法で、胃炎に対し、効果があることが報告されています。

整腸・美肌にも良いとされ、オイルマッサージ用のエッセンシャルオイルや化粧石けん、ローションなどの化粧品に加工されているそうです。

漢方といい、このマオリハニーといい、長い長い年月を掛けて生み出された伝統薬は、化学薬品にはない特徴を備え、人に優しく未だに重宝されているというから見直されているんでしょうね。

街中は 何か寂しい ジングルベル

The Christmas tree has been standing for another month. Now, what’s more, I can hear songs of jingle bells from everywhere. However, I do not feel excitement like old days.

ちょっと街中に出ると、いたるところからジングルベルの歌や曲が聞こえてきます。大型スーパーに入っても流れてくるのはジングルベル。

そんな中、年末大安売りのコーナーでは人でごった返しています。カートにいっぱい買い物を積み込んだ人たちが右往左往。まるでジングルベルが買い物の伴奏をしているようです。

その勢いに気おされて外に出るとスーパーの中とは正反対。静か静か。音もなく人が流れているような錯覚にとらわれます。

東京オリンピックまであと2年を切り、2025年の大阪万博が決まり、もっと勢いがあってもよいかなと思うのですが、不安になってくるような気配です。こちらの歳のせいなのか、これが今の世情なのか、にわかには判じえないのが実感です。

前回の東京オリンピックにしろ、大阪万博にしろ、日本が戦後復興の登り途上にあったのと比べると、今回はどれもその夢を再びの願いを込めた景気復興のオリンピックであり、万博であるからでしょうか。

国の負債1000兆円は一向に減らず、10%への消費税アップにも汲々辟易、人口減少はいまだ止まず、まだまだ予断を古さない現状を反映しているのでしょうか。

どうかこれが杞憂であってほしいと願うばかりです。

忘年会 いつだったかと 暦繰り

In Japan, there is an event called Bonenkai, the year-end party, at the end of the year.It is the purpose of the party that we want to forget the bad memories of the year or we do not want to get old.

忘年会のシーズンです。忘年会といえば歳を忘れる会かと思っていたら、実はこの一年の慰労会で、今年一年の嫌なこと苦しかったことを忘れ年を越そうという趣旨だったんですね。この歳になると自分の歳は思い出したくもないので勝手にそう思っていました。自分ではそう解釈してもいいかなと都合よく解釈しています。

昨日のニュースでは、アメリカの会社では忘年会を自粛しようという動きがあるそうです。なんでも#MeToo(セクシュアリティハラスメント)の温床になりやすいからという理由だそうですが、なんだか不自由な時代になったものです。

日本ではどうなんでしょう。確かに一昔前に比べたら、バカ騒ぎは少なくなりましたね。街中をとんがり帽子をかぶってよろつくおじさんの姿もなくなりました。

みんな賢くなりすぎてつまらない感じもします。