真田 泰昌 について

長年予備校の教師をやってきました。パソコンとの付き合いは古く,1号機からの付き合いで、プログラムもすべて自前でした。日本語もカタカナがやっとという時代でしたから,今はもう浦島太郎もびっくりです。

星月夜(ほしづくよ) 夢万博に もう一度

It was decided that the Expo will be held again in Osaka in 2025. It will be for the first time in 55 years since last time. I would really like to go there.

今から48年前、1970年の大阪万博には、第一子で身重の家内と教え子5人とともに行ったことを覚えています。

「人類の進歩と調和」をテーマに、灰燼に帰した戦後日本が、たった25年、4分の1世紀で米国に次ぐ世界第2位の経済大国に成長した復興振りを世界に示した万博でした。

人気パビリオンは長蛇の列。特にアポロ12号が月から持ち帰った「月の石」を展示するアメリカ館などは入るのに3時間、4時間も待たねばならない混雑ぶり。入るのはとうとう諦めました。

今でも思い出すと身震いするのは、ジェットコースターの「ダイダラザウルス」。生徒に誘われ乗ったのですが、もう生きた心地がしません。降りたときには、もうそれこそ月から無事生還したような心地でした。これが一番の思い出ですから、なんとも臆病で小心なヤツなんでしょう。

そして、2025年の大阪万博。財政的なこと、津波対策のこと、跡地利用のこと、いろんな問題が山積していますが、開催賛成です。

我が人生にもダブル55年の歳月の変化とさらなる未来に夢をはせることは大切なことだと思います。

絶対に行きます!

老木も 明日を夢見て 木守柿

There are left two or three fruits in an old persimmon tree. It is a spell to wish for many fruits next year.

ついこの間まで青葉をとどめ、枝もたわわの柿の木が、今では葉をすっかり落とし、柿も実もちらほら。こんな残り柿のことを「木守柿」とも「子守柿」ともいいます。誰がいつから始めたのか、それとも単に取り忘れただけなのか、木を丸裸にせずに柿の実をいくつか残す風習をこう呼ぶ様になりました。

来年も沢山の実が成りますようにというお呪いだという人もいれば、人間だけが欲張りをせずに鳥たちにもお裾分けするために残したんだという人もいます。いずれにしろ「木守柿」という言葉はいい響きをもった言葉です。

鳥たちにお裾分けとは言いますが、柿が甘くなるころから鳥たちは、特にカラスなんかは遠慮なく食べている姿をよく見かけます。特に今問題になっているのは、山里の農家が猿がやってきて一晩のうちに食べ尽くされ、朝起きたらもうほとんど残っていないというところが全国各地にあるそうです。いったん味を占めたら次から次と仲間に伝わり、夜になると猿たちが群れを成して食べに来るというから堪りません。

こうした鳥獣被害は農作物に甚大な被害をもたらしているそうです。そういえば山近くの畑にはネットが張られていたり、電流線が張られていたりという光景はよく見かけます。

人間が山間部をどんどん開発したから、鳥獣の住処や餌場が無くなったからだとも言われますし、鳥獣保護法が災いしているからだとも言われています。

なんとかこの「木守柿」に込められたのどかな風景に戻りたいものです。

菊の香が 出汁(だし)に沁み入る そば処

When I entered the soba shop to eat new soba, a lot of chrysanthemums were decorated. It seemed that the fragrance entered the buckwheat noodles.

新そばを味わえる季節になりました。

新そば前線は桜とは逆で、北海道では8月下旬に、それから日本列島を徐々に南下していき、鹿児島や沖縄では翌年の1月くらいに収穫します。

日本一のそば処、長野県では10月下旬ころから新そばが収穫でき、関西の滋賀や奈良あたりだと11月下旬になります。

奈良県の吉野でも今がちょうど新そばの美味しい時期で、「新そば」の旗が掛かったお店に入ると、菊が沢山並んでいて、その香りがお店いっぱいに広がっています。そこを通り抜けると、ぷーんとわずかに青臭いそばの香りが漂ってきます。食べるとその青臭さが舌に残り、新鮮さを感じると同時にその味は絶妙です。

時々そば打ちの講習会に参加する大阪和泉市の「農の里」では、12月と1月にはここで収穫した蕎麦の粉を使ってそば打ちをします。そば打ちに参加するのは口実だけで、講習会の後、講師の先生が打ったばかりの新そばを振る舞ってくださるですが、それをいただきたい、その一心です。誠に不埒な生徒です。

時間と暇とお金があれば、北海道から沖縄まで新そばを追っかけてみたいものです。

錦秋の 高野を照らす 金灯篭

Koyasan Temple is completely in the atmosphere of autumn. Among them, it is the golden lantern of Miedo that stands out conspicuously.

高野山口の久度山町のお蕎麦屋さんで「大阪冬の陣」と名打った真田幸村ファンの集いがありました。せっかくなので集いが始まる前に秋の高野山を訪ねました。


あたりはもうすっかり晩秋の装いで、壇上伽藍の中門をくぐると朱塗りの大塔が夕日に光り威風堂々の佇まいです。その北隣にある御影堂(みえどう)の軒下に列ぶ金色の灯籠に明かりが灯り、空海さんが中で念仏を唱えておられる姿が彷彿とします。高野山では一番のお気に入りです。


御影堂は重要文化財に指定されていますが、過去幾度も火災にあい、現在の建物は今から150年前の徳川時代に再建されたものです。


もう夕方ということもあって人影もまばらでしたが、ここでも相変わらず外国人の観光客が目立ちます。中国人らしき観光客は比較的若い方が多く、西洋人は年配者が多いということに気づきました。


夕日が落ち始めましたので、明るいうちにと下山を急ぎました。

よく見れば ひっつき虫も 花の様

Weeds also change from flowers to seeds and are preparing for the winter. Looking closely, the lump of seeds is as beautiful as a flower.

面ファスナーはご存知ですよね。日本ではマジックテープ、アメリカではベルクロとして商標登録されています。今では金属製のファスナーより多く使われていて、身の回りをちょっと見渡しただけでも直ぐ目に付くほど、いたるところで使われています。フック状に起毛された側とループ状に密集して起毛された側を押し付けると両面がくっつくやつですね。

これを一番始めに考案したのが、スイスのジョルジュ・デ・メストラルで、アルプス登山中に自分の服や愛犬にたくさんのひっつき虫、野生ごぼうの種がくっついているのにヒントを得て研究開発し、特許出願、会社を設立し、一躍億万長者になったという逸話があります。1955年のことです。目の付け所が違うわけですね。

先日も栽培しているキクイモを掘りに行ったら、ヌスビトハギの種がズボンと言わず上着にまで沢山ついて、まるでヌスビトハギ男になって困りましたが、こんちくしょうと払いのけるのが精一杯、これを利用するなんて発想は思いも浮かびません。

今日のひっつき虫はコセンダングサの逆さトゲです。このトゲが人の衣服や犬、猫なんかにくっつて運ばれ、落ちていつか芽を出すんですね。種の保存の厳粛な仕組みです。どこにでもある雑草で、その気にならなければ目にも止まりませんが、よく見ると実に美しい。最初は花かと思ったくらいです。

そう言えば、子供の頃、小さな卵状でトゲトゲのあるイナモミを友達とくっつけ合って遊んだものです。

木の葉散り 百舌鳴くだけの 當麻寺

I visited Taima Temple in Katsuragi city, Nara Prefecture. The autumn leaves of the trees are slightly left behind but there is no human shadow. Only a shrill cry of the shrike can be heard from afar.

當麻寺は当麻寺とも書きますが、このお寺も創建からしてはっきりしない、いわゆる北緯134度32分の「太陽の道」からわずか2分、距離にして3. 6km北にあるお寺です。

推古天皇期に聖徳太子の異母弟が建てたとされていますが、この頃の歴史はすべて藤原不比等の指図がありますから信用できません。

二上山というフタコブラクダのような形の山が大阪と奈良の県境にあり、当麻寺はその麓にあり、夏至の日には、東の三輪山の頂上から日が昇り、この二上山のコブの間に日が沈んでいく位置にあります。先日の長谷寺、卑弥呼のお墓と称される箸墓古墳などもすべてこの「太陽の道」に並んでいるわけです。

中将姫といって、藤原鎌足の孫娘ですが、この方が一晩で織ったとされる『當麻曼荼羅』が寺宝で、才色兼備の中将姫伝説は能や歌舞伎、浄瑠璃にもなって庶民の憧れのお姫様です。毎年5月14日には中将姫のお祭りがあり、お堂から運び出された仏像がダンスをします。

面白いですね。こうした言われのあるお祭りは日本各地にありますが、奈良のお寺には古い伝統祭りがたくさん残っています。

紅葉追う 人は知らずや 秋の薔薇

People are all crazy for autumn leaves, but here the autumn roses are blooming so beautifully. Pure and fragrant.

俳句には「有季定型」という原則があります。季節を表す言葉「季語」を入れて季題、春、夏、秋、冬を明確にする。五七五音の定型を守る。しかしこれはあくまでも原則であって、季題無用論もありますし、非定形の自由律と言って五七五音に囚われない俳句もあります。

もともと俳句の起こりは和歌(五七五七七)を引き継いだ連歌、つまり和歌の上の句と下の句を別人が創り、100の連作で一区切りにする歌遊戯の上の句五七五を取り出し完結したもので、世界最短の定型詩です。「俳句」という言葉も江戸時代前期から散見されますが、一般化したのは明治に入ってからで、正岡子規の文芸革新運動以降です。芭蕉も俳句という言葉は使っていません。俳諧の発句くらいの認識しかなかったのではないでしょうか。

芭蕉や一茶もそうですが、「有季定型」の原則は守られていますが、季語は一語でなければならないとか、五七五でなければだめだという頑なさはありません。

今日の拙句も、「紅葉」、「秋」、「薔薇」の3季語が入っていますが、有名な俳句で、『目には青葉 山ほととぎす 初鰹』という、江戸の俳人、山口素堂の句にもありますように、これも季語3語で、芭蕉の句にも複数の季語を使っている句は沢山あります。ましてや今の時代のように、花も食材も自然の風物もいつの季節のものか区別がつきにくくなれば尚更です。

五七五の原則にしても、字余り、字足らずの名句は沢山あり、あくまでも原則であって、少々原則をはみ出しても感動がより的確に伝わればいいようです。

ただ自由律の俳人の代表格である種田山頭火のように『どうしようもない私が歩いている』がはたして俳句と言えるのかどうか、大いに疑問です。山頭火の何者にも囚われない自由な生き方に共鳴し、コピーライターが書いたような文言まで俳句に入れるのは?です。

芭蕉の言う「不易流行」は俳句の真髄をよく表していて、「温故知新」もそうですが、本質を失わず自由にというのが俳句の基本だと思います。

湯豆腐も 旅路を誘う 南禅寺

One of the purpose of visiting Nanzenji Temple is to eat Yudofu, simmered tofu. After worshiping, eating it makes my body and mind warm.

湯豆腐が美味しい季節になりました。湯豆腐と言えば京都。中でも、ここ南禅寺と西の嵐山は湯豆腐どころ。多くの観光客が舌鼓を打って京都を実感するわけです。

南禅寺は湯豆腐の発祥の地というだけあって、老舗の『奥丹』や『順正』は土日はいつも満席、なかなかお店に入れません。

手入れの行き届いた和風庭園を眺めながら、昆布出汁で豆腐を茹でて、薬味とぽん酢であっさりいただき、添え物の京漬物、大好きな湯葉を口にすれば、もうこれだけで京都情緒満天です。

心身ともに暖っかくなってお店を出た時の冷気がまたなんとも言えません。どのみちを辿ろうとも、紅葉、紅葉。季節を感じながら人混みを歩くのも苦になりません。

また、少し脇道にそれると今までの喧騒が嘘のよう。すれ違う人もわずかで、孤独を感じる急変がまたおかし。

深まりゆく秋の一日を、こうして南禅寺周辺を当て所もなく歩くと、行く先々で美しきものを感じ、日本を感じ、歴史を感じ、また自分の来し方行く末をつくづく感じる、なんとも満ち足りた気分になります。

隠国(こもりく)の 泊瀬(はつせ)に開く 紅葉かな

Hase Temple in Sakurai City, Nara Prefecture is famous as a flower temple. Especially the peony from April to May is famous, but autumn leaves are also wonderful and many tourists rush.

御詠歌  いくたびも 参る心は はつせ寺 山もちかいも 深き谷川

西国33箇所 第八番 豊山 長谷寺は奈良県桜井市の山深く、伊勢に通じる初瀬街道の中腹に威風堂々立つお寺です。

御花のお寺として有名で、4月から5月にかけて咲く牡丹は圧巻で、牡丹のお寺としても有名です。

秋の紅葉も素晴らしく牡丹の時期にも劣らないほど観光客が殺到します。本堂から見下ろした初瀬街道周辺に広がる紅葉は他に類を見ないほどのスケールで迫ってきます。

『更級日記』に出てくる主人公の少女も、女一生に一度の長谷参りを夢見る場面がありますが、平安時代には、男は熊野詣、女は長谷詣が一大願望でした。歴史の謎解く興味ある事実です。

長谷寺の由来も曖昧で、お寺とは言え、神道との結びつくが深く、淡路島の石上神社と伊勢の旧斎宮、更に伊勢湾の神島を結ぶ北緯34度32分線上に列ぶ数々の神社、旧跡は『太陽の道』として、ひところ大きな話題になりましたが、長谷寺もちょうどその線上にあります。

長谷寺の更に東、三重県寄りには女人高野と呼ばれる室生寺がありますが、ここも紅葉で有名で、同じく太陽ルート上にあります。

語りだしたら止まらない話題ですので、興味ある方はhttp://www.historyjp.com/article.asp?kiji=248 を御覧ください。

 

漆黒に 紅葉浮き出る 鞍馬山

* スマホの方は指で拡大できます。

The autumn leaves lighted up from the train window of Eizan Electric Railway heading for Kurama Temple can be seen spectacularly. A cheer go up from the car and everyone is taking pictures with cameras and smartphones.

京都の出町柳から鞍馬寺に向かう叡山電鉄鞍馬線から見る紅葉は圧巻です。

シーズンになれば2両編成の電車はお客さんでいっぱい。特に市原と二ノ瀬間の両側に見える紅葉は最高で、車内からは歓声の連続です。最近はシーズン中の夜間にライトアップされた紅葉を鑑賞できるということで、夜間にも人が溢れています。今年は11月25日までライトアップされるということを偶然知り、今日が最後だとさっそくということで出かけました。

叡山電鉄に乗るのも久しぶりで、電車はグレードアップされ、外観も観光向けで、座席も窓に向かって回転できるようになっていて、その変わりようにまずびっくりしました。

市原と二ノ瀬間は社内の電気が消え、進行速度も緩めて、車窓から紅葉をゆっくり鑑賞できるという粋な計らいもされています。運転席の真後ろでスマホの動画を回したのですが、操作を誤ったのか、後で見ると真っ黒。がっかりです。

終点の一つ手前、貴船口でほとんどの人が降りるので不思議に思ったのですが、とりあえず終点鞍馬駅で降りたのですが、お客も少なく、駅周辺は店や食堂も明かりを消し閑散としたもの。貴船口でたくさんの人が降りた訳が分かったような気がします。

降りて調べた訳ではありませんが、以前の記憶から、貴船川が流れ、夏には川の上に設けられた座敷で食事もでき、もちろん紅葉も見事なはずです。下調べせず馳せ参じた稚拙さを恥じるのみです。

「先達はあらまほしきこと」と兼好法師が言いましたが、実感した次第です。