真田 泰昌 について

長年予備校の教師をやってきました。パソコンとの付き合いは古く,1号機からの付き合いで、プログラムもすべて自前でした。日本語もカタカナがやっとという時代でしたから,今はもう浦島太郎もびっくりです。

誘われて いつの間にやら 秋の薔薇

When I go to the park nearby it is a sign of autumn already. Roses in autumn are also in full bloom and a lot of people are visiting. It surprised me that Among them is the large number of elderly people.

近くの公園に行くともうすっかり秋の気配です。

自然に足が向いたバラ園には様々な種類の秋のバラが満開です。春のバラ園ほどの華々しさはありませんが、落ち着いた雰囲気があり、一つ一つのバラをしっかり見ることができます。

蔓性のバラはなくほとんどがブッシュ型のバラで背も低く、香りを嗅ぐにもちょうどよい高さです。

ただご老人の多いことには、自分もその一人なのに、びっくりです。ご夫婦で回っておられる方、お一人で杖を頼りにしている方、しかし、どなたもお洒落な装いで、一昔前のご老人とはこの点においては大違いです。

このバラ園一つをとっても今の日本の状況を読み取れて、バラの鑑賞もさることながら、自戒も含め、これからの生き方を考えさせられる一日になりました。

 

 

平成も 今年最後の 枯れ薄

Heisei is also until April next year. When I am watching Karesusuki illuminated by the sunset like this, I can not wipe out some kind of impressions for myself that I have been living in the times of Showa and Heisei.

今年は平成30年。ついこの前に平成に代わったのにという感覚ですが、平成元年に生まれた人がもう30歳になるんだと思えば、ああもう30年も経ったんだとその年月の長さを実感する次第です。

その平成も来年4月までで、5月からは新しい元号に代わるわけですから、昭和生まれはもはや時代物ともなりかねない、そんな時にこんな風景を目の当たりにすると、何というか、一抹の寂しさを覚えます。

枯れすすきは自分の人生と照らし合わせて共感を呼ぶようで、1974年、昭和49年、オイルショックで揺れる昭和の真っただ中で、さくらと一郎がデュエットで歌った『昭和枯れすすき』がヒットし、もっと古くは、1921年、大正10年に野口雨情作詞、中山晋平作曲の名コンビが世に出した『枯れすすき』が、1923年の関東大震災を受けて大ヒット、後に『船頭小唄』としてうたわれ続けます。

平成に入ってから「枯れすすき」を歌った歌があるのかどうか知りませんが、時代が変わっても、世の無常を感じる日本人特有の心情が感じ取られます。

春日野に 紅葉も散るや 鹿の声

The voice of a male deer crying for a female deer sadly sounds in Kasuga. And the leaves which turned red fall down as if adjusting to its voice.

奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき

小倉百人一首にも入集されている『古今和歌集』詠み人知らずの有名な歌です。「詠み人知らず」とはなっていますが、謎の歌人、猿丸太夫の歌です。

古来、秋の紅葉が散るころ、人里はなれたところで、宵から明け方にかけて甲高く鳴く牡鹿の声は誰もが気になっていたのでしょう、『万葉集』だけでも68首も歌われています。

どんな声かは、今の時代ですね、YouTubeを開けば簡単に誰でも聞くことことができます。切ないと言うか、切羽詰まった必死な声です。

びいと啼尻声悲し夜の鹿

さすがですね。その牡鹿の鳴く声を芭蕉は最も的確に歌い込んでいます。「びいと」甲高く啼き始め、「尻声」は低いトーンで声を呑み込む様子を見事に5、7、5に纏めています。

雌鹿の発情期間は、いや発情時間なんです、24時間。その間に交尾しなければ子は生まれません。雄鹿も必死ですが、雌鹿も必死なんです。

鳴くのは雄鹿ですから、雌鹿はその声を聞き分け、強くて逞しい雄鹿の元に馳せ参じるんでしょうね。

この雄鹿のなく声に哀感を感じ始めたのは平安期ころからで、『万葉集』には後に歌われるような哀感の歌はありません。このことからも、日本の文化の変遷が感じ取れます。

 

錦秋に 法衣を正す 大仏殿

Daibutsu-den of Todai-ji Temple surrounded by the trees which began to be dyed red is standing majestically against the background of the autumn sky.

奈良東大寺大仏殿の周りの木々も色づき始めました。相変わらずの人出ですが、外国人観光客の多さには驚きます。特に大仏殿から二月堂、三月堂にかけては人の行き来が絶えません。

それにしても、いつ来ても思うことですが、今から1200年前にこんなドデカイ建造物をよくも建てたものです。もっとも今見る大仏殿は、過去2度の火災にあって消失し、江戸時代初頭の1709年に建て替えられたものだそうですが、江戸時代初頭にしても驚くべきことなのに、それを遡ること1000年近く前ですから何をか況んやです。

ここに立つと確かにパワーが得られ、正真正銘のパワースポットです。それは、もちろんここにいらっしゃる大仏様、そしてこの建物に注がれたとてつもないほどの人々の信仰心と情熱と思いが込められていて、そこから発するパワーだと思います。

写真は、裏側に回って、大仏池から撮ったものですが、あたりはすっかり秋の気配に変わっていて、平日はとても静かです。大仏殿の威容だけが迫ります。

色とりどりの木々を観察しながら散策すると、心も落ち着き、正倉院から東あたりのこんもりとした森はもう寒いくらいで、舞い落ちる木の葉の音も聞こえるような錯覚に囚われます。

こうして幾星霜、多くの人がここを訪れ、そして去り、これからも同じことが繰り返されていくのでしょうが、こうしてしみじみとした思いを巡らすのもここだからこそです。

 

柿落葉 味噌田楽に 品を添え

I ordered Miso Dengaku, country dishes, at a cafe in the Kasuga-no of the Nara Park. It is put on the reddish falling leaves of persimmon and it looks more gorgeous and more delicious.

JR奈良駅を降りて、北詰を渡るとメイン通りの三条通りがあります。そこを真っ直ぐ東に辿ると春日大社に至りますが、途中、一の鳥居前の交差点を右の脇道に入ると、猿沢の池、浮見堂、鹿が群れる飛火野、少し南に辿って、高畑町の通りを辿ると志賀直哉旧居があり、そこを少し行ったところ、春日野原生林のたもとに小さなカフェがあります。コーヒーはもちろん、田楽あり、焼き芋ありのカフェです。

こんにゃくに味噌をあしらった味噌田楽がとても美味しそうなので、さっそくそれを注文しました。真四角ではなく、緩やかな曲線を赤い漆で縁取ったお盆と、赤く色づいた柿の落ち葉を敷いたその上に味噌田楽が二つ並んでいます。

飾り気のないとても素朴な味わいがあり、これだけで絵になります。さっそくいただいて、ふと気付いて撮った写真がこれです。

しまった!と思いました。ミスショットです。

せっかくなら歯型を入れる前に撮りたかった。でも食い意地が優先していたのでしょう。失礼な写真になりましたがお許し下さい。

もみじ葉を かなぐり捨てて 秋桜(あきざくら)

The surrounding trees are wearing leaves stained red, but this cherry tree tosses them off and is making many flowers bloom. Uhufu!

最近あちらこちらで開花した桜を見受けます。

「秋桜」と書いても「あきざくら」と言っても普通にはコスモスのことを意味します。こんなに秋にも桜が咲くようなら、もう「秋桜」はコスモスのことではなく、本来の秋に咲く桜のことに戻しても良さそうです。

それともう一つ不思議なのは、この写真を見てもわかるように、秋桜の葉はすっかり無く、花だけですね。

今の時期、もみじの名所もやっと色づき始めて、本格的な紅葉のシーズンはこれからです。桜ももちろん葉を紅葉させて、そして落葉します。専門的なことはよくわかりませんが、桜は紅葉、そして落葉が他の木々よりも早いのでしょうか。ともかく花だけです。

秋桜も秋の薔薇と同じで、春のような豪華絢爛さはありません。花数も少なく、大きさも控えめです。

「姥桜」という言葉がありますが、読んで「うばざくら」。桜は、春先、先ず花を咲かせ、それから葉をつけ始めまます。だから最初は葉無し、「歯無し」にかけてできた言葉が「うば桜」。だからこの意味の「うばざくら」は春の桜を意味します。

ところが「うばざくら」は、漢字では「姥桜」と書きますから、「姥」つまり、年老いた女性のことで、「姥桜」は女盛りを過ぎても、なお色香を漂わせる女性を連想した言葉ですから、まさしく秋の桜、秋桜を意味します。それのほうが合うような気がしますね。

命、運命の儚さを知り尽くし、それでも時には恋心に悶え苦しむことはあっても表に出さず、楚々として咲く花のようでありたい、何も女性だけではありませんが、そんな老いらくの恋は、やはり女性に託したほうが良さそうです。

桜って、本当にいろいろなことを考えさせますね。

金鯱(きんしゃち)が デンと座って 外は秋

The cactus called Kin – shachi is the king of the cactus. It is the largest in mail order so it is 180000 yen in size with a diameter of 24 cm. Cactus in the photo is 1m in diameter. How much would you buy this for?

あたりに紅葉が見え始め、いよいよ秋も深まりを見せてきました。

和歌山県岩戸市にある植物園の温室で見事なサボテンの金鯱を見つけました。外は昼間だと言うのに寒いという感じですが温室はさすがに暖かい。直径が1mを越えようかと言うほど大きな金鯱が数個とそれよりも一回りも二回りの小さいのが数多く育っています。

その場で、ネットで調べてみたら、愛好家が結構多いのか、いい値段が付いています。直径数センチのものでも2,3千円もするものがあり、調べた限りの一番高いのは8寸鉢ですから、約25cmくらいですね、これがなんと18万円の値段が付いています。

となると、ここで目にするこの1mの金鯱のお値段はいくらのなるんでしょう。最低でも100万円、おそらくそれ以上の値打ちがあるんでしょうね。だから、このサボテンコーナーにある金鯱だけで1千万円は越えそうです。

なんだか、お金の話ばかりになりましたが、サボテンと音楽の関係もよく語られることです。植物は意外に音楽に反応して、イチゴの収穫が上がっただとか、メロンの糖度がましたなどの話題をよく耳にします。

中でもこのサボテンが最も音楽に反応するとかで一時大変話題になったことがあります。いや、全く関係ないという学者もいますし、なんとも言えませんが、植物と音楽の関係を研究している学者も多いとか。クラシックはいいがロックは良くないとか贔屓筋の議論とも受けかねないような意見もありますが、音の周波数との研究は面白そうです。

植物がそうですから、動物ともなればもっと関係しそうですね。

胎児にいい音楽を聞かせると良い結果が生まれることはよく耳にすることです。

 

刈り干しを 終えた棚田に 鶫(つぐみ)鳴き

The bird that tells the winter,Tsugumi, is singing in the step-like rice paddies which have finished harvesting and are hanging harvested rice.

棚田は平野の少ない日本では全国どこでも見かけます。しかし、どちらかといえば平地の少ない西日本に多く、比較的平地の多い関東方面は少なく大きな扇状地に見かける程度です。

稲作は一定期間水を張らねばならず、しかも水はけもいることから地面の傾斜が必要です。関東地方や、最近の北海道のように平地で稲作ができるようになったのは潅漑が発達したからで、こうした平地で稲作ができるようになったのは歴史的には近代になってからです。

世界でも、中国雲南省の棚田は世界遺産になっているほどで、ここの傾斜は日本どころではありません。

その棚田も、日本では減反政策や農業離れで休耕田も多くなり、今では「どこどこの棚田」と観光名所になるほどです。

昨日訪ねた大阪府千早赤阪村の「下赤阪棚田」は「日本の棚田百選」に選ばれている棚田で、規模は小さいですが、今でも立派に棚田水田として機能しています。

車で行ったのですが、片方は崖、片方は農業水路で、車一台しか通れない農道で、本来は車で入るべきところではない(と後で聞かされました)道を進み、ヒア汗の連続でした。

収穫も終え、刈干も住んで、脱穀したお米を米袋に入れている最中でしたが、刈り取った水田跡に冬を告げるツグミが早くも到来し、小さな声でピヨピヨと鶏の雛のように鳴いていました。

華やげど やはり寂しい 秋の薔薇

Each rose in autumn has a gorgeous flower but somehow I feel loneliness. I think that it is not only because of mind but also because there are few visitors and few flowering blooms.

秋のバラ園はやはり寂しい。土日にはそこそこの人出もあるが、ウィークデイは閑散としたものです。人も少ないし、咲く花も少ないからいっそう寂しく感じます。

それにもう一つ、老人が多いことです。自分もその一人なのに随分勝手な感想ですが、事実だから仕方ありません。

そういえば、今日は老人の薬害に関するニュースが出ていました。調剤薬局から出てくる老人が大きな紙袋を下げて出てくる写真が添付されています。いったいどんな薬かわかりませんが、本当にこれを全部飲むんだろうかと思うと震えが来ます。

市販薬と違い、処方薬はピンポイントの薬だから薬効も高いが飲み合わせの弊害もあるから、飲む薬はせいぜい3種類が限度だとよく言われますが、高齢者の平均は5種類以上飲む人が50%以上だというデータがあります。高齢になればなるほどその種類が多くなるそうです。

お薬手帳というのが渡されていて、飲み合わせの弊害を防ごうと言うことになっていますが、本当でしょうか。幸か不幸か、いままでクレームが付いたことがありません。

医師の処方箋に従い、薬剤師が調剤するという医薬分業は1990年代から始まった制度ですが、医が主、薬が従という関係でなく、あくまでも独立していて、医師が発行する処方箋に間違いがないか薬剤師はチェックする義務がありますが、はたして機能しているのでしょうか。

我が家にも使い残りの薬がいっぱいあって、定期的に処分しなければ薬箱が溢れかえります。我が家だけでもそうですから、これが全国ということになると、使われることなく捨てられる薬の量たるや恐るべき数量になるだろうし、無駄な医療費の大きな部分を占めているだろうと予測が付きます。

世界に誇る長寿国を支えている一つかもしれませんが、限度を超えているようにも思えます。

杖を突き、補助車を押しながら園内を回っているお年寄りも多いですが、薬の副作用でそうなった方も多いのではと、体験から感じます。

 

熟し柿 カラス美味そに 食ってたよ

Every Kaki, persimmon, has fully ripened. The crows came and were eating deliciously it.

日本の柿が海外に攻勢をかけています。

一昨年2016年にはカナダ、2017年にはアメリカ、今年はオーストラリアと相次いで輸出解禁となり、主導した和歌山県では大忙しです。

いずれの国にも柿はあり、比較的ポピュラーな果物ですが余り人気がありません。固くて甘くないからです。

しかし、日本の柿は違います。甘くて、食べごろを得たらそれほど硬くなくて、ともかく美味しい。だから日本の柿は、単にpersimonではなく、わざわざJapanese persimonというほどです。人によったら、別物の果物と思う人もいるほどです。

ここにも、日本人特有の「職人気質」が発揮されているんですね。日本人はどんな職業に携わっていてもそれぞれが誇りを持ち、なんでも極めなければ気が済まないという基質があります。また、他人も職種のいかんを問わず、いいものはいいと正当に評価し、尊敬するから、ますますの励みになるという背景も大きな支えに成っています。

柿も例外ではなく、外国の柿とは段違いに美味しい。極め尽くされているんですね。葉っぱも無駄なく、「柿の葉茶」で健康茶に、「柿の葉寿司」なんかは絶品ですよ。

今回の海外輸出の取り組みにしても、柿本来の食べ方はもちろん、「柿とアングラのサラダ」、「白身魚と柿のカルパッチョ」、「生ウニと柿のジュレ」といった具合に、外国人にも馴染める柿レシピを用意し、宣伝したそうです。

柿も昔は体を冷やすと言って敬遠されたこともありますが、今や栄養価ナンバーワン。健康食品の評価高い果物になっています。

カラスもよく知っているんですね。実をつついて蔕だけが木にぶら下がっていたり、まるごと持っていかれたり。

今日は柿で熱くなりました。